第253話 『模擬戦 鬼人』③
銀虎族のファルラが風雷を操れることに対して、鬼人族のルクレツィアは火を操ることを得意としているらしい。
顕現した複数の鬼火の群れ。
それらがルクレツィアがいつの間にか懐から取り出して右手に持っている扇、それが指し示したフレデリカに向かって斉射される。
それは単純な直線だけではなく、放射線状に飛ぶものや、回り込もうとするもの、それらの合間を縫って複雑な軌跡を描くものと多種多様。
その速度こそそこまで速くはないものの、どう素早く動いても躱すことができないように包囲するかのような射線を描いている。
「――ふっ!」
だがその鬼火すべてが、肘をひき拳を腰だめに構えたフレデリカの両の腕が一瞬だけブレた瞬間、すべてが掻き消えるようにして消滅した。
それに刹那だけ遅れて、ほぼ同時に折り重なった空気がはじけるような音が連続して響き渡る。
その正確な数は24。
今のルクレツィアが同時に放つことができる上限である24の鬼火は、やはり苦も無くフレデリカによって無効化されたのである。
無効化されることは当然想定していたとはいえ、ルクレツィアとしてはさすがに笑うしかない。
鬼火はもちろんその名が付けられているとおり、ただの『魔力弾』でもなければ魔力を利用して火と化した、人のスキルでいう『火炎弾』のようなものでもない。
着弾時の攻撃力で言えば確かに同程度ではある。
だがある程度の誘導性を持っているとはいえ基本直進しかできない『火炎弾』とはまるで違うことは、かき消されるまでに24の鬼火がどれ一つとして同じ軌道をとっていなかったことからも明らかだろう。
『陰の壱式・鬼火』
その特徴のひとつは、術者の意思に従って自在に操作可能なところにある。
つまり一度生み出せば自身の付近に浮遊させたままにもできるし、その場に止まらせておいて必要に応じて打ち出すことも可能なのだ。
それも術者の脳の処理能力と魔力が追い付く限り、その同時操作数に上限はない。
つまり今のルクレツィアが数発を除いて、ある程度単純化された射線であれば同時に制御できる上限数が24発だったというわけだ。
より正確に言えば複雑な動きをしていた5発以外の19発は完全に囮であり、本命5発のうちの4発もまた厳密にいえば本命の一発を当てるための囮だったのだ。
もちろんファルラとエリザの模擬戦を見ていた以上、万々が一当たってしまったとしてもまるで痛痒を与える心配などないことは確信できていた。
だからこそ24もの鬼火を「当てるつもりで」放ったのだから。
普通の人間であればその1発で間違いなく死に至るし、小型の魔物の場合でも3発も当てれば仕留めることができるほどの攻撃力を持ってはいるが、銀虎族の物理攻撃や風撃、雷撃をものともしなかったエリザと同格の相手に、鬼火程度が通るはずがないと看做すのは当然だろう。
それでも「鬼火」の特徴を活かして、明確に格下の自分でも工夫次第で格上に「当てる」程度はできることを示したかったのだ。
ソルにしてみれば配下を自由自在に強化できる以上、攻撃力不足そのものはそこまで問題視されることはないはずだとの判断の上である。
とはいえまあ、やはり一発たりとも当てることなど不可能だったわけだが。
鬼火が目視可能な以上、フレデリカにすべて捕捉されることはルクレツィアとて織り込み済みであった。
それでも「鬼火」の2つ目の特徴――術者が念じて爆発させるまでは、魔法的・物理的な迎撃をすべて自律で回避する――によって、うまくすれば初手はすべてが当たるかもという期待もしていたのも事実である。
だがフレデリカは、初見の技である「鬼火」を当然警戒した。
ソルから与えられている『格闘士』としてのスキルである『遠当て』を使用するに際して、己が拳による単純な打撃ではなく、超高速で掌を閉じながら拳を捻ることによって生じる周囲の空気の爆縮に魔力を込め、それを鬼火に当てたのだ。
回避もなにも、魔力を帯びた空気の圧縮によって躱す余地などなく全周を包囲され、鬼火を成立させている魔力そのものを押しつぶされてしまえば当然術式は崩壊する。
鬼火がかき消される際に発生した幾重にも重なった空気の破裂音は、それが原因だったのだ。
「凄まじいですね……基礎的な技にして奥義という側面もある『鬼火』をこうもあっさり防ぎきられては、私にできることはもう多くありません。よって私も銀虎族に倣い、『陰陽術式』の秘奥を以てあたらせていただきます」
「承知致しました」
たった今みせた神技を特段誇ることもなく、にっこりと微笑むフレデリカがファルラには心底恐ろしい。
対峙して初めてルクレツィアは、『完全獣化』したファルラが見せた痴態といっても過言ではない行動を取るしかなかったことを理解できている。
相手に殺意があるとかないとか、そんな玄人じみた戯言など、隔絶した彼我の戦力差の前にはなんの意味もないことを今まさに思い知っている最中なのだ。
自分をいつでも磨り潰すことが可能な力を向けられているという事実は、ある程度以上その力を理解できる者にとっては、根源的な恐怖を引きずり出されるのに十分足りる。
自分の機動力では絶対に躱せないほどに巨大な、落ちてきたらぺしゃんこに潰されるしかない大質量が頭上に吊るされており、それを支えているのが細い糸一本のような状況とでも言おうか。
その大質量に意志があるとかないとか、その脅威にさらされている者が抱く恐怖にはなんの関係もないのである。
だからルクレツィアはもう、開き直って奥義を行使するしかない。
何かの拍子でその糸が切れたとしたら、それはもう自分の日頃の行いが悪かったか、自ら望んでそんな危険な場所に立ち入った自分がバカだったのだと諦めるしかないのだ。




