第013話 『召喚』①
「ありがとリィン、おやすみ。あと明日からは大丈夫だよ、スティーヴさんがとんでもない宣言してくれたからね」
ガルレージュ城塞都市の中央街区、夜道を歩いて自分の屋敷まで帰り着いたソルが、特に大きな声を出すでもなく突然リィンに話しかける。
当然、普通の人間が認識できる範囲に人影などはない。
だがソルにだけ見える表示枠には、距離を置いてついてきてくれていたリィンの位置が明確に表示されている。
ソルがその気になれば、『プレイヤー』が仲間にした相手や、一度でも己の目で見た相手が今どこにいるか程度であれば捕捉することは容易い。
人どころか一度見た魔物の現在地を把握できるその能力に、『黒虎』が助けられたことは一度や二度では済まない。
だからこそ、リィンもそれは承知している。
幾度も繰り返した魔物との戦闘を経て上昇した基礎レベルとスキルレベル――と言ってもそんなものを数値化して把握できるのは『プレイヤー』だけなのだが――と、それに伴いソルによる付与も併せて人間離れした数値となっている各種ステータス。
その今や人間離れしたリィンの能力が、かなりの距離でありながら普通に呟いただけのソルの言葉を任意で拾うことも可能としているのだ。
「はあい。おやすみなさい」
さすがにソルに見えてはいないだろうが素直に一度頷き、わりと近い位置にある自分の屋敷へ向かってリィンが移動を始める。
リィンはジュリアと共に先に帰った態で、自分が即座に駆け付けられる位置からずっとソルの護衛をしていたのだ。
『黒虎』が解散したという情報が大きく拡散するのは明日以降ではあろうが、どんな世界にも耳がはやいものはいる。
ソルが『黒虎』のメンバーという後ろ盾を失えば、危害を加えようとする者がいるかもしれないと判断しての行動だ。
つまりはスティーヴが指摘し、ソルが笑った「護衛」である。
ソル個人の戦闘力はもちろん、一般人のそれを遥かに凌駕している。
だが中堅以上の冒険者やスラムで徒党を組んでいる冒険者崩れを相手にすれば、1対1ですら勝利はおぼつかない。
基礎レベルの上昇に伴い各ステータスが一般人から見れば人間離れしているだけで、魔物と戦えるような『能力』に恵まれた者には敵わないのだ。
『プレイヤー』が規格外の能力である事は確かだが、その使い手自身は無敵とは程遠い。
この能力は使い手が仲間とした者にとんでもない強化を施すことこそが真骨頂であり、仲間に護ってもらえなければ普通に弱いのである。
あくまでも今のところは、だとソルとしては信じたいところなのだが。
一方「おやすみ」と言われてしまったリィンは、とぼとぼと自分の屋敷へと向かう。
もしかしたら「家に寄っていくか?」とか、場合によっては「泊まっていってくれるか?」とまで言われるかもしれないと期待していたリィンとしては、もう本当に「がっかり」なのだ。
実際、深夜にソルの資産を狙って襲撃される危険もないとは言い切れないことだし、それを理由にしばらくは一緒に暮らせるという可能性さえ夢見ていた。
せっかくそんなタテマエがあるにもかかわらず、あっさりと「おやすみ」と言われてしまっては流石にがっかりもする。
――まあソル君ですし、こうなるってわかってましたけどねー
その上明日からは護衛は不要とも明言されてしまった。
たしかに冒険者ギルドという組織を敵に回してまで、言ってみれば今の時点ではただのB級冒険者個人の資産を狙う愚か者などいないだろう。
そんな無謀、もしくはそうと知りつつソルに強い執着を持った者がいるのであれば、『黒虎』のメンバーだからといって今まで行動を控えていたとも思えない。
なので明日からはいいよ、というソルの言葉を理屈で覆すのは少々難しい。
まあなにかと理由をつけて逢いに来ようとしているリィンの内心を知ってか知らずか、リィンを示す光点が離れていくのを確認した後、やっとソルも魔法鍵を解除して自宅へと入った。
マークやアラン、ジュリアと違って家令や使用人を雇っているわけではないので広い屋敷内はしんと静まり返っている。
「さて、と」
無駄に広い広間を通過して、かなり金をかけて作った地下の隠し部屋へソルは直行する。
今日は冒険者ギルドで食事を済ませているので厨房へ行く必要はないし、地上部分の寝室や書斎は飾りであって、日常でも足を踏み入れるのは掃除をするときくらいなのだ。
仲間がいないときに敵性存在に襲撃されることも考えて、脱出経路も完備した隠し部屋で暮らすことがソルの日常となっている。
この部屋の存在を知っているのはソルのみで、『黒虎』のメンバーであってもその存在を知らされている者は誰もいない。
自分が弱いことを理解しているからには、それなりの準備を整えるのはソルにとって当然のことなのだ。
そう広くない空間に設えられた家具類はすべて、相当な金がかかっている。
貴族であればまだしも、ちょっと裕福な市井の者たちではこれほどの書斎を構えることはとてもできないだろう。
「今使わなきゃ、いつ使うんだって話だよな……」
その中でも一番お金をかけている豪奢な椅子に身を沈め、ソルは独り言ちる。
『黒虎』が解散することが確定し、リィンやジュリアと新パーティーを組むことも断念した今、ソルが最優先でしなければならないことはこれだ。
つまりはスティーヴに告げていた、あてというやつである。
ソルの目の前には今、ソルにしか見えない表示枠が浮かんでいる。
表示枠はかなり便利なシロモノであり、周囲が真の闇に包まれていてもソルの目には何の影響もなくはっきりと視認できる。
そこには今『召喚 -One time only-』とだけ表示されている。
ソルがその気になった瞬間に、それは即座に実行されるはずだ。
これの存在には、ソルが『プレイヤー』の能力を授かってすぐに気付いていた。
だが今日まで使うことがなかったのは、ソルが「僕たちでこの世の全ての迷宮を攻略する!」という幼い日の誓いを、今日まであほうのように守ろうとしていたからに他ならない。
『プレイヤー』自身は弱い。
そのことはこの7年間で、いやというほどソル自身が理解している。
とんでもない能力であることは確かだが、その真価を発揮するためには必ず『仲間』――他者を必要とする。
その他者とは力を与えてくれる弱い『プレイヤー』を、与えられた力を持いて守らねばその力を失ってしまうという相補関係が成立しはする。
とはいえ、自身の生殺与奪の権を他人に与えることには違いない。
『仲間』であっても『プレイヤー』を傷つけることが可能なのは、これまでの経験で既に判明している。
自分の与えた力で殺されるなど道化の極みだが、仲間にした者がその力を失うことを厭わなければそれは簡単にやってのけられる。
だからこそソルはスティーヴに告げたとおり、本当に途方に暮れていたのだ。
頑固で融通が利かないうえに、自分にはコミュニケーション能力というものが決定的に欠けていることをソルは自覚できている。
そういう部分についてはマークと似ていると言えるが、そのあたりは優秀なサブリーダーであるアランと、男性陣には絶大な人気を誇るリィンとジュリアに頼り切っていた。
それがいきなり単独になった今、どう動いていいかなんてまったくわからない。
すでにそれなりの等級に至っており、当然パーティーも組んでいる優秀な冒険者たちを引き抜いて回る真似など、とてもではないができる気がしない。
そもそもただの『村人』だったとはいえ、最初から――いや最初は信頼できた『仲間』が存在する方が稀なはずだ。
幼馴染たちが相手だったからこそ、ソルは自分を簡単に殺せるだけの力を与えることをよしとできたのだ。
赤の他人相手であればまだ自衛のしようもあるが、その他人たちと今から一緒に迷宮や魔物支配領域で命を預け合うような戦闘をするなど冗談ではない。
ソルにはそこまで他人を信じることができない。
それにスティーヴは誤解していたようだが、ソルから見た場合ただの『村人』と恵まれた希少能力を得た者の差は、実のところほとんどないと言っても過言ではない。
もちろん『剣聖』だの『賢者』だのといったユニーク系能力であればその限りではないのかもしれないが、少なくともソルが自分の目で確認できたB級の冒険者たちについては誤差の範囲だった。
『黒虎』が命からがら逃げだした近隣の無名迷宮の第9階層。
そこくらいであれば余裕で突破できるようにはなれるだろうが、四大迷宮と呼ばれている名付迷宮の最深部を目指せるようなパーティーにはとてもなれまい。
それらの問題をすべて解決できる可能性を持っているのがこの『召喚 -One time only-』なのだ。
というか本来、このタイミングで使用するものではなかったはずのもの。
『プレイヤー』の能力を授かった者が、まず最初に使うべき項目といえるだろう。
自身の強化ができないという弱点を補い、以後どんな相手を『仲間』にしても『プレイヤー』が生殺与奪の権を他人に渡さなくて済むための最重要要素。
「幼馴染たちが有効な能力を授からなかった」という状況に慌てたソルが慌ててマークたちを最初に『仲間』にしてしまい、以後使わないまま今に至っている現状がイレギュラーなのだ。




