第138話 『猫は遍在する』①
王都マグナメリアの中央市街区。
国際的な大商人などであってもただお金を持っているだけでは居を構えることを赦されない、貴族の中でも領地を所有する封建領主たちの私邸が建ち並ぶ最高級住宅地。
だからこそ人通りもそう多くない美しく維持された街路を、ソル一行がのんびり中央商業区へと移動している。
ソルと全竜、妖精王、神獣はいつも通り。
そこへ今回はリィン、ジュリア、エリザ、フレデリカという、いわゆる『ソル様のハーレム・パーティー』と呼ばれているメンバーが全員揃っている状況である。
あっさりとソルの仮宿が決まり、次は必要な家具類などを揃えるために、中央商業区へと向かっている最中なのだ。
「あの……本当によろしいのですか?」
おずおずとフレデリカが確認しているのは、ソルが――というよりもリィンと二人で気に入ってあっさり決めてしまった仮宿についてである。
ソルが王都に居を構えるという情報は当然、王族たちからエメリア王国の貴族たちには伝えられており、つまり王都内のどんな屋敷でもソルが気に入ればそこが仮宿となる根回しは済んでいた。
基本的には領地の統治のため王都にはいないことが多い大貴族たちは、己の領地運営が上手く行っていることをアピールする目的もあって、王都の邸宅には贅を凝らす傾向が強い。
もちろん王城には及ばなくとも、充分ハッタリの効いた大邸宅がいくらでも選び放題。
だがソルとリィンが一致して選んだのは、正真正銘「空き家」となっていた、趣味こそよけれど小ぢんまりした建物と小さな庭を備えた物件だったのだ。
「僕はもともと小ぢんまりしている方が好みなんだよ」
その家は息子に家督を譲って隠居したとある貴族の老夫婦が、老後はなにかと便利な王都で暮らそうと用意されたものだった。
貴族だけあって当然側妃もいたが正妃と共におばあちゃんとなっており、一人のおじいちゃんと3人のおばあちゃんが最後まで仲良く暮らしていた家。
今空き家になっているのは、最後に残った側妃も去年亡くなったかららしい。
だが家や庭の手入れはよく行き届いていて、ここで暮らしていた人たちが幸せであったことをうかがわせるには充分なものだった。
そんな不動産屋からのエピソードも込みで、いたくソルとリィンが気に入ってしまったというわけだ。
もっとも小さいとはいえ、一般的な家と比べれば十分にお屋敷でもある。
「あはは、ガルレージュのソルん家より、ずっと小さいのを選んだよね」
「あれはまあ、B級パーティー『黒虎』としての格だとかもうるさく言われていたからね……」
だが確かにソルがガルレージュで構えていた屋敷よりもすっと小さい。
そういう意味では、どこまで行っても「王女様」であるフレデリカが戸惑ってしまうのも仕方がないことなのかもしれない。
言葉にこそ出さないが、エリザはフレデリカとは逆の意味で「本当に私がこんなところに住んでもいいのかしら?」と落ち着かないのだが。
ソルにしてみればマークやアランがやたらこだわっていた「格」とやらよりも、それなりの屋敷と庭を隠れ蓑にして、隠し部屋の安全性を高めることがほぼ目的のすべてだったのだ。
そういう意味での自衛が必要なくなった今では、今回選んだくらいの家の方がずっと落ち着くのは田舎の寒村出身の人間としてはある意味当然かもしれない。
これくらいであれば「成功した自分の象徴」と見ることも出来るのだが、それ以上になるとなぜか現実感が失せてしまうのだ。
「そうですよ、それぞれの個室とそれなりの共有スペースがあれば十分です。それに私以外、家事関連は全員素人なんですよ? 大きすぎる御屋敷なんてとても手が回らないです」
「リィンのおうちはもともとちっさかったもんね」
ソルのそういった価値観を、最も共有できているのは間違いなくリィンだろう。
もっともリィンの方は今の言葉通り、「暮らしのすべてを自分の手で維持する」という前提に立っているのだが。
ジュリアなどは普通に家令やメイドたちを雇って、大邸宅でいかにも成功者らしい暮らしを自然にしていたので、こればかりは個人の好みによるところが大きいのだろう。
どうあれ己の甲斐性の中で収まっているのであれば、奢侈も清貧も他人からとやかく言われる筋合いのことではない。
「僕も手伝うけど?」
「それは嬉しいです。それはそれとして、ソル君のお手伝いなしで回せることが大前提なんですよ」
「そうなの?」
もちろんソルはリィンたち女性陣にすべてを押し付けてしまうつもりなどない。
神に愛された子どもたちだともてはやされながらも、ガルレージュ城塞都市で冒険者デビューした当時はまだ稼ぎも少なく、幼馴染5人で同居していたこともあるのだ。
その際は厳格に家事分担が定められており、ソルはもとよりマークやアランであってもその「義務」を放棄することを女性陣は決して許さなかった。
よってソルは特段得意というわけでもないが、掃除、洗濯、料理は一通りこなせはする。
少なくとも王女様であるフレデリカや田舎からスラムへ直行したエリザ、元より人としての暮らしなど経験のない全竜や妖精王よりはよほど達者なことは間違いない。
だからこそ、リィンの言う大前提に違和を感じたのだ。
「そうねえ。ソルはその気になれば必要なだけ執事さんとか料理人さんだとか、メイドさんたちを揃えて快適に暮らすことができるよね? そこへリィンたちが自分から望んで同居を申し出ているのだから、そうなるかな~」
そのソルに対して、ジュリアが悪い笑顔で説明する。
共同生活を行うその理由、その土台からしてまるで違うということをソルはわかっていないのがおかしいのだ。
「堅苦しいのは苦手だな……」
「まあそれもわかるけどね。誰かと一緒に暮らすのなら実はけっこう大事なんだよ、権利とか義務とかをある程度明確にしておくことって。甘えやすい関係であればなおのことね」
お互いがなんのために自分に義務を課すのか。
その義務はどんな権利によって贖われるのか。
それはそれこそ千差万別、関係を結ぶ者同士の在り方によって一つとして同じものなどありはしない。
男だから、女だから。力があるから、力がないから。
無駄に主語を大きくしたところで、正解なんてお互いの納得の上にしか成立せず、逆に言えばそれさえあれば外野からとやかく言われるべきものでもない。
もしもソルが全竜でも、妖精王でも、リィンでも、フレデリカでも、エリザでも、誰だって構わない。
誰かに完全に心を奪われていて、なにを差し出してでも自分と共に住んでくれることを希う立場であれば、今と寸分たがわぬ力を持っていたとしたって、そうする権利を得るために差し出す義務は今とは比べ物にならぬものになるのだ。
だが実際はソルに希う立場である以上、女性陣が差し出すモノが一見すれば多くなるのはある意味当然だと言える。
強制されているわけでもなし、その義務が権利に見合わないと思うのであれば抜ければそれで済むのだから。
自然の理の中では、ただそうだというだけで得られる権利などなければ、見返りのない義務もまたありえないのだから。
「……ハイ」
リィンとエリザに言われるまで、普通に家令やメイドたちを雇おうと考えていたフレデリカが地味に一番落ち込んでいる。
「きちんと覚えます! まずはお掃除から!」
「~♪」
「頑張ります!」
ルーナ、アイナノア、エリザの3人はリィンに習ってソルの役に立つ生活能力を身に付けられることが純粋に愉しみらしい。
「僕が一方的に甘えることになっている気がするけどなあ……」
まあ確かにソルの感想もまた、もっともではあるのだ。
美女たちが一緒に暮らして自分を誘惑し、その上暮らしの維持全般を請け負ってくれると言われれば「なにそれどんな都合のいい話?」となるのも当然だ。
『プレイヤー』という規格外の能力が公私両面で己にもたらす利益を、正しく認識できていないだけのことなのだが。
「ふっふっふ、そう思うのならリィンやフレデリカ様、エリザちゃんや全竜様、妖精王様の「権利」を尊重してあげればいいのよ。意外に得意な料理や洗濯、掃除を手伝うよりよっぽど喜ばれると思うケド?」
「……ホントに?」
「それを女の子に聞いちゃうあたり、ソル様もまだまだですなあ」
真顔でソルに尋ねられた女性陣が赤面して黙り込む様子を、ジュリアがやれやれとばかりに笑っている。
全竜や妖精王はともかく、それぞれ身分や生い立ちこそ違えど年頃の女の子であるリィン、フレデリカ、エリザにしてみれば、改めてそう言われるとかなり形振り構っていない自分に赤面してしまうのだ。
「あーはいはい、大人なジュリア様には敵いませんよ、っと。だけどジュリアだけ離れて暮らすことになるのはちょっと……」
「お色気お姉さん枠が欠けると寂しいのかな?」
「安・全・面・を! 心配しているんだよ!」
全面降伏したソルが、本当に一人だけ離れて暮らすことになるジュリアを心配している。
ジュリアとて『固有№武装』をいつでも呼び出せる魔導基礎衣類を常備するからには、ただの冒険者など比べ物にならないくらいに安全である事は確かだ。
それでも常に至近に全竜がいることに比べれば、その安全性は心許ないとしか言えない。
『それでしたら、真躰を取り戻していただいた某にお任せください』
そのやり取りを聞いて、我が意を得たりとばかりに神獣アヴリールが愛玩動物形態の胸をそらして宣言する。
その瞬間。
御猫様が、二匹に増えたのだ。
「え?」
「は?」
ソルとジュリアの目が点になる。
しかも増えた方は元のアヴリールとは色どころか毛並みカタチまで違う、まったく違う種の御猫様なのである。




