第254話 『模擬戦 鬼人』④
「では参ります。陽の終式――百火繚乱」
鬼人族が駆使する『陰陽術式』における奥義――『終式』。
陰陽双方に存在するその一方が、今ルクレツィアが発動させんとしている『百火繚乱』である。
もちろんルクレツィアは陰陽双方の『終式』を使うことができるが、現状の内在魔力保有可能量ではどちらか一方を使用すればほぼ枯渇し、ある程度回復するまで『陰陽術式』の使用そのものが不可能となる。
外在魔力だけを使用する簡易術式はいくつか行使できるが、内在魔力と外在魔力を混ぜ合わせることこそがその神髄である『陰陽術式』に比べてそれらは格段に弱い。
秘奥たるもう一方、『陰の終式』をもう一度使用可能になるためには、数日を内在魔力の最大値回復に費やさねばならないだろう。
そのもう一方――『陰の終式』である『焔躰廻遷』は攻防一体で強力な技ではあるが、どちらかといえば防よりといえる。
ゆえにフレデリカに当てることを最優先した結果、ルクレツィアはこの大一番で使用する2つの『終式』から、攻撃特化である『百火繚乱』を選択したというわけだ。
ソルがファルラ戦をよしとした理由に、少しでもファルラがその裸体を晒したという要素が含まれていた可能性に思い至り、一瞬ルクレツィアは選択を間違えたかもと思った。
だが、今さら切り替えることもできない。
『百火繚乱』
それはルクレツィアが行使可能な火属『陰陽術式』の攻の究極。
己が内在魔力を放出することによって『起動領域』と化した範囲に外在魔力を反応させ、広範囲を一気に焼き払う大規模攻撃術式だ。
すでにフレデリカを中心として囲むかの如く、広範囲にルクレツィアの内在魔力が火花のような形で展開されているが、この時点ではまだなんの脅威にもなり得ない。
それでも魔力の流れを見ることが可能となっているフレデリカは最大限に警戒し、油断なく腰を下ろしてどんな攻撃にも即応可能なように構えを取っている。
もしもこれが魔物との実戦であれば、フレデリカは己が認識している危険範囲――自身を中心とした直径30メートル前後の球状に展開されたルクレツィアの内在魔力展開圏――からまずは逃れることを最優先しただろう。
しかしながら今はあくまでも模擬戦である。
ソルに亜人種の代表、鬼人族の特殊魔法である『陰陽術式』、その秘奥を見てもらう必要があるので、あえて撃たせて躱す、あるいは無効化することをフレデリカは狙っているのだ。
だがそんなことは不可能だった。
どれだけレベル差があろうが、魔力の流れが見えていようが、発動してしまえば必中の技。
それが『百火繚乱』という陰陽術式、陽の終式その神髄であるがゆえに。
当然フレデリカが高速機動を以て『起動領域』から逃れることをルクレツィアは警戒していた。
ルクレツィアの内在魔力によって発生させた火花は任意で移動可能であり、その密度を薄れさせないままに移動する目標を追尾させることが可能だからだ。
今のレベル差であれば、本気のフレデリカによる高速戦闘機動をルクレツィアが己が目で追うことは不可能である。
だが相手の魔力波形を読み、それに対して磁力のように引き寄せられる特性を火花に付与することが可能なため、たとえ『転移』を行使されたとしても魔力探知が可能な範囲であれば火花による『起動領域』はその対象を絶対に逃がしはしない。
そして術者――ルクレツィアの意思に従い外在魔力と混ざって弾け、轟焔と成す。
つまり魔法によって生み出された攻撃力がその対象へと向かうのではない。
目標を中心として巨大な火球がその場に発生するようなものなのだ。
その仕組みはわからずとも、自身に迫る脅威を察知したフレデリカは即断。
どうあれ自分に纏わりつく美しい無数の火花がその脅威を誘引するものと見做し、颶風を生むほどの回転脚の一閃によって火花の真空地帯を生み出そうとした。
初手の鬼火を消滅させた方法では火花の数、密度共に多すぎて空間そのものを吹き飛ばす手段を選択したのだ。
だが全方位からの爆縮でもない限り、火花はその颶風を苦もなくいなしてフレデリカの魔力波形に反応し、纏わりついて離れない。
(――逃げられない!)
次の瞬間、フレデリカを中心に巨大な火球――『百火繚乱』が顕現した。
それが発するあまりにも膨大な熱量が、周囲の空気を颶風と成さしめる。
だがかなり強力な魔物であっても一撃で焼き尽くすその灼熱を以ってしても、やはりフレデリカ本人はもちろん、その身に付けている衣服装備いっさいになんの痛痒を与えることも叶わなかった。
先のファルラ対エリザ戦を見ていたからには、それも当然だということを頭では理解できている。
だが実際に『百火繚乱』の直撃を喰らいながら、ただびっくりしただけにしか見えないフレデリカの様子を目の当たりにすれば、驚愕と恐怖が胃の底からせりあがってくるような感覚を得てしまうルクレツィアである。
己の攻撃力に自信がある者ほど、その直撃を受けてなお平然としている存在の恐ろしさは際立つのだ。
本来は魔物にしか纏えぬH.Pを、それも桁違いの数値でソルの仲間たちが纏えていることを知らない以上、仕方がないことではあるのだが。
ソルの配下――『仲間』たちがやがて「不死身」だと称されるようになるのも無理からぬことと言えるだろう。




