第123話 『秘匿神殿圕』①
ソルは今、生まれて初めて『聖教会』の信仰の中心地『聖都アドラティオ』を訪れている。
四大国家の一角であるアムネスフィア皇国の特区自治領でもある聖都アドラティオ。
この地を他国の者が訪れるには、本来やたらと複雑な手続きとそれに伴う御布施が必要となっていた。
だが、当然そんなものが今更ソル一行に適用されるはずもない。
竜脈路を利用した超長距離転移と、最寄りの龍穴からはルーナの魔創義躰による高速飛翔で、小一時間もかけずに到着している。
ソル側の理由としては『大深度地下空間』の廃都で取得した遺物類の分析・調査を、聖都の考古学者たちに依頼するため。
それに加えて、今や新教皇であるイシュリー・デュレス元司教枢機卿の強い要望に応えた形でもある。
ソル・ロックという『現人神』がエメリア王国以外で最初に訪れる国家。
それは政治的にはとてつもなく大きな意味を持つ。
またそれが誰に請われてのものなのか、どんな風に異国に暮らす市井の民たちの前に顕れるかもまた、重要であることは言うまでもない。
よって今のイシュリーにしてみれば巨大なルーナの魔創義躰が、聖都の城壁などなんの意味もないほどの高空から降下しての登場は願ってもないものと言える。
今聖都アドラティオに暮らす者たちは赤子を除いてほぼその全員が阿呆のように空を見上げ、ここ最近やたらと噂話だけを聞いていた『世界の支配者』の姿を今、実際に目の当たりにしているのだ。
そして噂話のすべてが大げさなどではなく真実であり、この力を司る者に逆らった勢力はこの地上から消え去るのだということを、理性と本能、その双方で嫌というほど理解させられている。
どこにいても天から降り落ちる神罰、『神の雷』すら司った旧聖教会勢力が、その秘匿戦力ごと叩き潰されたというのは誇張なき真実に過ぎないのだ。
聖都の住民たちは、突然、新教皇となったイシュリーを胡散臭くは思ってはいた。
だが『聖教会』の上層部、中枢部になればなるほど唯々諾々とそのイシュリーに従っている現実を前に、不平不満を口にする程度で消極的支持をしていた自分たちの慎重さ、あるいは臆病さを心の底から評価したい気分だろう。
――そりゃ偉い人ほど従うわけだ、こんな現実を俺たちよりも先に知っていたんだから。
大筋では同じことを、住民の誰もが思っている。
「ソル様。私の願いに応じて下さったこと、心より感謝致します。こここそが我ら聖教会の信仰の中心地、聖都アドラティオに御座います。信徒一同、ソル様の御来訪を心よりお待ちしておりました!」
ソルの来訪をまるで宮殿のような教皇庁、その絢爛たる前庭で待ち構えていたイシュリーが、今も袖を通すときはうきうきしてしまう純白の司祭平服に聖外套を羽織った姿で跪き、大音声を上げる。
これは魔創義躰があまりにも巨大なため、すぐ頭上にいるように見えてまだまだ距離のあるソルに聞こえると思っての発言ではない。
周囲にいる者たち、それもこの前庭に集った市井の者たち――それでも世界で最も敬虔な聖教会の信者たちへ、イシュリーの今の地位をわかりやすく伝えるための演出というやつだ。
「や、イシュリー司教枢機卿……じゃないや、イシュリー教皇猊下、お久しぶりです。今日は無理なお願いを聞いてくれて助かりました」
だがイシュリーの挨拶が終わりきる前に、跪いているその眼前にソルとルーナ、アイナノアが転移で顕れて当たり前のように答える。
ソルの規格外さを知っているイシュリーですら驚愕するのだ、転移を初めて目の当たりにした周囲の者たちの反応は劇的であり、前庭に集まった民衆からは驚きだけではなく「神に愛された者」に対する畏怖すらも伝わってくる。
「め、滅相も御座いません」
だがイシュリーにしてみれば驚いている場合ではない。
旧ではなく現教皇である自分が、こんな風に気安くソル・ロックから声をかけられる立場なのだということを見せつけるにはまたとない機会だ。
一方でソルはここへ訪れる前にフレデリカから、イシュリーの思惑を一通り聞かされているので、それに沿って行動するのみである。
自身の迷宮攻略のために世界の安定を望むソルにしてみれば、イシュリーを立てることで一番厄介な世界宗教が制御できるというのであれば、それに協力することに否やなどない。
「さっそくだけど、考古学の先生たちのところへ案内してもらっていいかな」
「畏まりました。直ちに!」
一方イシュリーはイシュリーで、全力でソルの為人を分析し、フレデリカをはじめとしたエメリア王家の人間とできるだけ接触を持ってその把握に努めている。
ここで豪華絢爛な歓迎会や式典の開催をなどと言い出せば、まず間違いなくソルの不興を買うことくらいはすでに学習している。
自力で司教枢機卿にまで成り上がったイシュリーは、無能どころか有能なのだ。
ソルという絶対者の存在を知った以上、己が全能力を駆使してその意に沿うことこそが、自分が望む栄達を保証してくれるのだと誰よりも理解している。
自らの権勢を誇示する相手は御主人様ではなく、その御主人様の容認を以て己が支配する者たちに対してであってこそ意味がある。
期待した以上のアピールも出来たのだ、ここは四の五の言わずにソルの望みを叶えるのが最善手には違いない。
実際ソルは今できる中で最も早く着手できるのが遺物の分析だと思ったからこそ、イシュリーの要望にも応えたのだ。
ついでにいつまでも幅を利かされるのを快く思うはずもない。
ソルはすでに神獣アヴリールの真躰があるはずであった『大深度地下空間』から帰還し、その攻略過程で新規入手した魔物素材類は一通りガウェインへ渡している。
実際に加工してみないことには実用兵器への使用ができるわけもなく、サンプル以外のすべてはいまだソルの『異相空間』に格納されたままである。
未知の魔物支配領域の領域主であった『翼鹿』と、『大深度地下空間』へと至る迷宮最下層の迷宮主であったヒトガタ魔物もそれは同じ。
ガウェインの工房――というよりも工廠はすでにその保有工数を遥かに超えて稼働しており、少なくともすべての『固有№武装』が完成するまではいかな希少魔物素材とはいえ、新たに着手する余裕などないからだ。
魔物素材ではない遺物はガウェインの専門外だったし、魔族であるクリードも魔大陸以外の土地には詳しくないとのことだったので、次善として人類最大の叡智が集結するといわれる『聖教会』の中心、聖都アドラティオに頼ったのだ。
誰も実際に足を踏み入れたことはないにもかかわらず、古くから聖都にあると言われ続けている人類の叡智を記した書がすべて残されているといわれる知識の祭壇。
『秘匿神殿圕』
そこが発見されたとイシュリーから伝えられたからこそ、ソルはこの聖都を訪れたのだ。




