第182話 『仰望』⑤
「申し訳ないけど、食堂へ行くのは少し待ってもらっていいかしら? ちょっとお話があります」
だが気配なく至近距離にまで近づいてきていたフェリシア教諭に突然話しかけられて、全員が予想外のことに素で驚いた。
「センセー、ソルだけですか?」
それでもマークが代表して聞き返したのはなにかを勘ぐっているわけではなく、ソルの調子が悪そうだから後にできないか確認しようとしたためだ。
「いいえ、マーク君。アラン君、リィンさん、ジュリアさんも一緒に残ってください。これは王立学院からの正式な指令扱いですから従ってもらいます。他の人たちは速やかに教室から出てくださいね?」
だが笑顔ながらも真剣なフェリシア教諭の言葉に、マークだけではなくアラン、リィン、ジュリアの全員が黙り込む。
担任が話しかけていることに対して興味深げにソルたちの方を窺っていた級友たちも、「正式な指令」という文言を耳にして誰もが速やかに教室から退出した。
ここは王立学院なのだ。
学生であるよりも先に軍属であることが優先され、上官――教師からの「命令」、「指令」に対しては従うことを徹底的に義務化されている。
それは王立学院に入学する際に自分の意思で必ず結ばねばならない契約であり、従わなければ退学にされてもなんの文句を言うこともできない。
その契約と引き換えに3年もの間、無償で上等な教育と市井の暮らしとは比べ物にならないくらいの贅沢を享受できることが保証されているのだから。
巨大組織とは、自らが支配できない力など必要とはしない。
支配できないのであれば、その力を排除しようとするのが巨大組織というものなのだ。
正式な軍属ではない分、命令に逆らったとしても最悪でも「退学」で済むあたり、エメリア王国はまだ国民に優しい国だと言えるだろう。
「凄いわね君たち。入学から数日で王立軍上層部から直接声がかかるなんて、私の上官以上……っていうかエメリア王国史上初じゃない? みんなの中の誰かが私の上官になっても優しくしてね?」
他の生徒が全員退出したことを確認して、フェリシア教諭が口を開く。
その様子は昨日今日見せていたいかにも教師然としたものではなく、年上の女性としてではあれどもどこか同僚に対する様な気安さが滲んでいる。
だがそんなことよりも、ソル以外誰も予想がつくはずもない発言内容にあっけにとられ、さすがに全員が手を組んで額に手の甲を当て、俯いて言葉を発さないソルに注視せざるを得ない。
勘が鋭かろうが鈍かろうが、入学直後に担任――というよりも軍属の人間から自分たちがこんな言葉をかけられるようになる原因など、ソルだとしか考えられないからだ。
「それだと俺が先生に優しくないみたいに聞こえるじゃないですか。遺憾の意を表明するとともに、訂正を求めます」
「ラルフさん……」
だがさすがにこのまま無言を貫くことも出来なくなったソルを救ったのは、ある意味においてはこの状況を生み出した当の本人――『無限剣閃』ラルフ・ヴェルナーだった。
ほっとしたような表情を浮かべるソルに、悪戯が上手く行った時の子供のような邪気のないくせに悪い表情を浮かべながら、ラルフが教室へ入ってくる。
「無限剣閃!」
「生徒会長……」
マークが思わず通り名を叫び、アランも突然現れた大物に絶句している。
一方でソルの様子がおかしい理由が、昨夜そのラルフと2人で「悪さ」をしたせいだと半ば以上確信していたリィンとジュリアにはさほど驚いた様子がない。
「はっ! 失礼いたしました! ラルフ特務千人隊長殿は小官に対して、常に優しく接してくださっております!」
「せ、先生?」
「!? ???」
だがその女性陣2人も、ラルフに対してフェリシア教諭が見事な敬礼をして見せた上での回答内容には驚きを隠し切れない。
いかにフェリシアが若かろうが、子供から見た「先生」という存在は絶対者なのだ。
それがいかに音に聞こえた『無限剣閃』が相手とはいえ、遥か格上の上官に対する態度をとっているのを目の当たりにすれば、混乱するなという方が無理だろう。
これにはマークやアランのみならず、さすがにソルも驚いている。
「それに、俺たちの正体を明かしていいのはソル君にだけで、ルディたち生徒会役員とソル君の幼馴染たちには許可が下りてないんだが……」
だがそんなロス村5人組の動揺などどこ吹く風で、ラルフが溜息をつきながらフェリシア教諭のやらかしを指摘している。
昨日の今日の話なので、命令伝達が正しくなされていなかったらしい。




