第204話 『僑軍孤進』②
「あと30分程度ですべて完了いたします」
「急がずともよい。万が一にもミスの無いよう、慎重を第一に進めよ」
「は! 承知致しました!」
いかに将軍職にあれど、対魔物戦闘においてこの老将軍――ラルフの直上の上司は自分が部下に遠く及ばないことをよく承知している。
故にできることは万全の準備を整えることだけであり、後は『無限剣閃』とそのバックアップ部隊に任せることしかできない。
上司だからという理由だけで、専門家に余計な口を出すほど有害なことはない。
その専門家たちを暴走させぬように手綱を握りつつ、その制御下で最大限の力を発揮できるように状況を整えるのが「管理職」の仕事であると承知しているのだ。
王立軍全軍を指揮する最上位に在りながら、冷静にそういう判断もできるからこそ就けた要職であり、エメリア王国の秘匿戦力である『無限剣閃』の運用を王家から任されている理由でもある。
だが今回は基本的に安全を優先するはずのラルフの方から言い出した再挑戦であり、王を熱心に説得したのもラルフ本人なのである。
その際に自身で開発したという「新技」の存在を王以下側近たちには告げており、それによってこの千年開かなかった巨大地下空間への本当の扉――『門番』の撃破に三度、挑戦したいと望んだのだ。
それが成った暁には『巨大地下空間』の攻略計画を自分に一任してくれるように申し入れ、その際のメンバーもすでに王家にまで通している。
そのための「事前訓練」と称して王家管轄の秘匿迷宮を一つ丸ごと王家から賜ってもいて、王家も軍上層部もその常のラルフらしからぬ「図々しさ」から、今回の挑戦の成功率の高さを感じ取っている。
先日、王立学院で発生した事件。
そして「事前訓練」とはとても思えない、下賜された秘匿迷宮の攻略進捗度。
特に前者については専用の「訓練の場」まで用意せねばならないそれらの事実や実績が、上層部の期待をもいや増しているのは紛れもない事実だ。
少なくともラルフ本人は勝算が高いと判断しているからこそ、それだけ値を釣り上げた報酬を要求してきているのは間違いない。
となればエメリア王国としては、それに乗らない選択肢などありはしない。
『門番』へ一度挑戦するためだけに、どれだけの人材と時間と金がかかるかを充分に理解したその上でもだ。
エメリア王家の悲願である『巨大地下空間』の攻略を進めることが本当にできるのであれば、ラルフがたとえ第一王女――ラルフと同じ歳であるフレデリカ・トゥル・ラ・エメリアを妻にと望んでもそれに応えることだろう。
そのフレデリカがこの事実を知らされていれば自分からラルフに言い寄る可能性も高いだろう。
だが残念ながらこの時点のフレデリカはなにも知らされていないし、ラルフの本当の願いは高貴な立場の美女でも、それどころか富でも名声でもないのだ。
かといってソルのように浪漫あふれる「すべての迷宮の攻略と、すべての魔物支配領域の開放」などという、物語の主人公のような壮大なものでもなく、わりと平凡でありながら、その難易度でいえばソルのそれに勝るとも劣らない望みを己が生涯の夢として抱いている。
その夢を叶える方法としても最も現実的だと判断しているからこそ、ラルフは軍属という立場を自ら選択しているのだ。
その結果、冒険者ならざる立場でありながらも危険を冒して、ソルの望みの最たるものと言える「四大迷宮の一角」に挑むことになっているのは随分な皮肉かもしれない。
それが可能となる理由が、ソルの『プレイヤー』による支援である事も含めて。
名付迷宮、あるいは大陸四大迷宮。
それらが実は大陸四大強国の首都、そのそれぞれの城の地下深くに存在していることを知っている者は極少数に限られている。
各国の王家や皇室といった中枢と、それに近しい上層部。
軍でいえばごく限られた最精鋭たちが、厳重な守秘義務を課せられた上でその驚愕せざるを得ない所在地を知らされている。
それ以外では世界宗教である『聖教会』と、世界組織である『冒険者ギルド』の最上層部の幾人か程度である。
それはそうだろう。
その国で一番安全だと思われている王都や皇都が、実は最も恐ろしい迷宮の真上だと知ったとしたら、そこに暮らす者たちが虚心でいられるはずもない。
政治だけではなく軍事と経済の中心地でもあり、それゆえに地価もその国では最も高く、人口も最大なのが王都や帝都というものだ。
貴顕たちが集中する首都が首都たる大前提――最も安全な場所であるという妄信を吹き飛ばすような情報である以上、どの大国も遷都など望むべくもない現状では秘匿されて当然なのだ。
四大大国の首都を首都たらしめている――そこに暮らす人に安心を提供しているのは、共通している強大な城壁である。
その四大国家全てで奇妙に似通った城壁こそが、この世界における最大の時代錯誤遺物と言っていいだろう。
当然人の力など歯牙にもかけず、小型の魔物はもちろん、領域主級からの攻撃すらそう易々とは通さない。




