第015話 『召喚』③
もっとこう「我が力を望むのであれば、汝のすべてを差し出せ」みたいな「力が欲しいか」系を覚悟していたソルは、その声の響きもあわせて拍子抜けした。
というか絵面と声、その内容の乖離が甚だしすぎる。
いや巨大な質量が左右に移動する気配と、その度に光に照らし出されている範囲に入っていない巨大な鎖が発しているであろう音が、この竜がその巨大な尻尾を振っている結果であれば絵面も相当にひどい。
いきなり喜劇めいた展開に引きずり込まれたような違和感。
だがその可愛らしく響く巨竜の声が、僅かに震えていることにソルは気付いていた。
どこか媚びたような響きも、必死でなにかを堪えているがためにも聞こえる。
例えるのも失礼な話ながら、王立学院時代にアランをめぐって修羅場を繰り広げた女生徒たちが、激高する寸前に見せていた声色とどこか似ている。
『もしも……もしも御身が我を下僕とするのはならぬと申されるであれば……せめてこの場で我に死を与えてはもらえまいか』
当たって欲しくなかったソルの予感は、最悪のカタチで当たってしまったようだ。
声の震えは大きくなり、言い出した内容もとんでもないことに変じている。
というか片目と片角、双翼を奪われ封印されているとはいえ、どうやってただの人間であるソルに己を殺せと言うのかこの巨竜は。
『慈悲を……』
もはや声の調子は外れ、恐怖というよりも狂気を孕んだ響きを伴って縋りついてくるかのようになり果ててしまっている。
あまりに急すぎる展開に、ソルの思考も流石に追いつけない。
『もう我は無理! 戦って負けた上の事なればすべてを受け入れることは当然のこと。だがせめて殺してくれ。力を奪われ身動きもできず、なにも見れずなにも感じない! それでありながら死ぬことはもちろん、狂うことも眠ることも出来ず千年! これがこの先永遠に続くなど無理! もう無理なのだ!!!』
最初の念話の如く、再びソルの脳内で割れ鐘の如く抑制を欠いた絶叫がなされる。
――千年!
その叫びに頭を割られそうになりながらも、ソルはこの巨竜が自分の想い描いていた超越者像とは大きく違ってしまっている原因を理解した。
本当に何者かに負けてこの地に封印されることになったという事実にも驚いたが、この巨竜がこうなってしまった原因は敗北などではない。
千年にわたる真の孤独。
竜は数千年ものの寿命を持つと言われ、種によっては不死とさえ言い伝えられている。
この巨大な黒竜もただ孤高の生命体として孤独に千年を生きるだけであれば、それを当然のこととして気にも留めず、誇り高く己の生を全うするだろう。
あるいは己の力が及ばず何者かに敗北を喫したのであれば、敗者として死ぬことも潔く受け入れたはずだ。
だが敗れたこの黒竜に強いられたのは封印。
しかも魂がひしりあげるような先の慟哭から察するに、無数の鎖に吊られたこの状態のまま、ほとんどなにもできない状態で千年間も放置されていたということになる。
ソルは心底からぞっとした。
自分だったらとても耐えられない。
いやこの黒竜にも耐えられなかったのだ。
だが耐えられなくとも無慈悲に粛々と生き地獄は継続される。
死ぬことも狂うことも、眠る事さえ許されず完全な孤独の中で思考のみを強いられる。
ソルはこれ以上の罰はあるまいと思う。
永遠の生や絶対の終焉である死にも揺るがなかった己の在り方が徹底的に圧し折られる。
矜持や尊厳など、真の絶望の前に垂らされた希望の前にはなんの価値もないのだと、ほかならぬ自分自身の心を以ってこれ以上なく思い知るのだ。
『あ、あああ、ああああああ、消える、消えてしまう。頼む殺して、コロシテください。千年に一度こんな希望を与えられてまた次の千年を耐えるなどもう……もう、ああああああ』
怖気だってないも言えないままでいるソルと黒竜を繋ぐ鎖の光が弱弱しくなってゆく。
それを目にした黒竜は恥も外聞もなく、せめて終わりを与えられることを望んで絶叫をあげた。
「落ち着け!」
念話などどうしていいかわからないので、先ほどと同じく自分の声で叫ぶ。
だが今ソルはこの黒竜の主たるべく、その言葉使いを普段のものからあえて変えている。
確かに背筋が凍った。
これがもし自分だったらと思うと同情する気持ちももちろんある。
この黒竜だけではなく他の手札に描かれていた存在たちもみな似たような境遇だというのであれば、そんなことを平然と行える神の如き存在に対する憤りのようなものもわく。
だが。
自分が人でなしであることを自覚しながら、今ソルの中に芽生えている一番強い感情は歓喜に限りなく近いもの。
――都合がいい。
これだけの存在を己に完全に服従させる、いや依存させることすら可能なこの状況は、普通であれば叶えることのできない夢を追い続けるソルには願ってもない機会。
この状況を設えてくれた存在に対して、人として当然かくあるべき憤りなど簡単に消し飛ばしてしまうほどの圧倒的な利益。
「僕の名前はソル・ロック。この世に存在するすべての迷宮を攻略することを望む者。永遠の地獄に封印された漆黒の巨竜よ。お前は僕の全ての命令に従う従僕である事を誓うか?」
『御身が我が主となってくれるというのならば、あらゆることに我は従おう。それが己の死であってもこの約を違えることはない』
自分がそんな表情を浮かべているとは自覚できていない邪悪な表情でソルが叫び、地獄に垂らされたその救いの糸がどのようなものであれ飛びつくことしかできない黒竜は即座に大音声で応える。
ソルの目にも、黒竜の巨大な片目にも、互いの欲望を叶えてくれるかもしれないという期待に満ちた欲望の焔が隠すべくもなくギラギラと燃え上がっている。
お互い、絶対にこの機会を逃すわけにはいかないのだ。
ソルと黒竜、その両者間においてはいわゆるウィンウィン――プラスサムゲームと言える。
だがソルと黒竜を内包した世界がゼロサムゲームで成り立っているとすれば、この主従契約によってマイナスを与えられるのは誰になるのか。
それは今の時点ではまだわかりはしない。
『我が名に誓って御身に従属することを誓う。我が名は全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア! 真名はルーナ。御身が我が真名を呼び、我が魂を縛り、我が主とならんことを希う!』
――邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア!
黒竜がこの契約を絶対のものとするために、己が表名と真名をソルに告げる。
その名はソルが「竜」という存在を力の象徴と看做す理由となった、とある神話に登場する邪竜のものと一致していた。
邪竜とは後の世の人がつけたものとみえ、自身は全竜と名乗ってはいるが。
「僕の忠実な従僕となれルーナ! 全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア!!!」
その存在を支配し己が従僕とできる歓喜に震えながら、ソルが本竜から告げられた真名を呼ぶ。
それと同時、ソルと黒竜を繋いでいた鎖の白光がいっそうその輝きを増し、数え切れぬ鎖に縛られた黒竜――邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアの痛ましい全身を一瞬だけ照らしたのち、再び真の闇となる。
「……ありがとう」
その後、今度は念話ではなく実際の声、先ほどまで聞こえていたとおりの少女の声で感謝のささやきが聞こえ、ソルは胸の上にあたたかなナニカの存在を感じる。
気付けばソルは『召喚 -One time only-』を起動した瞬間となにも変わらず、自宅地下の隠し部屋の中、自分の椅子に座していた。
ただし正面からソルの胸にその小さな頭を埋め、尻尾をぶんぶん振っている片目片角の褐色獣人系美少女がしがみついているという変化はあるのだが。
――ええ……これが邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア、その従僕バージョンなの?
特にロリコンでもないソルにしてみれば、かなり騙された気分で『召喚 -One time only-』を終えるカタチと相成った。




