第194話 『火樹銀花』③
「そりゃそうだ。だから食事が運ばれてくるまでに説明しておこうと思う。まずはこれを受け取ってくれ」
そしてその説明を、ラルフはきちんとしてくれるつもりらしい。
そう言ってラルフは器用に大理石の豪華な机の上に、8枚の黒いカードを滑らせる。
まるで手品師の如く全員の席の位置にぴたりとそれらを停止させ、皆が手に取ったのを確認して説明を開始した。
「そのカードはエメリア王国がすべての支払いを保証するカードで、君たちは今後、金貨や銀貨を持ち歩く必要はなくなる。買い物、食事、宿泊、その他諸々、すべての支払いそのカードで処理された額を、店から銀行へ請求される。さすがに国外や辺境の村落では通用しないが、まあ王立学院の生徒である間は心配することもないだろう」
今ラルフから配られたカードは、冒険者ギルドにおける「冒険者証」の軍バージョンとでも言ったところだ。
特殊な魔物素材をカード状に加工したものに、名前をはじめとした個人情報が魔導文字で記されている。
個々人それぞれが固有波形を持つ内在魔力を任意の指紋と共にカード自体に記憶させ、身分証明兼各種支払いに使用できるというとても便利な代物だ。
当たり前のように千年以上前から存在しているため、誰も今更その高度過ぎる機能についての疑問を持ったりはしない。
だがこの世界の技術レベルはどう考えてもいびつだ。
特に魔導技術の分野ではそれが顕著であり、人は世界を狭くしないという限定された範囲とはいえ、時代錯誤遺物ともいうべき技術の恩恵を当然としている。
そうであってすらなお、現代は千年前よりも確かに後退しているのだ。
あたかも何者かが「かくあれかし」と設定でもしたかのように。
その何者かとやらが本当に存在するのであれば、それはまず間違いなくこの世界に迷宮と魔物支配領域を生み出した者と同一と見ていいだろう。
さておき。
指紋を記憶させる場所に張られている封魔紙を剥がし、そこへ任意の指先を押し付けるようにラルフに指示され、皆がそれに従う。
利き腕の親指か人差し指を選んだ者がほとんどだが、なぜか小指を選んだ者もいる。
能力者として魔物との戦闘を繰り返す以上、指の欠損はあり得ないとは言えない程度の負傷だが、その際はどうするのかを少しだけだがソルは気になった。
結果として自らの内在魔力を以てその位置に指紋が刻印され、魔力が通っている間だけカードに記されている情報が浮かび上がる。
魔力が通っている間は印鑑のように自分の指紋を魔力刻印することも可能であり、支払いの際に店が起票してくれる支払い依頼書にはそれを使用するとのこと。
魔力を通していない通常時はただ艶のある美しい漆黒のカードでしかないので、他人が入手しても悪用することなどできないというわけだ。
「それって、国が俺たちの支払いを全てしてくれるってことスか?」
まだ驚いた顔をしているマークの質問はもっともだ。
ロス村出身者たちは、自分たちが今この時点で自分たちがそれほどのお金を持っているという感覚などないのだから。
「いやそうじゃない。そのカードには今後、俺たちがあの迷宮の攻略を進めた際に倒すことになる魔物素材や迷宮拾得物、それらに対して国から支払われる報酬をきっちり9等分した額が記録される。使った金額はそこから引かれる仕組みだな」
マークの疑問に答えたラルフの言葉に、今度はルディたち2年生組全員が驚きの表情を浮かべている。
ラルフとパーティーを組めるようになったことは、今日迷宮へ向かう前にされた説明で喜びと共に理解している。
実際に魔物の前に共に立ったのだ、そこは今更疑う余地もない。
1年間王立学院で学んできたからには、それに伴って魔物討伐の報酬などが支払われるだろうことも予想はついていた。
だが一応はという程度の学生としての軍属扱いではなく、明確な佐官級の部下として扱われる以上、その報酬がきっちり9等分になるなどとは思っていなかったのだ。
確かに今日に限れば、ラルフはなにもしていない。
だが今後もずっとそうだということは、国家級戦力である『無限剣閃』と共に行う専用迷宮の攻略報酬が、等しく支払われ続けることになる。
それがどんなとんでもない金額になるのかを、2年生たちは理解している。
だからこそ硬直せずにはいられなかったのだ。
「それではいくらまで使っていいのかがわかりませんが……」
だがそんなことなど、まだわかるはずもないアランの言葉はもっともだ。
迷宮攻略に伴う魔物素材や迷宮物資の取得がとても儲かることくらいは知っていても、具体的な金額などまだ知るはずもないからだ。
「銀行に持っていけば教えてくれるよ。心配しなくてもトップクラスの魔導武装を買うとか、上等な馬とか不動産を取得するとかでもしない限り、足りなくなるようなことはまずないよ」
「とは言われましても―」
「不安になるよね」
さらりとすごいことをラルフが言っているが、ジュリアもリィンも、だったら大丈夫かとは流石にならない。
伊達に辺境の寒村で暮らしてきたわけではないのだ、トップクラスの魔導武装や上等な馬、王都における不動産などと言われても、それらがお高いのだろうな、ということくらいしかわからないのも仕方がないだろう。




