第149話 『魔王アルシュナ』②
自分たちの力でどうにもできないものに文句を言っても始まるまいが、とルーナなどは思うのだが、人とは「どうにかできそうな者」に対して無責任にどうにかしてくれることを望むものなのだ。
神なき世界に動物として生まれてきた以上、ただ人だというだけで保障される権利などただの一つもありはしない。
にもかかわらず、なぜか動物の中で人だけがそれを声高に叫び、人としての最低限の権利とやらを保証してくれると錯覚させてくれる者の支配を受け入れるのだ。
竜たるルーナに言わせれば、人は生き物として狂っている。
戯言というにも酷すぎる。
この世界において知恵持つ生物は人間だけに限定されていない以上、その狂気は人特有の宿痾と言うべきものだろう。
だからこそ人の世界を支配し、平和を――大繁栄を与えようというのであれば、外せない部分でもあるのだ。
事実、もしここで『魔大陸』を処理せずに後日被害が発生すれば、人間どもは自分たちではどうにもできなかった事実など棚に上げて、今ここで見逃したソルの「責任」を追及して喚き散らすことは間違いない。
滅ぼす相手であれば戯言を口にした報いを存分に受けさせてやればそれで済むが、己が主は可能であれば「理想的な人間の世界」を実現させたいと思っていることを、すでにルーナは理解している。
その本質は王族であるフレデリカの想いを主が汲んでいるのだということも理解しているが、主が大切にしている相手の願いを尊重するのは従僕としては当然のことでもある。
ソルにしてみれば当然フレデリカの願いも大きいが、その根底にあるのは王立学院時代に世話になった、とある先輩の夢だった理想を叶えたいという方がより大きい。
魔物たちにはもちろん、それ以上に同じ人間であるはずの隣国の軍や傭兵団崩れ、山賊などによる略奪と蹂躙に怯えて暮らしている辺境の人々が、平和に笑って暮らせ、頑張っただけ報われる世界。
それを願って叶えられなかったその先輩の夢を、可能であれば継ぎたいと思っている。
貸しや借りではなく、ただその先輩のことをソルは今でも尊敬しているがゆえに。
どちらにせよ、今の時点でソルは可能な限り人の世界の安全と発展を望んでいることには変わりはない。
ソル自身の譲れぬ夢である「すべての迷宮を攻略し、すべての魔物支配領域を解放する」の障害にならぬことが大前提であるとはいえだ。
ゆえにこそルーナは今、主の考えを理解した上でなおその危険性を指摘したのだ。
ソルもルーナに答えたとおり、その危険性を理解はしている。
さてどうしたものかと考えあぐねていると、『魔大陸』が新たな行動を起こし始めた。
魔大陸そのものが貯蔵しているであろう膨大な魔力と、再び世界に満ちている外在魔力を吸収し、それらを使用して膨大量の積乱雲を発生させ、自らの守りとして展開させ始めたのだ。
『魔王』がどこかに存在している以上、人を滅ぼすべき矛は失われても盾ある限り自己を保全し、主と千年ぶりに相まみえることを望むかのようである。
ソルとルーナに滅ぼされた、あの淫魔のように。
至近距離にいるがゆえに、発生し始めた台風の目の位置でソルは悩む。
「♪~」
ここで逃がせば人の世の脅威になることは明白であり、その動きに反応して妖精王が上空に召喚し始めた大魔法――『星墜』を発動させれば、いかな『魔大陸』とて砕き墜とすことは可能だろう。
発生する自然災害は、先の暴風と大津波のようにアイナノアが処理してくれる。
だが「よく知らない人たちの安全のために」この『魔大陸』を失うのはあまりにも惜しい。
「このまま突入しますか?」
そのソルの考えを理解しているルーナが、このまま『魔大陸』へ乗り込み『魔王』を探し出して仲間とするか、『魔大陸』の制御中枢を押さえるか、どちらにしても被害を及ぼす前に決着をつけるべく突入することを提案する。
「いや、それはちょっと拙い。忘れているだろうけど、今のルーナは分身体なんだよ」
「?…………あ!」
「♪~?」
ソルがルーナの強硬手段を止めたのにはもちろん理由がある。
その指摘をうけて、ルーナもソルがなにを言っているのかを理解した。
「思い出した」といった方がより正しいだろう。
アイナノアは不思議そうにしているが、ソルの許可なく遥か上空に自身が呼んだ星を墜としてはいけないことは理解しているようである。
要は今の陣容では「相手が悪い」とソルは言っているのだ。
今現在『魔大陸』に魔王アルシュナがいてこちらに敵対する意思を持っていた場合、この世界において敵などないと思える、今の『全竜』と『妖精王』の組み合わせをもってしてもなお分が悪い。
『魔王アルシュナ』
人型の魔導生物としては頂点であり、個体によっては最上位種たる竜すらも屠り得る魔人種たちの中で、彼女が王たり得たのはその特殊な固有能力によるものだ。
『魔破の瞳』
偽書『勇者救世譚』にも詳しく記されているその固有能力は、彼女と敵対した者のあらゆる魔力を基にした現象、その一切合切を文字通り消失させる特殊極まりない能力である。
つまり彼女と敵対した者はあらゆる魔力――M.Pを使用した技、魔法、スキルといったものが一切使用不可能になるのだ。
いや使用することそのものは可能だ。
先刻『妖精王』が行ったように、敵が外在魔力を取り込むことを阻害し、内在魔力を奪うわけではない。
だがあらゆる技、魔法、スキルを問わず、アルシュナの『魔破の瞳』に見られたが最後、それらが発動する理は霧散し、ただ魔力だけが消費されて終わることになるのだ。
それでありながらアルシュナの方は技も魔法のスキルもすべて問題なく行使可能と来ているので質が悪い。
強制的に『能力者』と『無能力者』の戦いにしてしまうその能力には、この世界における強者――魔導生物たちほど相性が悪い。
強大な魔導生物であればあるほど、あらゆる行動にも魔力の行使が伴っており、それを無効化されては普通に移動することすら困難となる種も数多い。
それこそルーナの真躰――竜種たちのように、その巨躯を自在に操れる大前提――『浮遊』や『飛翔』、『転移』が封じられてはただ鈍重なデカブツになり下がる。




