第124話 『秘匿神殿圕』②
「こちらです」
イシュリーが先頭に立ってソルたちをより教皇庁の奥部、秘匿区画へと案内する。
教皇庁の一室に控えていた考古学者たちと合流した後であり、ソルの後ろにはその考古学者たちがぞろぞろと付き従っている。
もちろん考古学者だけではなく、現聖教会の中枢を担う人物たちも含まれているのは、その身に付けている司祭平服や聖外套からも明らかだ。
イシュリーが電撃的に実権を握った後も、前教皇グレゴリオⅨ世の下で要職に就いていた者たちはみなそのままの身分を維持できている。
それは充分な能力を備えているからこそ中枢を担えたのだという事実とともに、グレゴリオⅨ世と教皇の座を争った実力者たちはすでにすべて排除されており、イシュリーの同期かそれ以下しか存在していなかったことも大きい。
つまりグレゴリオⅨ世個人に忠誠を捧げていた者など皆無であり、有能なだけに誰もがみな機を見るに敏だったのだ。
今の自分の立場と手持ちの札ではどうしようもない、聖教会における地位だけではなく、圧倒的実力者であったのが教皇グレゴリオⅨ世である。
それを物理的な暴力で排除してのけた存在――ソル・ロックがイシュリーの後見にいる限り、グレゴリオⅨ世の時代には抑えていた己の能力を全開にしてでも、イシュリーに従うことこそが正解――いや生き残るための唯一の手段だと即座に理解したのだ。
いかな大教区とはいえ田舎に過ぎないガルレージュ教区の担当司教枢機卿でしかなかったイシュリーよりも、聖都教皇庁で教皇付であった実力者たちがすべての情報を提供したことによって、謎とされていた『秘匿神殿圕』の存在を確認することも出来たのである。
とはいえもともとイシュリーは人事権を己の恣にするつもりなど毛頭なかった。
そんなことをやらかせば即座にその思惑をフレデリカに見抜かれ、それを聞かされたソルが己の実務能力に落胆することを理解できているからだ。
その上で己の元競争相手たち、つい最近までは自分よりも上位にいた才人たちに全力を出させるには、少なくとも「聖教会」をイシュリーが好きにできるのだと誤認させた方が便利だったので、そう見えるように振舞っているというだけだ。
自分自身でも意外なことにイシュリーは、ソルとその仲間たちがこれから行うであろう偉業に、微力であれども自分にできることで貢献したいという気持ちになっている。
それはもちろん綺麗ごとだけでは無く、ソルが自身を夢であった教皇の地位に据えてくれ、その後ろ盾がなければそれを維持できないという実際的な事情がある事も否定しない。
とはいえすでに確実に後世に残る自分の名が、願わくば「ソルのよき仲間の一人」としてのものであればよいと思っているのもまた、嘘偽りない事実なのだ。
「へえ……こっちの方がいいですね」
「……私もそう思います」
豪華絢爛な教皇庁の最奥、その教皇以外は存在を知らなかった隠し扉の向こう側。
そこには現代様式で華美に飾り付けられた聖都の主要建造物たちとは全く趣を異にする、巨大な石で組まれた朴訥な、それでいて静謐な荘厳さを感じさせる旧神殿が広がっている。
それを見てのソルの感想であり、それは事前にここを知ったイシュリーが最初に持った感想と同じものだったのだ。
曰く、本来神が坐す場というのはこういうところだろうと。
巨大な教皇庁の中にあるにもかかわらず、中庭のごとく屋根は無く空へと抜けている。
周囲の壁には窓ひとつなく、教皇庁の建物内からその内側を見ることは出来なくされている。
『聖都アドラティオ』が聖都とされたのは、間違いなくこの石造りの神殿がこの地にあったがゆえだろう。
そしてその遥か上空には、千年前に『邪竜』ルーンヴェムト・ナクトフェリアに砕かれた天からの『塔』が存在していたのだ。
「しかし先生方の資料分析に従ってここまではたどり着けはしましたが、どう見てもこれは……」
「遺跡でしかない、と」
「はい。申し訳ございません」
代々の教皇しか入れぬこの空間に辿り着くことは出来た。
だがそこにあったのは神を感じさせるには充分な風格を持った石造りの神殿ではあるものの、聖教会が誇った逸失技術の類や、ましてや『秘匿神殿圕』などをうかがわせるものはなにも存在していない。
巨大な石柱が円形に立ち、その上にどうやって切り出したかわからない巨大な一枚岩が載せられており、その中心はくりぬかれて空に通じている。
苔生し蔦に覆われた石柱と天岩と異なり、床は継ぎ目などどこにも確認できない艶やかな漆黒の一枚岩であり、その巨大な円形には精緻な古代文字による魔法陣が刻み込まれている。
考古学者たちにとってはこの上なく価値のあるものだろう。
確かに古文書などに記されている『秘匿神殿圕』と一致する部分も多数見受けられる。
だが実用的な知識としての『圕』を求めているソルにとっては、ここが価値のある場所とは思えない。
なんらかの仕掛けがあるかと発見以降あらゆる調査を行ったが、只静謐な遺跡であるに過ぎなかったのだ。
「いえ正解ですよ。今、開きます」
「は? え?……」
だがソルは満面の笑みで右手をその石の遺跡へと突き出す。
その瞬間、ソルの周囲に表示枠が無数に浮かび上がり、それと呼応して床の魔法陣が派手な魔導光を噴き上げ始めた。
円形の石柱や天岩も苔や蔦に覆われた奥から魔導光を噴き上げ、その全面に魔力で綴られた古代文字を浮かべている。
ソルの『プレイヤー』が『旧支配者』たちによる侵入を撃退し、逆に相手のシステムを半ば以上乗っ取ることに成功したことによって、今なお活動を続けている逸失技術装置類の完全制御が可能になっているのだ。
すでにガルレージュでこっそり一度、『神の雷』――最後に一つ残された攻撃衛星『第Ⅶ衛星』の制御にも成功している。
だがさすがにこれにはイシュリーたちだけではなく、ルーナもアイナノアもびっくりした表情を浮かべている。
「こ、これは……」
「聖書に謳われる人類の叡智、その積み重ねが全て納められた大圕『秘匿神殿圕』――確かに秘匿とつけるだけの仕組みですね」
魔導光が消え去った後に顕れたのは、広大な範囲にわたっていた漆黒の一枚岩の部分がぽっかりと消滅し、底すら知れぬ果てまで続く縦穴。
その周囲は無数の書架が据えられており、そこへびっしりと「書」が収められている。
ソルの言うとおり、こここそが『秘匿神殿圕』なのだ。
「ですがこれでは……」
だがイシュリーや他の考古学者たちが茫然とするように、それはただの縦穴ではない。
階段や梁の如き空中回廊が設えられていないことも厄介だが、それ以前の問題として『書』を収める場所として最もふさわしくないものが湛えられているのだ。
それは膨大量の澄み切った水。
「ただの水ではないですね。保存と強奪防止、その双方を担っている仕組みです。単純に水を抜けば書は塵に還り、このまま抜き出せば書の中身は溶け消えて誰にも読めはしない」
「一体どうすれば……」
常人には見えていても手の届かない、嫌がらせのようなものだ。
とはいえ読む手段がないとも考えにくい。
「たぶんあれに乗っていけば好きな本を手に取れるって感じかな……しかしぱっと見だけでもとんでもない量ですし、そんなことをしていたらキリがないしなあ……」
静かに湛えられた水の上に、古代文字が無数に刻まれた石の立方体が浮かんでいる。
緩やかに明滅している古代文字の魔導光からしても、おそらくあれに乗れば水の中でも問題なく移動でき、任意の書を手に取ることができる仕組みになっているのだろう。
ソルはそういうのは嫌いではない。
水の中なのに問題なく呼吸ができ、光が届かぬ遥か底に至っても自身が乗っている立方体の光で照らし出される書架から、望みの本を探すというのはなかなかに得難い経験だろう。
だが今はそんな悠長なことをしている場合ではない。
ここまでの仕組みを以て秘匿する「聖教会」が持つすべての叡智を、極力効率的に手に入れなければならないのだ。
「あ」
その時ソルに電撃走る。
「なにか良い手が?」
「はい。多分問題ないと思いますけど、一冊は実験した方がいいですね。ルーナ、お願い」
「はい」
期待に満ちた目を向けてくるイシュリーたちに答えつつ、ソルは水面に浮かんだ石の立方体を使用せず、ルーナによる浮遊で水面の中心点へと移動する。
その上で適当な一冊に対して、倒した魔物を『異相空間』へ格納する手順と同じことを行使してみる。
消滅する一冊の本。
そしてソルの表示枠に映し出される、その本のタイトル、著者、その他の情報。
ソルが「読む」ことを望めば、その1頁目から表示枠にずらっと並ぶ。
「問題ないみたいです。でもこれ、共有する方法をなにか考えないとだな……フレデリカならいい手を思いついてくれるかな?」
これならルーナの浮遊と結界によってこの縦穴――広大な『秘匿神殿圕』の底まで向かいつつ、片っ端から『異相空間』へすべての『本』を格納していけば事は済む。
正しい手順を経ていないことを理由に、取りだしたら消滅するかもしれないので、そこは何らかの手を考える必要はあるだろう。
とりあえずは一冊を完全に書き写した後、取り出すという実験をやってみればよいのだ。
それで消え失せたら考古学者たちは嘆くだろうが、古書が持つ浪漫にまで気を使っている場合でもない。
「じゃあちょっと回収に行ってきます。どこまで続いてるんだろ、これ」
そうつぶやきつつ、ルーナとアイナノアをいつものように引き連れて水面下へ沈んでいくソルを、考古学者たちはこれ以上ないくらいの羨ましさを以て眺めている。




