第120話 『廃都』①
結論から言えば、獣人種たちの里は消失していた。
壊滅や崩壊ではなく、消失である。
神獣アヴリールが記憶している森の中心には里の形跡など欠片も残っておらず、人の手が入っていたとはとても思えない自然そのものの姿だったのだ。
約千年という時の経過は、自然が文明の形跡を呑み込んで消し去ってしまうには充分らしい。
まだしも崩れた家屋や井戸の跡、厳しい現実とはいえ死んだ――殺された獣人種たちの白骨などが散乱してくれたほうが、納得をしやすかったかもしれない。
それでもアヴリールとソルたちがこの場所に里があったのだと確信できたのは、里を護るように横たわっていた神獣の真躰が消えうせていたからである。
里の痕跡と同じように千年の間に地に還ったというわけではないのは、つい最近までそこに横たわっていたのだとわかる跡と、巨躯が再稼働したことを示す移動跡が残っているからだ。
折砕かれた幾本もの鈍色の巨大な槍と、そこに残る古きと新しき大量の血の跡。
それは『召喚』の際にソルが目にした手札――『死せる神獣』の絵から、甦った神獣が逃れたようにしか見えないもの。
巨大な足跡とそれが向かった先と思しき圧し折れた巨木も突然途切れ、おそらくは神獣の権能を取り戻して何処かに消えたことを示している。
『……無駄足を運ばせてしまい、誠に申し訳ありません』
それらすべてを確認できた時点で、項垂れたアヴリールがソルに謝罪する。
「……間に合わなくて済まない」
ソルにはそう言うことしかできない。
最初にアヴリールと出逢った際にお願いされたことの軸は「隠れ里」で生き続けているかもしれない眷属たちの救出であって、その際に言っていた「再び満ちた外在魔力によって暴走した真躰と獣人種たちが迷宮と魔物支配領域を荒らす」などというのは、自分を担ぎ出すための方便であったことなどソルにもわかっているからだ。
万が一そうなったとしても、全竜を味方につけているソルたちであれば動きを待っての対症療法であっても全く問題にならない。
瞬殺可能であるからには、その方法が一番手っ取り早いとさえいえる。
だからこそアヴリールは隠れ里に逃れた己の眷属たちが、「手遅れ」になる前に助けたかったのだ。
『ソル様がお生まれになられる前に――というよりも某が死した直後に滅んでおったのでしょう。是非もありません』
だが自分が千年前に殺された時点で、すでに「手遅れ」だったのだ。
アヴリールを『死せる神獣』となした『勇者』が隠れ里を壊滅させたのか、先刻接敵したとんでもない魔物によって滅ぼされたのか、それはもうわからない。
だが里の痕跡とともに、千年前アヴリールと共にこの地へ逃れた獣人種たちは、誰一人残すことなく消滅してしまっていることだけは疑いえない。
獣の矜持に由るのであれば、負けたアヴリールと眷属たちが悪いのだ。
獣にとって弱者とは、強者の肉であって当然なのだから。
「……地上の獣人種たちの安全はお任せください」
『忝い』
だが護るべき者たちを護れず、己だけがのめのめと生き永らえている事実に、獣の矜持を持つがゆえにこそ暗澹たる気持ちにならざるを得ないアヴリールである。
耳が折れ、地に九つの尻尾悉くを力無く這わせてしゅんとなっている神獣様を見ていられなくて、フレデリカは地上の獣人種たちの安全という気休めを口にする。
千年間、差別に晒し続けてきた人の一人である自分がどの口でと思いはするのだが、あまりにも悄然としているアヴリールをなんとか慰めたかったのだ。
その気持ちは十分伝わったようで、感謝を伝えたアヴリールはなんとか自らをしゃんとさせる。
落ち込んでいても仕方がない、地上にもまだ眷属たちがいる以上、その神として為すべきを為さねばならないのだ。
「アヴリールの真躰なんだけど……」
『すでに暴走を開始しておりますな……某が抜けておりますゆえ、意志や理性はありませんがその分厄介です。全盛時とはいかぬまでも、神獣としての権能はすべて持っていますゆえ』
となればソルが確認してくるとおり、己の真躰をどうにかしなければならない。
全竜と相対すれば一撃で無力化され、分身体である自分と統合することはそう難しいことではない。
だが意志なき神獣として蘇生した以上、力を持った野性の魔獣としてこの地のどこかに潜んでいるとなれば少々厄介だ。
「見つけられそう?」
『某であれば全竜殿の気配を察知すれば己が全能力を上げて逃げ、隠れますな。本気で気配を隠した獣を見つけるのは至難かと』
神獣としての意志、知恵の部分である自分でさえそう思うのだ。
野生の本能に忠実に従うだけの今の真躰が、全竜に察知されかねない死地に自ら足を踏み入れるとは考えにくい。
外在魔力が再び満ちた今では、平気で年単位でその身を潜めることを選択するだろう。
それはさっさと神獣としての本来の姿に戻りたいアヴリールにとっても、完全な神獣を己の戦力に加えたいソルにとっても都合が悪い。
「だよね。やっぱりいったんここは帰還するしかないか」
だが最大戦力である全竜を連れている限り、目標に逃げに徹されるというのであればそれしかない。
『某の真躰であれば、これから如何に外在魔力を吸収しようとも全竜殿には及びませぬ。とりあえず放置でも問題はないかと』
もっとも急ぐべき理由はもう間に合わなかったのだから、ある意味焦る必要もない。
アヴリールの暴走した真躰程度では、今のソルたちに叶わないことは間違いないのだ。
となればこのままむやみに探すよりも、いったん仕切りなおして誘き出す手段を考案する方が有効だろう。
ここで大人しく死んだままでいてくれれば簡単だったのだが、どうやらアヴリールは自分自身を誘き出すという、どうにも締まらないことに知恵を絞らねばならないらしい。
自分自身のことなのだ、最も有効なアイデアを出すことを期待されるのはまあ当然だろうとアヴリールは思っているのだが。
「ルーナ様。アヴリール様。実際に数千年を生きるお二方にお聞きしたいのですが、千年という歳月はこうも完全に里の形跡を消し去ってしまうものなのでしょうか?」
だが一旦の帰還がほぼ定まったこのタイミングで、フレデリカが妙な質問を長命種である二体に投げかける。
「あまり気にしたことがないな……」
『某もですな』
確かに全竜も神獣も、すでに数千年を生きている。
空白の千年間があるとはいえ、御年数千歳であることは確かなのだ。
だが竜種として、獣として――強者として生きてきた両者には短命種であるフレデリカの質問の意図するところが分からないし、実際気にしたこともない。
もともと自然の中で生きる種なだけに、「自らが生み出した物が土に還るまでの時間」などを意識したりはしないのだ。
「では里の痕跡ではなく、この異形の都市――だけではなくここ『大深度地下空間』の様子は、お二方が知る千年前と大きく変わっていますか?」
『まるで変っておりませんな』
「――そう、見える」
重ねられたフレデリカの質問に対しては明確に答えることが可能だ。
空白期間があるとはいえ二体ともボケているわけもなく、人よりも優秀な己の記憶と今の情景を照らし合わせればいいだけだからだ。
つまり全竜と神獣が知る『大深度地下空間』――『真世界』は千年前からまったく変化していないということだ。
全竜と神獣による明確なその答えを聞いて、フレデリカは神妙な表情をしている。
歴史ヲタクであるフレデリカの中で、なにかが間尺に合わないのだ。




