第139話 『猫は遍在する』②
『それは某であって某ではありません。ただの愛玩動物としての某の分躰です。餌は与えられれば食しますが基本的には不要です。話せもせず基本的に本能の赴くままに行動しますが、飼い主とした相手には懐きます。また分躰が得ている情報はすべて某が共有しており、緊急事態には分躰を憑代に真躰が顕現することも可能です。全竜殿には遠く及びませぬが、護衛及び監視には長けていると自負しております』
さすがにびっくりして声もないソルたちに、どこか誇らしげにアヴリールが説明してくれる。
猫の身でふんぞり返って、まるで背後に「どやぁ」と浮かんでいるかのようだ。
ちなみに常に突っ込み役であるジュリアだが、『飼い主』と認識されているためアヴリールとは違う薄茶色の長毛種、おっとりした雰囲気の猫にじゃれつかれてすでに正気を失っている。
基本的につれない様子が好まれていると思われがちだが、多くの人はそれでもとんでもなく可愛いというだけに過ぎない。
自分が最も可愛いと思っているそのままの姿形をした御猫様に無防備にじゃれつかれて、正気を保てる者などそうそうはいないのだ。
それが自分以外には塩対応とくれば、めろめろになってしまうのも無理はあるまい。
「全然違う生物じゃない?」
『要望にお応えしての変化ですな。ジュリア様が某をかまってくださる際に望まれていた特徴を再現しております』
使い物にならなくなったジュリアが突っ込むことはなさそうなので、その役はリィンが引き継いだ。
つまりジュリアの正気が飛ぶのはいわば当然で、本人が一番「こんな子が側にいてくれたらなあ」と思っている御猫様の具現化が可能ということらしい。
「凄いですね……ちなみに何体まで可能かお聞きしても?」
フレデリカの表情もあまりの可愛らしさに緩んではいる。
だがその質問に込められた真意は、王族、為政者としてのものであることは間違いない。
アヴリールがふんぞり返っているのも、けして自分たち群体の可愛らしさを誇ってのことではないのだ。
『猫は遍在します。分躰は必要なだけ生み出すことが可能です』
「お、おひとり様につき1御猫様も可能?」
だが女性陣はその可愛さの方に過剰反応していしまう。
フレデリカの問いに対するアヴリールの答えが本当であるのなら、アヴリールに、つまりソルに許可を得たものは、「己の理想とする御猫様」を下賜されることができるということなのだ。
リィンの言葉にフレデリカもエリザも反応してしまうことは止むを得ないだろう。
『可能ですな。ただし某にかなりの部分私的情報が把握されることになりますが』
「う……」
分躰それぞれは自律しており、アヴリールそのものではない。
だが分躰から得られる情報すべてが本体であるアヴリールに集約されるからには、猫を飼う者の私的情報はほぼ丸裸にされるといっても過言ではないだろう。
というか、それこそが神獣アヴリールの権能として特筆すべきものなのだ。
「広域……いえ、全域監視及び動的防御機構の完成形?」
それをただ1人正しく理解しているフレデリカが言語化する。
『戦闘力では全竜殿に遠く及ばず、外在魔力の支配においては妖精王殿の足元にも及ばぬ某ではありますが、ソル様が護りたい対象が増えれば増えるほどお役に立てるかと』
そう満足げにアヴリールが肯定するとおり、その能力は為政者の視点でみれば喉から手が出るほどに欲しい能力であることは間違いない。
数に上限が無いのであれば極端な話、国民一人一人に分躰をつけておけば完全支配ですら不可能ごとではなくなるのだ。
裏切りどころか隠し事も許さず、今誰がどこで何をしているかを掌握可能。
それと同時に必要に応じて瞬時にその場に巨大戦力を送り込み制圧することも可能であれば、その対象を護ることすらも可能と来ている。
フレデリカが言語化した通りのことが、大陸単位で可能となるのだ。
「……確かに我にはできないことだ」
「~♪?」
ちょっとルーナは悔しそうである。
即応性においては妖精王と組んでの竜脈移動を駆使しても及ばず、常時警戒という点においてもその規模において桁が違う。
確かに「ただただ強い」という絶対的な価値とはまた違う、唯一無二の能力と言えるだろう。
「確かにこれは頼りになるね」
ソルは己が安定して迷宮、魔物支配領域、最終的には『塔』の攻略を進められるためには、人の世の中が安定してくれている方がありがたい。
それが最優先とまでは言わないが、そう考えているからこそフレデリカに協力し、エメリア王国を取り込むことでできるだけそういう方向へと今のところ進んでいる。
そういう意味では、神獣アヴリールの権能は本当に頼りになるのだ。
どこで異変が発生するかわからない状況において、各所を警戒する人の部隊に分躰をつけておけば、神獣を瞬殺可能な敵でも表れない限り、最大戦力である全竜が現着するまで被害を抑えて持ちこたえることは今よりはるかに容易くなる。
少なくとも絶対的な戦力ではかなわなくても、地の利と群発を活かしたゲリラ的な人の抵抗を封殺することは簡単だ。
野良猫として野に放てば、山賊や傭兵崩れのならず者たちを一掃するのも楽になるだろう。
これは裏の世界を牛耳りつつある「エリザ組」にも難しいことだ。
経済と結びついている都市部の裏組織は掌握できても、地方でその日暮らしの悪党どもを根絶することは国家の力を以てしても不可能ごとだったのだから。
「あの、ソル様……」
「うん。アヴ、フレデリカに協力してあげてくれる?」
「ソル様のご命令であれば如何様にも」
「助かる」
そしてそういう使い方をするのであれば、フレデリカをはじめとするエメリア王族組に運用草案を任せるのが一番いいだろう。
最初の分躰がジュリア、つまりはその旦那となるセフィラス・ハワード・ウォールデンに与えられるということも大きい。
ウォールデンは子爵家であったが、ジュリアが嫁ぐのと同時に侯爵となることがすでに内定している。
ソルから直々に『御猫様』を下賜される最初の貴族としては、立ち位置的にも宣伝的な意味でも申し分ないと言えるだろう。
分躰について詳しく知るはずもない貴族たちを皆、ソルから『御猫様』を賜ることを望むように仕向けるのはそう難しいことではない。
御猫様そのものの高貴さ、可愛らしさもあれば容易いとさえいえるだろう。
貴族のお嬢様たちが「自分の御猫様自慢」をしたくてたまらなくなることなど、フレデリカにはもはや確定した未来の如く予想が付くのだ。
「ちょうど今晩は久しぶりにスティーヴさんと食事だし、冒険者ギルドにも話を通しておいた方がいいよね?」
「……さすがですね」
「フレデリカに影響されたんだよ」
そしてそういった内部の掌握とは違い、人という種全体としての警戒網を築くのであれば冒険者ギルドとの連携は当然必須となる。
ソルがそういったいかにも為政者、支配者が考えそうな利用方法をすぐに理解できるようになっているのは確かに本人の言うとおりフレデリカの影響もあるのだろう。
だがソル本人こそが、そうなりつつあるというのが大きいのだ。




