第250話 『模擬戦 銀虎』⑩
だからこそフレデリカは、基本的に善意で動こうとしてくれている今のソルを失うことは、なにを犠牲にしてでも避けなければいけないのだ。
善くあろうとしそれに絶望した者の暴走こそが最も恐ろしい結果を招くこともまた、大国の王女であるフレデリカは歴史から学んでいるゆえに。
「うぅう……」
だがソルやフレデリカの思惑がどうあれ、そのフォローがわりと本気で心に刺さるファルラである。
他人事でさえあれば、ファルラ自身ですらそう思うであろう一定の理がソルの言葉にはあるだけになおさらつらい。
ファルラとて確かに自身が獣人種であるがゆえに、「獣」に対する憧れが強すぎたことは否定できない。
現実的に考えた場合、獣だからこそ絶対に勝てない相手を前にすれば、己が生存本能に従って「最善」を選択するのはソルの言うとおり自然なことだろう。
ファルラが人としての意識を保てていた第二形態時ですら、あまりの彼我の戦力差に恐慌状態に陥り、理性を飛ばすとわかっていても『完全獣化』することを選択したのだ。
そうしたことで獣としての本能が強くなってしまえば、これが『模擬戦』だということも理解できなくなり、逃げることすらもできない強者の前では尻尾をたたんで肚を晒し、その慈悲に縋らんとすることも想定して然るべきだったのだ。
まだしも獣としての本能のみであれば気高く、あるいは愚かにも絶対に勝てない相手に挑んでいなされるという結果もあり得たかもしれない。
だがなまじ意識は飛んでも人としての知恵や知識――言い換えれば狡賢さ――をもっていたからこそ、ああなってしまったのだ。
獣と人の混成がゆえに晒してしまった醜態とも言えるだろう。
そもそも人がどうだの、獣がどうだの以前の問題で、ファルラは自分が絶対的な強者を前にすればああなってしまうのだという事実を突きつけられたことが、正直なところかなりキッツい。
なまじ『完全獣化』していた際の記憶が鮮明なため、自己欺瞞さえままならない。
なによりも屈辱であるはずの完全降伏と絶対服従の意を示していた際の自分が、今まで感じたことのない背徳的な官能と多幸感を得ていたことを認めたくない。
だが己をいつでも殺せる相手に肚を晒し、そこを撫でられたりその頬を舐めることに尻尾をぶんぶん振って悦んでいたことは、もはや覆しようのない事実なのである。
万が一にでも嬉〇ょんなどしていたら、二度と再び立ち直ることなどできなかっただろう。
いや自分のそういう「癖」を一度自覚してしまったからには、今後絶対にないとは言い切れないのがまた恐ろしい。
「いやフォローとかじゃなく、ホントに僕が期待した以上の模擬戦だったよ。凄いモノをたくさん確認することができたしね」
自身のフォローで一段と落ち込んでしまったようにしか見えないファルラに、慌ててソルは重ねて言葉をかける。
確かに最初に期待していたような、『完全獣化』がどこまでレベル三桁に至っている『プレイヤー』の仲間であるエリザに通用するかを確認することは叶わなかった。
だがそれ以上に、人が神様から与えられる能力――仕組みともいえるだろう――に頼らず魔力を行使できることを確認できたことは、ソルにとって本当に大きいのだ。
「…………ソル君?」
「ソル様?」
だがそのソルの言い回しを、リィンとフレデリカは別の意味に取ったらしい。
リィンは半目で、フレデリカはいつもどおりの笑顔で、ただソルの名前を呼ぶ。
どうやらそう解釈したのはリィンとフレデリカだけではなく、エリザとジュリアも同じであるらしい。
エリザは真っ赤になって俯いているし、ジュリアは笑いを堪えるためにあまり見たことがない妙な顔になっている。
当のファルラは一瞬きょとんとした後、まんざらでもなさそうな照れた表情を浮かべており、クール・ビューティー系のルクレツィアがそれをどこか羨ましそうな表情で見ている。
スティーヴとガウェインの男衆は、豪の者を見る目をソルに向けている。
「?……あ、違う! そういう意味じゃない‼」
周囲の反応に一瞬怪訝そうな表情を浮かべたソルではあるが、自分の言い回しがそうとられても仕方がないことにすぐに思い至り、慌てて否定する。
確かに獣人種であるファルラのプロポーションは、ルクレツィアと並んで文字通り人間離れしている。
リィンやフレデリカも人としては素晴らしいと賞賛される域だし、エリザとジュリアも方向性は違えど、それこそが最も素晴らしいとする者も多いだろう。
だがそれらを前提としてもなお、ファルラのそれはソルが口にした「凄いモノ」と称するに十分足るものではあったのだ。
真面目な顔でファルラの全裸を見たことを以て良しとしていると思われるのは甚だ心外であり、あわてて遺憾の意を表明するソルである。
「じゃあどういう意味なのかな~」
すかさずジュリアが悪い笑顔で突っ込んでくるがソルはスルー。
ここでむきになりでもすれば、より事態が悪化することをすでにソルは学んでいるのだ。
しかも嘘や言い逃れなどではなく、きちんと皆を納得させられる理由もあるので、ソルには慌てる必要などない。
ソルの態度が虚勢ではないとわかったジュリアはどこか残念そうだが、深追いは危険だとも判断した。
この手のネタで反撃を喰らうと、自分の方がそういう事ばかりを考えているハシタナイ女と見做される危険性もあるからである。




