第239話 『転移門起動』⑦
だがソル本人ではなく、トップ冒険者として名を馳せているリィンとジュリアですらなく、ソルの情婦として今の地位を得ている(と信じられている)、大国の王女様とスラム出身の少女を相手に模擬戦を行えと言われたのだ。
ルクレツィアもファルラも、絶対者の寵愛を得ることのできた女としての魅力を、そんなものは本当の「力」では無いなどと、口が裂けても言うつもりなどありはしない。
今の自分たちなど、閨の褥で「あの子嫌い」とでも言われれば、簡単に挿げ替えられる程度の存在に過ぎないことは痛いほどに理解している。
そうとはいってもその力は、ルクレツィアとファルラがソルにその有用性を証明しようとした『陰陽術式』や『完全獣化』とは完全にその在り方を違える、直接比べることなどできない力である事もまた確かなのだ。
明らかな弱者をケガさせることなく、それでも戦闘能力として優れていることを証明せよという、絶対者ゆえの稚気によるとんちのようなものなのか。
なまじ真面目で頭の回転が速いだけに、斜め上の考察をはじめてしまい、頭から煙が出そうになっているルクレツィアなのである。
一方のファルラには、なにがなんだかよく理解できていない。
エリザの前で『完全獣化』をして見せ、人の意志を維持したままに自由に動けるということを証明できればいいのかな? 程度にしか捉えられていないのだ。
具体的になにをしようとしているかといえば、お手や伏せである。
それでは少々賢い小動物と変わらないということに、焦りのあまり気付けていないのだ。
「じゃあ決まりだね。フレデリカとエリザもいいかな?」
だがルクレツィアとファルラの苦悩を余所に、気楽な感じでソルがフレデリカとエリザに模擬戦の相手を務めることの承諾を取っている。
「承知致しました」
「もちろんです」
当然2人に拒絶できるはずもなく、即答で応じている。
ルクレツィアとファルラは問答無用ではなく、きちんとフレデリカとエリザの了解を取るソルの在り様にも驚いた。
どうあれ拒絶などできるはずなどないということを置いても、絶対的な強者が弱者に対してそういう振る舞いができるというだけで正直なところ尊敬できる。
そんなことをする必要などなく、問答無用で「こうしろ」と命じたところで、何人たりとも逆らうことなどできないからこその強者なのだ。
その強者がそう振舞うということは、少なくとも力でどうにでもできる相手であっても、できるだけ互いに居心地のいい関係を構築しようとしているということだ。
弱者にとって、強者がそうあってくれるだけで本当にありがたいのだ。
それがたとえ、おためごかしに過ぎないとしても。
つい最近まで人に虐げられ続けてきた亜人種、獣人種であるルクレツィアとファルラにとっては、きれいごとではなく実感としてそう思えてしまうのである。
だがそれ以上に驚いたのは、フレデリカとエリザの様子である。
あるいはソルに対する絶対的な信頼故なのかもしれないが、2人共にした即答から、躊躇いや怯えといったものが一切感じられなかったのだ。
力を取り戻す前の自分たちが、人間の能力者――正規兵や冒険者――と模擬戦を行えと言われれば、虚勢を張るにせよ正直なところは怯えずにはいられなかっただろう。
もちろんその場合の相手は嗜虐性に基づいてその発言をしていることは疑いなく、いたぶられることが確定しているという絶対的な差があるのは確かだ。
だがそういった戦闘力とは別の、立場としての格の差ゆえに安心している訳ではない余裕を感じられたのだ。
市井で暮らす者たちが自分たちを弱者と見做すのであればまだしも、絶対者の側近たちであるからには外在魔力が再び世に満ちた今の状況で、亜人種や獣人種――いわゆる魔導生物たち――がどれだけ強者となっているかを知らぬはずがない。
それでもそんな余裕を持てるということは――
「……冒険者歴が長いリィンとジュリアより、つい最近まで戦闘経験なんてなかったフレデリカとエリザの方が、わかりやすいよね?」
「……なるほど」
「それは確かにね」
「どうして私たちじゃないの?」などとソルに訊いているリィンとジュリアに応えるソルの言葉もまた、ルクレツィアとファルラの「まさか」を補強している。
それを聞いてあっさり納得している、トップ冒険者であるリィンとジュリアもまた。
ソルはルクレツィアとファルラが本気の模擬戦を行えば、ただでは済まないと判断していた。
戦いとは同レベルの者の間でしか成立しえない。
だからこそ怪我もするし、模擬戦とはいえ強力な能力者同士が本気でぶつかれば、死に至ることすらも絶対にないとは言い切れない。
本気で自身の戦闘における有用性、能力を示そうとするのであればなおのことである。
そうならないように、ソルがフレデリカとエリザを模擬戦の相手に選んだ理由。
それはルクレツィアとファルラが最初に混乱したとおり、あまりにも彼我の戦力が乖離しているため、戦いにもならない中で存分に能力を見せろという意味だったらしい。
ルクレツィアが考えていたとんちなどではなく、強者と弱者の立ち位置が逆転していたというだけに過ぎない。
つまり少なくともソルはフレデリカとエリザの2人を、ルクレツィアとファルラにやりたいことをすべてさせた上でも、傷一つ負わないほどの圧倒的強者だと見做しているということに他ならない。
「……主殿。銀虎族の娘とやらの相手は、我がするわけにはいきませんか?」
そのことを理解して思わず絶句しているルクレツィアとファルラ――特にファルラにとっては青天の霹靂というにも生温い、死刑宣告にも等しい言葉が『全竜』から発された。




