第241話 『模擬戦 銀虎』①
亜人種と獣人種の代表として、自分たちが役に立つ種族であることを絶対者に示すための『模擬戦』。
その緒戦は、獣人種は銀虎族にファルラ・ドゥルガー対エリザ・シャンタールと相成った。
場所は当然『闘技場』なはずもなく、世界的に有名な高級リゾート島の高台。
それも市井に生きる者たちには想像すらできないほどの金が掛かっているのは間違いない、設置されたばかりの重要施設『転移門』のすぐ脇である。
能力者同士の戦闘を大前提としている『闘技場』であれば、対戦者や観客はもとより、施設そのものを保全するための技術や魔法が惜しみなくつぎ込まれている。
よって人の能力者2人程度が全力を出したところで、どうということもない。
なんとなれば人という存在はどうにも度し難く、総体的に見れば弱者側であるにも拘らず、捉えた魔物を人の能力者たちが倒す様をすら娯楽として消費していたからだ。
つまり『闘技場』は複数の能力者対魔物で双方が全開の戦闘を行っても耐えられる前提でつくられているため、時に生まれる『無限剣閃』のような規格外でもない限り、人対人の戦闘程度ではびくともしないわけである。
魔石によって定期的に魔力を補充する必要と、代々伝わる現状の人類でも可能なメンテナンスによって『闘技場』の機能は維持されているが、根幹を成しているシステムは誰も正しく理解できていない逸失技術の塊でもある。
その今では喪われた技術、知識をすべて再び手中にすることができれば、人は本来の「魔物の狩られるところを見て愉しめる」だけの強者の地位に返り咲けるのかもしれない。
だがそれほどの技術を持ちながら、それを突然失った原因となった原因はどこを探しても一切記録されてはいない。
とんでもない逸失技術については実際にいくつかは現存しているにもかかわらず、それを生み出した文明について現代に正しく伝わっている情報はなに一つ存在しないのだ。
あたかも今の世界がある日突然現れ、弱者側であるにもかかわらず「妙に人にとって都合のいい力」を投げ与えられてでもしたかのように。
そもそも「誰もが12歳になる1月1日に神様からなんらかの能力を与えられる」という、この世界に生きる者であれば当然としている事実こそが、この世界が不自然である事をなによりも雄弁に語っていると言えるだろう。
それと同じことを成せる存在が、世界の内側に生まれている事もまた。
或いはあらゆる奇跡――魔力によって行使される魔法や武技、魔導技術など――は過去に人が生み出しその後失ったわけではなく、どこかの誰かからある日突然投げ与えられたものなのかもしれない。
さておき。
まだ本来の力を使えるようになって日が浅いファルラは、もちろん『闘技場』で自分の能力を全開にした経験などない。
とはいえすでにある程度は使いこなせている今の自分の能力を全開にすれば、相手も周囲もただでは済まないということを、短期間とはいえど経験から理解できてもいる。
どうやら相手をしてくれるエリザ・シャンタールという女の子が、ただものではないらしいことは察せている。
だがそうであればなおさら、そんなエリザと今の自分が全力での戦闘行為などすれば、周囲にとんでもない被害を生じさせることになることは間違いない。
魔導技術にはまるでど素人なファルラから見ても、うっかり『転移門』を壊しでもした日には、まだ年若い自分の生涯のすべてを借金返済に充てなければならないことくらいは簡単に想像がつくし、それを思えば足も竦む。
だがソルたちはまったくそういうことに頓着していないようにしか見えない。
ファルラとエリザがいつでも『模擬戦』を開始できる位置で対峙してもなお、盾役がソルの前に立つとか、全員が全竜の後ろに下がるといった、手慣れているはずの警戒態勢への移行がないのだ。
対戦相手であるエリザだけではなく、この場にいる全員がファルラの戦闘機動圏内にいるにもかかわらず、自らの安全を確信しているということだろう。
あたかもこれから始まる子供同士のじゃれ合いを見守っているかの如く、ただわくわくしているだけなのである。
「じゃあファルラさんとエリザによる模擬戦……開始!」
事実ソルのその宣言は、気が抜けていると言っても過言でない程にお気楽なものだ。
だがファルラの方は獣人種ゆえの強い動物的本能で、その全身の獣毛のみならず、特徴的な獣耳と尻尾を総毛立たせて反射的に牙を剥くことになった。
なんとなればソルの開始の言葉と同時。
眼前に所在無げに佇んでいた美少女が突然圧倒的な強者、獣人種の感覚で言えば自分たちを餌だと見做す『捕食者』へと変じたからだ。
それも達人が意識を戦闘モードに切り替えたがゆえに気配が変わったというような、よく言えば玄人にしかわからない、悪く言えば地味な変化などではない。
誰が見てもとんでもない強者だとわかる膨大な魔導光を全身から派手に噴き上げ、その状態で殴られればその場所が消し飛ぶことが確信できるほどの力を纏っているのだ。
「レベル」という概念はもちろん、それを数値化したものを見ることなどできるはずもないソル以外の者であっても、生物としての生存本能が己では絶対に勝てない強者だとがなり立ててくる。
戦闘状態へ移行したレベル3桁の「能力者」の威は、常人であればそれだけで気絶させられるほどのものであるからには無理もない。
全身の毛が怖気立つという感覚を、ファルラは今生まれて初めて経験している。
エリザを相当な強者だと見做してはいたものの、ここまでの己との隔絶がある事を理解できていなかったファルラはただ、警戒というより怯えが身体に顕れただけで、有効な対応を取れているとはいいがたい。
だが眼前のエリザが本当の敵でありファルラを殺すつもりであったのなら、気を張って構えていようが、今のようにただ畏れて毛を逆立てているだけであろうが、なんならすやすやと寝ていたとしてもなにも変わらないだろう。
エリザにその気になられた瞬間が、すなわち死となるほどの差があからさまに存在しているのである。




