第133話 『君臨』③
実際、ソルとフレデリカが排除するべきだと判断した――今その代表者たちをクリードが始末した国家は『エリザ組』、すなわちヴァルター翁率いる『暗部』によって既に制圧されている。
国民たちに要らぬ混乱を招かぬようにまだ秘密裏に処理されているが、エメリア王国からの暫定総督府のスタッフたちが到着次第、クリードの発言したとおりに「飛び地」としての支配を開始する手はずになっている。
独裁者の横暴に怯え、ただ普通に生きていくことすらままならなかった民衆たちは、潤沢な食料をはじめとした膨大な物資と強力な治安維持兵力があれば、そう混乱せずにその支配を受け入れるだろう。
自らの揺ぎ無い信仰に基づくものではない、軽い洗脳に過ぎない独裁支配など純然たる力の前には脆いものだ。
だからこそソルもフレデリカも、数ある大国ではなく聖教会こそを最大の脅威とみなしていたのだ。
「首輪紐をお持ちの方々に言いたいことがあるのであれば、今ここでお聞きしますよ?」
そして当然、その飼い主たちが誰かもわかっているぞとクリードは宣言する。
その上で文句があるのであれば、今ここで言って見せろと。
「なにもありませんか? ではこの話はこれで終わりです」
だがどんな大国であれ沈黙を守る事しかできない。
表向きには人権だの国家の権利だの、国際社会における価値観の共有だのと嘯いておきながら、裏では無法者国家を支援し、代理戦争や小国への圧力に使っていたことを掌握されてしまっているのだ。
躾のなっていない、あるいはそうある事を望んだ「狂犬」を始末されたからとて、文句など言えようはずもない。
だがその沈黙によって、ソルの代弁者による一応は「お咎めなし」の言質を取れた。
であれば大国の後ろ盾をいいことに、自国と称する地域の住民たちに非道の限りを尽くしてきた独裁者や自称指導者、その取り巻きどもは苛烈な粛清をされる、いやすでにされたのであろうが、そんなことは大国の支配者たちの知ったことではない。
蜥蜴の尻尾とは、切るためにこそ存在しているのだから。
「次にこの『世界会議』ですが……フランツ王太子殿下、ソル様が承認された諸条件についてはすでに皆さまご承知ということで間違いありませんか?」
「はい。初日にすべて提示を完了しております」
だがもちろんここで話が終わるはずもない。
実際にこの『世界会議』を踊らせているのは数多ある小国同士のいざこざ、あえて空気を読まないバカのふりをした傀儡国家たちによる勝手な主張の応酬だ。
その背後にどの国がいるのかなどわかっていながら、従来の常識を重んじたエゼルウェルド王やフランツ王太子には『世界会議』が踊ることを止めることができなかったのだ。
同じ人として共に発展を望める余裕と、フレデリカが得たとんでもない幸運によってエメリア王国だけがあまりにも莫大な利益を得ることに対する後ろめたさが、大国の指導者という本来鋭利な実際主義者の感覚をすら曇らせていたのかもしれない。
「つまりソル様が決められたことに対して納得のいかない国がいくつもある、という理解でよろしいですね?」
だが魔族であるクリードに、人間の国家間の都合を忖度する必要などどこにもありはしない。
いつでも自分を殺せる相手に対して平気で権利とやらを主張する弱い生き物どもなど、力こそを信奉する魔族にとっては唾棄すべき恥知らずでしかないのだ。
自分たちが弱者に堕とされた千年前、クリードは己が望みのために恥も外聞もなく自らの魔導器官を砕き、強者となった人の靴を舐めてでも生き残ってきた。
クリードに従う魔族の生き残りたちも、自らを世界の支配者だと嘯く『聖教会』の走狗として、この千年間汚れ仕事を一手に引き受けてきたのだ。
死にたくないのであれば、弱者とはそう在るべきなのだ。
矜持が、誇りが、本来持っていた権利とやらが命より大事だというのであれば、それに殉じてただ戦って死ねばいいのだ。
そうする覚悟すらなく強者の慈悲、鷹揚に甘えて甘い夢想を囀るだけのこの場にいる人間共に対して、クリードは殺意に限りなく近い嫌悪感を抑えることができない。
だがまだぎりぎり丁寧な言葉遣いのままのクリードの言葉に、極低温の刃が潜んでいることを理解してフランツの答えはやや澱む。
「――はい」
ここで「もうすぐに結論に至ります」と答えられれば一番よかったのだが、それは不可能なのだ。
同じ人間であるエメリア王家とは違い、この場での決定権を魔族が持っていることに血の気が引いているのは、もちろん踊っていた傀儡国家の外交官たちではなくその飼い主たちである。
「なるほど――私は政治には疎いので、それらの諸条件について細かいことは申し上げません。ですが――」
フランツの明確な答えを得たことによって、今この場にいるすべての人間どもはクリードにとって新たな主、自分たち魔族を含めた亜人種、獣人種、人間たちをその気になった瞬間に滅ぼせる相手に対して、己が弱者である事すら理解できていない阿呆どもの群れとなる。
ゆえに――
「ぶち殺すぞ人間共」
たった一つ残された己が魔導器官、左眼のみの『魔眼』に赤光を迸らせてクリードが告げる。
静かな声。
だがたったその一言だけで、この場にいるすべての弱い生き物が不可避の死を感じて呼吸をすることすらも忘れる。
どんなご高説を垂れられるよりも遥かに説得力に富んだ、極単純な力の誇示。
それだけで頭ではなく魂で、自分たち人という種がこの世界において弱者でしかないことを思い知らされる。
著しく弱体化しているとはいえ、千年前には実際に竜種すら倒した『竜殺しの魔神』がクリードなのだ。
左眼だけの魔導器官とはいえ、外在魔力が再び満ちた今の世界での全力の前には、只人の群れなど巨象の足元の蟻にすら劣る。
「ソル様が全竜を支配し、妖精王を解放し、神獣を甦らされた。結果亜人種たちは従属し、獣人種たちは保護され、我ら魔族も従僕となった。『聖戦』とやらを経て宗教屋どもはソル様を現人神と崇めて平伏し、世界樹が復活してこの世界には再び外在魔力が満ちた」
左眼から吹きあがる赤光を抑えることもなく、静かに今この世界がどう変わったのかを今一度クリードが述べている。
「貴様らだけだ。貴様ら政治屋どもだけがのうのうと国家の権利とやらを主張し、平伏すらもせずに下らぬ会議でソル様の側近方を拘束している。危機感が足らぬようだから私が言ってやろう。外在魔力が再び満ちたこの世界において、貴様ら人間は最も脆弱な種へと戻った。亜人種であろうが獣人種であろうが、総数が三桁に満たぬ我ら魔族であろうが、貴様ら人間の国家悉くを灰燼に帰すことなどもはや雑作もない。そうしないのは――できないのは、ソル様が我らに君臨し、それを禁じておられるからにすぎん」
人だの魔族だの以前に、今この場にいるすべての弱者が本能で理解させられている厳然たる事実を、言語化して叩きつけられる。
もはや人は強者などでは無い。
たまたま種としてはそうだというだけのソル・ロックという個が突出した一強であり、その他は皆弱でしかない。
魔族が、亜人種が、獣人種が、千年にも及ぶ恥辱による怨嗟を今の時代に生きている人間どもに叩きつけずにいるのは、なにも高尚な精神性によるものではないのだ。
魔導生物としての強さを取り戻したそれらの種族であっても、人とそう大して変わらぬ弱者として扱い得る、頭を垂れ傅かざるを得ない絶対者がそれを望まぬからに過ぎない。
クリードは「復讐の正当性は手を下した相手にだけに適用される」などという、強者の驕りとしか思えぬソルの理念に従っているわけではない。
人ではないというだけで他種族がひどく扱われることをよしとした人間どもなど、立場が変われば同じことをされて当然だと思っている。
だが気分で自分たちを滅しうる、ソルの絶対的な力の前に従っているだけだ。
だから宣言したのだ。
貴様らなどソル様の庇護下から離れた瞬間、誰が相手であろうが構うものか、我らの千年に及ぶ屈辱をこの時代の数だけは無駄に多い人共にすべて贖わせてやると。
人として生まれたことを後悔するほど、一度死んで終わりのような温い扱いなど期待するなと。
まだそうなっていないのはただ、辛うじて貴様らがまだソル様の庇護下に在るからなのだと。
「――失礼いたしました。今日一日で会議が纏まらねば、エメリア王国はソル様と共に汎人類国家連盟を脱退します。では存分に会議をお続けください」
身動ぎも、呼吸も忘れて固まる事しかできない人間の群れを前に、不意にクリードがその激情を完全に消滅させる。
再び現れた時とまるで変らぬ穏やかさに戻って一礼し、決定的な言葉だけを残してあっさりと大扉から退出して行った。
その言葉の意味。
それはつまりソルがこの世界には「最悪、エメリア王国さえあればまあいいか」という考えを持っているということである。
万が一にでもそうなった場合、エメリア王国以外のすべての国はソルの庇護下から外れ、千年間蔑み、差別対象としてきた亜人種や獣人種、魔族たちに好きに弄ばれるということに他ならない。
いやそれどころか聖教会の秘匿戦力すら一日で壊滅させたあの全竜が、自分たちの国を直接焼き払いに首都の上空に顕れても誰も助けてはくれないのだ。
自分たちが自分たちの国を千回焼き尽くしても足りないほどの火薬庫の上で火遊びをしていたことを、誰もが理解させられた。
よってこの後一刻を経ずして初日に提示された条件ですべての議題は決着し、大陸史上最初の『世界会議』は即座に閉幕する。
ソルという絶対者が君臨することによる古の『大魔導時代』の復活は、人が最弱の種族であるということを、世界を統べていたつもりの者たちすべてが思い知ったことによって始まるのだ。
人外を書くなら一度は言わせたい平野大先生の名台詞なのです、申し訳ありません。
私にとって『怪物』といえばどうしても吸血鬼にして従僕たる旦那です。
拙作の吸血鬼は『虚ろの魔王』なのですが、登場前にその配下に言わせてしまいました。




