第246話 『模擬戦 銀虎』⑥
それだけの攻撃がすべて直撃しながら、痛くないように手加減されて小突き回されている子供のようなリアクションを反すのみなのだ。
ファルラの攻撃によってエリザは相当な勢いで吹き飛ばされ、そこへカウンターの如く別の一撃が直撃し、それを極短時間のうちに無数で繰り返されている。
H.Pはそれを纏う者本体への痛痒と苦痛はすべて遮断するが、その攻撃によって物理的に発生する現象、要は吹っ飛ばされることまで無効化することは出来ないからだ。
バジリスクとの戦闘で、マークが無傷のままに吹っ飛ばされていたのと同じ理屈である。
今の状況だけをみれば、ファルラがエリザを手玉に取っているようにも見える。
だが一方的に攻撃を加え続けているファルラにしてみれば、魔物はもちろん、放った自分ですら直撃すればずたずたに引き裂かれるほどの攻撃を、躱すのでも防ぐのでもなく、ただ直撃を受け続けてなお平気なエリザは怪物だとしか思えない。
たとえ斬撃効果をなんらかの方法で無効化しているのだとしても、あの勢いで吹っ飛ばされるほどの衝撃を受け続けていれば、生き物である以上ただでは済まないはずなのだ。
だがエリザは困ったような声を上げながら翻弄され続けてはいるものの、まるで痛痒を受けている様子がない。
攻撃を加えているファルラには確かな手ごたえがあってなおそれなのだ、もはや驚愕を通り越して恐怖へと変じ、ほとんど恐慌状態となっている。
ソルたちから見ればそれは当然であり、まだ1/10もH.Pが削られていないからには焦る必要もない。
戦闘種族の看板に偽りなしなファルラの戦闘機動に関心もしつつ、ただレベルを上げただけではなく実戦慣れしなければ、レベルが下の相手にも翻弄されるものなのだなあなどと、冷静に自分たちの問題点を確認できていたりする状況だ。
だが冷静さを失いつつあるファルラはそうはいかない。
自身の全力の攻撃。
思い上がりなどではなく、かなりの高脅威度を持った魔物ですら仕留めきるそれをものともしない相手に攻撃を加え続けている自分という状況が、みるみるうちに冷静さを削ってゆく。
獣化の第二形態でもまるで通用しないことをいやというほど思い知らされたファルラは、その恐怖と混乱の中で最終形態――『完全獣化』へと移行することを選択した。
それはもはやソルという絶対者に対して亜人種、銀虎族、自分自身の有用性を示すなどという悠長な目的の為などではなく、逃れられない死を前にした獣のパニック行動と言った方が正しいだろう。
本能が察知した不可避の死の恐怖からなんとかして逃れるために、己が持つ最大の力を行使せんとしているのだ。
恐怖の対象から大きく距離を取って一度しゃがみ込み、虎がそうするように虚空へ向かって吠声をひしり上げるファルラ。
それに伴い己が内在魔力を極限まで絞り上げ、魔導器官と化した両の獣眼が膨大量の外在魔力を吸収する様子はその魔力濃度から可視化され、まるでファルラを包む魔力の竜巻のようになっている。
獣化の第三形態がすなわち『完全獣化』であり、今のところそれが可能なのはファルラの銀虎族以外には金狼族のみ、その中でもごく一部の血の濃い者たちだけである。
ファルラが獣人種の代表者に選ばれたのはソルたちが理解していた理由ももちろんあるが、その大前提として『完全獣化』が可能なことも含まれていた。
まあとはいえ如何に己が戦闘能力に矜持を持つ獣人種とはいえ、もしも『完全獣化』が可能な者たちが第一条件――ソルが好むであろう見目麗しい女性――から外れていた場合、どちらを優先していたかは言うまでもないのだが。
それを当然知っており、自身でもそれを否定できないからこそ、ファルラは絶対者に女としての魅力だけではなく、戦闘能力としても必要とされたいと願っていた。
だが『完全獣化』は第二形態までのそれとは違い、一度そうなれば人としての意識があいまいとなり、己が獣性が全開となる弊害を伴っている。
それは「その危険性」や「恐れ」という程度のものではなく、実戦で試した上での事実。
自分でやっておきながら素に戻ったファルラ自身が戦慄するほど、『銀虎』としての残虐性を叩きつけられた魔物たちの「なれの果て」は無残なものだったのだ。
いまさらソルとその側近たちに怪我を負わせる心配などしてはいないが、ファルラ自身にすら制御しきれない暴力を危険視される可能性も危惧してはいた。
だがもはやそんなことを言っている場合ではない。
ファルラは素直に、今対峙しているエリザが恐ろしい。
まずそれはないとは理解してはいても、その気になられた瞬間自分を殺せる存在と対峙しているという事実が、ここまで恐ろしいとは知らなかったのだ。
それは日常生活において油断をしていて刺されれば死ぬ、事故にあったら死ぬという恐怖とは根本的に意味を異にしている。
己が矜持を持つ戦闘能力を全開にしてもなお全く通じないという『怪物』を前にした際に、意思を持つ存在が感じる根源的な畏怖の類である。
だからこそファルラは今、己がもつ最大の力である『完全獣化』の行使を躊躇う理由など消し飛んでいる。
一方、自分から距離を取ったファルラが最初の可愛らしくて色っぽいお姉さんからまさに獣人へ、そこからもっと怖くて大きい姿に変わり、今三度目の変身を以て本物の獣――銀虎へ変化して行っている前でエリザは動けずにいる。
もちろん具体的な痛痒はもとより、感覚としての痛みなどは一切得てはいない。
不可視の『風撃』によって小突き回された結果、軽く目が回っている程度である。
とはいえファルラ――獣人種代表の戦闘能力をすべてソルに見せることが目的であるからには、防げるものは防ぎつつ好きにさせればよいのも確かだ。
ソルもそれを望んでいるのは間違いないし、上手に受けたり躱したりできない自分に少々がっかりされているかもしれないことには忸怩たる思いもあるが、それを厭って勝手なことをする方が悪手だろう。




