第180話 『仰望』③
「…………ソル、あなたまさか」
「ソル君?」
もともと勘の鋭いジュリアと、ここ最近とある事情により、より一層ソルを観察するようになっているリィンの2人が、内心に大量の、実際にはごくわずかの汗をかいていることに気付いて呆れたような、どこか畏れたような声で確認する。
呆れは「入学早々なにやってるんだか」という至極もっともなモノ。
そこにごくわずかに含まれている畏れは、まさかソルがはやくも他の誰かと組んでしまうのではないか――自分たちが見捨てられるのではないかという怯えによるものだ。
マークとアランにはない、気付いている者ゆえの焦りである。
つまり女性陣2人は、この時点で昨夜の事件にソルが関わっていることを確信に近いレベルで疑っている。
それもソルの様子からして「巻き込まれた」のではなく、自らが「やらかした」立ち位置だろうこともほぼ間違いない。
その上でソル自身には戦闘能力がないことをよく知っているリィンとジュリアからすれば、確実に自分たち以外の「共犯者」がいることもわかってしまったのだ。
だがソルは少し引き攣ったような笑顔を浮かべるだけで、何も答えない。
2人はその様子から、間違いなく昨夜の事件にソルが関わっていることを確定した事実と見做した。
「はい、全員席につきなさい」
だが問い詰めるべきか、気付かぬふりをするべきかの判断がつかないリィンとジュリアを救うかのように、教室に入ってきたこの冒険者科の新1年生担任教師がそう告げた。
誰もが教師の指示に従って席に着く中、リィンがソルを心配そうに見つめている。
ジュリアはそのリィンを気遣いながら、マークとアランはわけがわからんなというジェスチャーをしてそれぞれ適当に席に着く。
「とは言ってもまだ入学3日目で申し訳ないのですが、今日明日の2日間は臨時休校になります。そのまま週末に入ることになりますから、その4日間は全員に外出許可も出ています」
生徒全員が席に着いたことを確認して、教師は授業を始めるのではなく現状についての説明を開始した。
まずは校舎の復旧が優先されるのは当然だろう。
王都の総力を挙げてであれば、僅か4日間でそれは可能ということらしい。
外出許可までつけて、生徒たちはその邪魔にならないようにと教師は言っているのだ。
この教師の名はフェリシア・アステルメイヤー。
いわば国力増強に直結する冒険者科を受け持つような人材は、もちろん自身もエリートである。
年齢はまだ若く22歳。
水色の瞳と髪を持ち、細身だが均整の取れた体躯をしている。
背こそそんなに高くないが、見た者誰もが一目で可愛い「女の子」ではなく、綺麗な「女の人」と見做すであろう美しい女性だ。
初日に互いに自己紹介を済ませているソルたちのその担任は、いまだ歳若い女性でありながら『水切』の通り名を持ち、王立軍に籍を置く高名な能力者なのである。
冒険者として活動していれば、A級認定は間違いないだろうともいわれているほどであるが、軍属である以上一般人にはその名を知られる機会は少ない。
にもかかわらず彼女が通り名を得たのは、国境付近での小競り合いや同盟国と合同での大規模魔物討伐戦の結果なのである。
どういう仕組みなのか、常にその身の周囲に澄んだ水球をいくつも浮かべている。
その姿は水球と合わせて玲瓏と表現してもけして大げさではなく、冷たい印象を与えるにもかかわらず、初日で魂を奪われてしまった生徒も少なくない。
ソルは入学式の夜に『無限剣閃』と知り合っていなければ、この担任教師の能力に夢中になっていた可能性が高い。
常時展開型の技、あるいは魔法を持つ能力者は相当に希少であり、その仕組みを「プレイヤー」で解析することはソルにとってかなり優先順位が高い。
もっとも今はそれどころではない状況になってしまっているのだが。
「それとみなさんが1番興味があるでしょう昨夜のアレ……この教室の窓硝子もすべてなくなっちゃった事件についてですけれど――」
今日から厳しい授業が開始されると思っていた生徒たちが予期せず与えられた連休に歓声を上げる中、その美しい顔に困ったような表情を浮かべながら誰もが今最大の興味を持っている話題に触れる。
現金なもので「静かにしなさい」と言われるまでもなく、誰1人例外なく自ら私語を慎んでいる。
誰もが興味がある話題の情報をせっかく教師側から提供してくれるというのに、私語を続けて周囲に疎まれる愚を犯す者などいないということだ。
「我が王立学院一の有名人、3年生の生徒会長、ラルフ・ヴェルナー君。『無限剣閃』の新技訓練中に起こった事故だそうです。怪我人は1人も発生していません。だからみなさん、心配しなくていいですよ」
妙にしんとした教室に、枠だけになってしまった窓から春風が吹き込んできている。
その風と共にどこか遠くから聞こえる鳥のさえずりをかき消して、さらりとフェリシア教諭が告げた内容を理解した生徒たちがあげる驚愕により、瞬間で教室は沸き立った。




