第209話 『僑軍孤進』⑦
つまりラルフの認識内ではほぼ一万もの剣閃をきちんと意識し、くまなく『門番』の全身を捕捉して発動したということだ。
その高速処理に脳が沸騰するような錯覚に襲われ、一瞬で瞳は微細な揺れを実に約一万回も繰り返している。
当然コンディションやタイミングにより多少は前後するが、現状では約1万が発動可能な上限値である事は検証できている。
もちろんそんな離れ業など、多少レベルアップしていようが人が生身でできることではない。
『累』の発動時に全身に技の効果として適用される『瞬動』を、意識して脳――意識や思考へまで展開させた応用を以て、無理やり実現させたような形だ。
ラルフだけではそんなことを思いつけもしなかった。
そもそも万の剣閃を一撃となして叩き込もうなどという発想は、ソルの『プレイヤー』によって毎夜2万近くの積み上げが可能になったればこそだ。
『零式:改之一【万雷】』
『零式:改之二【千駆】』
『零式:終之型【全】』
瞳を輝かせて次々とアイデアを出しまくるソルと試行錯誤した結果、実用に耐えうる「新技」となったのはその3つ。
そのどれもが『瞬動』を応用した高速思考、ソルが命名したところによれば『思考加速』をその成立の大前提にしている。
ちなみに現状でラルフは『万雷』であれば数回、『千駆』はなんとか1回の発動で脳の処理耐久力が限界を迎える。
ありていに言えば気を失うのだ。
『全』については思いついただけで、訓練どころか試せてもいない状況である。
それでもなお、『無限剣閃』×『プレイヤー』の相乗効果は凄まじい。
その実証を今、人が千年倒すこと能わなかった敵を排除することによってラルフはなさんとしているのだ。
周囲を一瞬で染め上げた純白の魔導光が薄れ、轟き亘った炸裂音が収まってゆく中。
再びラルフやエメリア王国の精鋭たちの視界に映る、『万雷』の直撃を喰らったはずの『門番』は微動だにしない。
「やった…………か?」
この静止が被弾硬直に過ぎないのであれば、秒も持たずに再び動き出すはずだ。
それはラルフ自身が1度目、2度目の挑戦で嫌と言うほど理解している。
ラルフが内心で「あ、死亡フラグみたいな台詞を言ってしまった」と思ったと同時、それを見透かしたように『門番』の巨躯が轟音と共に再び動く。
だがそれはラルフが心配したような、その台詞を言った場合は絶対に「やっていない」というお約束を果たすためではなく、地にその巨躯を崩れ落ちさせる動きと音だ。
膨大な砂ぼこりと共に地に伏して動かぬ『門番』を前に、だがまだ誰も快哉を上げたりはしない。
迷宮の階層主の中には、一度倒れたように見えてそこから「第二形態」に移行するという、嫌がらせと言うにはエグすぎる致死行動を取るタイプもいることを、ここにいるみなは知っているからだ。
そんなひりつくような緊張感の中、ラルフが「ここにソル君がいてくれたら、一瞬ではっきりするのになあ」と緊張の中思考した刹那。
ラルフの身体が、能力者であればお馴染みの光に包まれる。
劇的に素体を強化する成長――レベルアップが発生したのだ。
それはつまり、間違いなく『門番』をラルフが倒したということに他ならない。
誰もが沈黙を守ったまま、ラルフのレベルアップに伴って発生する魔導光を凝視している。
それがほんの数秒で消え去ってもまだ、だれも咳一つ立てられないままだ。
誰もが、今自分たちの目の前で起こっている事実を現実として受け入れられないのだ。
事実だけを言えば、新技のたった一撃でこの千年、誰も倒すことができなかった『門番』を撃破してのけた『英雄』とともに、この場にいるという現状を。
ラルフ自身もまだ実感など伴うはずもない中、それでも軍の象徴、最強の偶像として、今この場で自分がやらねばならないことくらいは理解できている。
ゆえにラルフは腰に佩いたままであった宝剣を抜き、一度その切っ先を天に向けた後、まっすぐに倒れ伏した『門番』へと向ける。
それは倒したという宣言と同時に、その骸の向こうに広がる広大な『巨大地下空間』の攻略を、今この瞬間から開始するという意思の表明だ。
それを機に、この場にいるすべての者たちから爆発的な快哉が上がる。
千年の不可能を覆した『英雄』の力になれたというだけで、この場にいる精鋭たちはこの上なく誇らしいのだ。
老将軍と、技術者集団を束ねている老技術者は涙ぐんですらいる。
まだ若かりし頃に己らの力及ばず、この場で命を散らした同僚たちに想いを馳せて。
それを見ながらぼんやりとラルフは考えている。
自分が赦せないと思う事を、そう口にして実際にさせないだけの力を持つ。
それこそが「強さ」だとずっと思ってきた。
今日その理想へ、やっと半歩踏み出せたような気がする。
ソルという協力者がいてくれてこそのことだとはいえ、その感謝の気持ちを忘れさえしなければ、初めてもう一度本気で自分は笑ってもいいんじゃないかと思えたのだ。
どれだけ力をつけたところで、今更ラルフから心からの笑顔を奪った、あの日の惨劇をなかったことになどできはしない。
だが二度と同じ事が他の人に起こらないようにすることくらいは出来るようになれるかもしれない。
神が「立入禁止」を定めた場所へ、今日人は人の力で踏み入ることに成功したのだから。
だがその行為は、神が定めたこの世界の理――つまり正しさを崩す、まさしく不正行為。
その発生を見逃さぬ存在が、この世界には確かにいるのだ。
名付四大迷宮の最終封印門の向こうに『門番』を配し、すべての迷宮の第九階層にほぼ同等の魔物を千年前に配した「行き止まり」を演出したその黒幕。
世界宗教たる『聖教会』の教皇庁。
その最奥において『旧支配者』たちが、ラルフが『門番』を倒したその瞬間、数百年ぶりに覚醒したのだ。
己が存在意義たる、『岐神封滅』を執行するために。




