第014話 『召喚』②
――それなりに強力で、それでいて『プレイヤー』には絶対服従な存在が召喚される可能性が最も高い……はず。というかそうであってくれ。
できれば使い魔というか、ペット枠みたいなのであれば有難い。
ソルは会ったことはないが、『能力』の中には野獣どころか魔物すら使役可能にするものもあると聞いたことはある。
いや贅沢は言わない。
少なくともいきなり召喚者――ソルを害する存在が呼び出されるようなことはないと信じたい。
それでも躊躇せざるをえないソルではあるが、明日から高位冒険者を勧誘して回る自分を想像すれば、自分が口にした「今使わなきゃ、いつ使うんだ」という考えに結局は帰結する。
――ええい、ままよ!
意を決して行使を決意した瞬間、真の闇に覆われているはずの地下室全てに光が満ちる。
「う、うわ……」
思わず情けない声が出てしまうが、それだけの光景でもある。
魔法使いすら希少な今の時代、「大魔法」に分類される大規模魔方陣を伴う術の発動などまず見る機会などないからだ。
表示枠は砕け散るようにして消え、部屋中に満ちた光がまるで生き物のように動き出す。
ソルを中心として見たこともない立体積層魔法陣が光を帯びた魔力で描かれ、間違いなくソルの地下室とは違う空間へと飛ばされる。
『転移魔法』など神話や伝説で語られこそすれ、今の時代では実在した事さえほぼ信じられていない超がつく高階梯の魔法。
王立学院における魔法系の授業では、眉唾物の代表として教師が鼻で笑っていた記憶をソルは思い出していた。
だがソルが『転移魔法』だと確信せざるを得ないような光景が展開されている。
隠し部屋にしては広いとはいえ10メートル四方程度の地下室ではとても不可能なだけの立体積層魔法陣がソルの周囲で輝き、幾重にも重なった球状魔法陣が各々違った速度で回転し、中には逆方向に回転しているものもある。
ソルが座っていたはずの高級な椅子は消え失せ、それでもそのままの姿勢で浮遊している状況。
なによりも地下室ではありえない、いや外に出ていたとしても城塞都市ガルレージュのものではありえない、高密度の光を全天に湛えた星空が頭上だけではなく360度全域に広がっている。
不動のはずの大地がどこにも確認できない宇宙空間。
あたかもソル自身が世界の中心となったかのような位置関係。
『惑星』や『恒星』といった知識では知っていても、肉眼で詳細に捉えたことなどあるはずもない巨大なそれらが派手に動いて互いが光の線で繋がり、無数の幾何学模様を構築する。
その中のひとつが、ソルが常に暮らしている惑星だとは気付くべくもない。
口を開けたまま茫然としているソルの目の前でしばらくその星々と光の乱舞は継続し、やがて巨大な5枚の手札――まるで神々の神殿に飾られている絵画の如き荘厳さを湛えたものがソルの周囲に展開され、ゆっくりと回転を始めた。
それらの手札にまるで生きているかの如く素晴らしい筆致で描かれているのは、ソルにでも読める言葉で豪奢な額縁に示されているタイトルどおりの怪物たち。
一つは『封印されし邪竜』
深淵の闇の底で、その闇が形を取ったかの如き無数の鎖に囚われ空中に吊り下げられた巨躯。
竜の力の源ともいわれる目と角を一つずつ、背にあったであろう翼は双方とも千切り取られたようになっている漆黒の巨竜。
一つは『囚われの妖精王』
拘束具のようなもので目と両手を封じられ、光でできたような清浄な衣装を纏ったその身を濁った血のごとき呪糸で幾重にも縛られた白く美しい細身の躰。
特徴的な耳のカタチからエルフであることは明確であるのに、伝承に謳われるような輝くターコイズブルーではなく、乾いた血のような黒に染まった自身よりも長い髪をもつ、それでいて清冽さを僅かたりとも失っていない美女。
一つは『死せる神獣』
純白の毛皮を持つ巨大な獣が、地から幾本も生えている巨大な鈍色の槍に貫かれ自らの血でそれらを染めている。
失われた眼の光と力なく垂れ下がった幾本も生えている巨大な尾が、この強大な存在がすでに終わってしまっていることを強く感じさせる『死』の象徴。
一つは『虚ろの魔王』
人に似ていて明確に違う、魔獣の如き巨大な双角と背の翼を備えた堕天使とも見紛う魔人たちをかつて統べた王。
だがただ一人白い空間に力なく立ち、その眼窩に宿る魔眼には意志の光はなくただただ永遠をその場にあり続けるしかない虚ろな抜け殻。
一つは『呪われた勇者』
竜ですらも殺しきり、魔王の攻撃も防ぎ得る神遺物武装で全身を鎧った人の英雄。
だがその全身はあらゆる種族からの返り血に穢れ、神の力を宿した武具と共に腐れ落ち、本来美しかったであろう姿を動死体のようにして永遠の慟哭に囚われた咎人。
神が直接描いたと言われて誰もが信じるであろう出来でありながらも、そのすべてが仄暗い絶望を想起させる、あからさまに不吉なもの。
それらがおそらくはソルがどれかを選ぶまで、ゆっくりと回転を続けている。
――占札のようなものなのか? どれを選ぶかによって、召喚対象を選出するような……
正直どれもが魅力的であり、同時に忌避したくなるようなモノばかりだ。
実際、ソルは我知らずかなりの時間をなにも選択できないままに経過させている。
だがいつまでもこのままというわけにもいかない。
今のところまだその予兆はないとはいえ、時間経過で強制的に決まってしまう可能性はある。
それならばまだマシで、時間を超過したことによってなにも手に入らないまま終わってしまうことすらもないとは言いきれないのだ。
――どうせなにが正解かなんてわからない。だったら……
ソルが力の象徴として感じるのは、子供の頃から変わることなくずっと「竜」だ。
敵としてはもちろんの事、味方につけた場合でも圧倒的な存在として他を蹂躙する超越生命体。
物理的な力や膨大な魔保有魔力に裏打ちされた竜語魔法だけではなく、人を超える叡智と、歳経るごとに強大になっていくといわれる不死性。
妖精王も神獣も、魔王も勇者も魅力的だが、ソルにとってそのどれもが竜には及ばない。
不吉な文言も、絵画であらわされている巨竜の欠損も気にならないと言えば嘘になるが、それは他の手札を選んでも多かれ少なかれ同じことだ。
だから意を決して、ソルは『封印されし邪竜』の手札を選んだ。
その瞬間。
絵画の中で巨竜を捉えている無数の鎖、その一本が純白の光を発する。
そのままソルが今いる空間へと現れソルと繋がり、絵画の中へと引きずり込まれる。
そこは真なる闇。
一切の光が存在せず、ゆえにこそ本来はなにも見えないはずの黒塗りの世界。
だが今はソルと巨竜を繋いている一本の鎖が放つ白光が、弱弱しくも狭い――いや実際はかなり広い周囲を照らし出している。
「っ――」
絵で見ていてもその巨大さは充分に伝わってきていた。
だが実際に同じ空間へと引きずり込まれ、己が目で直接見るとその威圧感は桁違いだ。
人間一人が鱗の一枚にも及ばない圧倒的な彼我の体躯の差は、生物として絶対に越えられない壁を否が応でも叩きつけてくる。
かなり広い空間を照らしている白光の中に浮かび上がっているのは竜の顔のごく一部にすぎず、全体の大きさを思えば闇夜に浮かぶ巨大な城を思わせる。
そんな存在の片目と片角、双翼を奪ってこの地に封印した存在がいるということがソルには信じられない。
少なくともそんなことができるのは人ではありえない。
生まれてから今までで一番『神』と呼ばれる存在の実在を実感し、ソルの背中に怖気が走り声も出せない。
――しかし、まさかのそのままとは……
あくまでも手札は象徴的なものだと思っていたら、選んだ「そのもの」と対峙することになるとはさすがに想定外が過ぎる。
となると他の手札の場合はどうだったのかという興味もわくが、今はそれどころではない。
とはいえどうしていいかなどわからないまま、ソルが逡巡していると――
『オ、オオ……』
鎖が発する白光と、なによりもその先に繋がっているソルの存在を察知した竜の意識がその巨躯へと現出する。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!』
初めて体験するおそらくは念話で、荘厳な竜の咆哮がソルの脳内に響き渡る。
あまりのことにソルの思考は鎖が発する光と同じく純白に染められ、なにも考えられなくなってしまう。
そしてまだ失われていない――奪われていない巨竜の左目がゆっくりと開かれる。
光を湛えた巨大な竜眼。
竜についての知識を持たぬ者でも、それがとんでもない力を持っていると理解できてしまうほどの魔なるモノ――超越者の瞳がソルを映す。
それに確かに捉われたソルは身動ぎもできない。
『――御身ガ……我ガ主トナラレル御方カ』
だが脳内で巨大な鐘がいくつも同時に鳴らされたかのように響く念話で語られたのは、ソルにとって意外な言葉だった。
いや本来の『召喚 -One time only-』の存在意義からすれば当然ともいえる言葉であるのだが、相手があまりにも超越した存在すぎてそんなことは頭からすっ飛んでしまっていた。
冗談ではなく頭が割れてしまいそうな念話の圧にソルが顔を歪めると、巨大な竜の瞳にあからさまな動揺が走った。
『マタレヨ…………これで問題ないだろうか?』
最初の言葉こそそのままだったが、おそらくは調整してくれた後の声はソルを威圧するものではなくなっていた。
「……問題ないです」
だが今度は逆に、あまりにも見た目とかけ離れていてソルの目が点にならざるを得ない。
念話というものをまだよく理解出来てはいないが、耳ではなく精神に直接響くその声は美しい女性の――しかも幼い子供のモノのように聞こえたからだ。
『なにしろ千年ぶりの会話だったものでな。気が回らぬことで申し訳ない』
聞き間違いかとも思ったが、重ねて発された言葉は間違いようもないほどに可愛らしい響きをしていた。
その意外性に気を取られて、ソルは黒竜がさらっと発した「千年ぶり」という文言に注意を払うことができなかった。
「貴方が……俺の仲間になってくれるのですか?」
『仲間などとは畏れ多い。御身が我が主となってくださるのであれば、我はこの身が亡ぶまで御身のためだけに我が力を尽くすことを誓います』
――ええ……




