第117話 『大深度地下空間』①
『魔物』という存在がなんらかの上位存在に制御されていることを、百聞を一蹴する圧倒的な一見を伴って『迷宮主』が顕現する。
それは外連味溢れる立体積層魔法陣や、魔導光の派手さゆえのみではない。
顕現した迷宮主はただサイズが間違っているだけで、どう見ても人――いやそれを基に魔導器官や武装を生体そのものに埋め込まれた、亜人種や獣人種、魔族のなれの果て――あるいはこれこそが完成形かもしれない姿をしているからだ。
女性形態。
だが美しい顔には強い魔導光を発する第三の目が埋め込まれており、異様な六臂――六本の腕それぞれに巨大な武器を装備している。
頭部の後方には光輪が浮かんでおり、本来の耳の位置あたりから硬質な角が後方へ向かって伸びている。
耳は獣人族の特徴と一致し、頭頂部あたりに獣状のものが確認できる。
魅力的と言っても過言ではないその躰が備える曲線が、ただ巨大というだけでここまで不気味に見えるのだということを、ソルたちは今あらためて実感させられている。
その身を包む衣装はどこか煽情的でさえあり、このボスの不気味さをよりいっそう際立たせている。
なによりも無表情でありながらその両眼から流れ続ける血涙と、艶やかな口元から発され続けている呪詛の如き叫びが、聞く者の正気をガリガリと削り取るかのようだ。
「こ、これって……」
「人……なのですか?」
自身の『固有№兵装』の展開をすでに完了し、迷宮主が顕現すると同時に先手必勝を期していたリィンとフレデリカも流石に躊躇してしまっている。
それほどにこの『迷宮主』は、生々しく人っぽいのだ。
「アヴリール。千年前に倒した迷宮主も同じだった?」
『違いますな。某が千年前に屠ったのは、魔獣を基とした型でした』
ソルとてその事実にひるんでいないわけではないが、即座にここの『迷宮主』を知っているはずのアヴリールに確認を取っている。
そしてアヴリールから帰ってきた答えは、半ば以上予想通り。
「ということはその後に創られ、変更されたわけだ」
だがどうあれこの『階層主』がソルたちに敵対していることは疑いえない。
顕現と同時に六本の腕に構えられたそれぞれの武器は魔導光を発し始めているし、その巨躯の足元から放射線状に燃え上がる焔が、この祭壇めいた空間を埋め尽くさんと広がり始めているからだ。
であればソルにとっては倒すべき敵であることに、なんら変わりはない。
「リィン、水! あと二人とも『浮遊』を即時稼働」
『迷宮主』の第三の目に魔導光が収束し、爆裂する光線がフレデリカに向かって発射される。
ソルが叫んだのはリィンには判断できない敵の攻撃属性を『プレイヤー』を以て見抜き、№Ⅸ:タイプ【九頭龍】がもつ属性盾のどれで受けるべきかの指示だ。
どれだけ動揺していてもソルのこの声に対して、リィンはもはや反射で対応する。
硬直していたフレデリカの前へ瞬時に移動した巨大な盾が、その爆裂ごと光線を弾いて防ぎきり一切のダメージを通さない。
「攻撃を仕掛けてくるからには敵だ! たとえコイツが人と同じサイズであっても倒さねば先に進めないのであれば倒すしかない。ただデカいだけ、聖教会の人造天使の中身と同じだよ!」
「はい!」
「申し訳ありません!」
ソルのその言葉に意識を再起動させ、二人はもう無意識に駆使できる『浮遊』を起動して空中へ浮かび上がる。
ほぼ二人の足元まで焔が迫ってきていたタイミングだ。
言われるまでもなくリィンは定石である『威圧』を使用し、敵意を自身に固定した上で、ソルたちのいる位置へ攻撃の射線が重ならないように立ち回る。
ソルの位置までは全竜の『結界』に阻まれて、焔が到達することは出来ない。
「ルーナ、千年前にはこういう型も当たり前だった?」
「はい。脅威度が高い魔物の中には結構いたと思います」
「なるほど、ね」
平然と元の位置に立ったまま、ソルがルーナに確認した内容の答えもまたほぼ想定通り。
ソルも含めた現代を生きる者たちは多少なりとも動揺したが、千年前から存在している全竜と神獣が全く動じていなかったのはそのためだろう。
『魔物』
その存在が何者かによって人に脅威をもたらすモノとして生み出されているのであれば、その素体に人が含まれないことなどありえない。
小動物などの野の獣を基に魔物が生み出されているのであれば、よりその強化を求めるのであれば人やそれ以上の魔導生物――竜をはじめとした幻獣種を素体とすることはいわば当然だ。
強力な武器を逸失技術によって生み出すことも可能なのであれば、人を基準にした方が最終的な戦闘能力が高くなることは自明の理でもある。
魔物が「人の持つ優位点」をそのまま模倣しているのであれば、人にはそれに勝つ術などなくなるのだから。
その目的が「人に仇なす存在の創造」だけだとは考えにくいが、それは今思い悩むことではないだろう。
「そのうえ一定以上強さを持った魔物は領域支配も行ってくるわけか。確かにこれは本来、人の手に負える相手じゃないなあ……」
この『迷宮主』の属性は火。
自身を支援し、敵を削る領域を展開してくることはそれだけで十分に脅威だ。
最低でも今のリィンやフレデリカの様に『浮遊』を使いこなせなければ、それだけで万の軍勢が焼き払われることも充分に考えられる。
これが地表だけではなく一定空間を完全に支配する域のものともなれば、全竜の如く相手の領域を無効化する『結界』を持っていなければ勝負にもならない。
戦闘時においてはそれに特化した能力を持つのが『妖精王』なので、ソルにとっては深刻な問題とはすでにならないのだが。
『ですが『固有№武装』を展開したお二人の敵ではありませんな』
「それには一安心だね」
だがアヴリールの言うとおり、意識を戦闘態勢へ切り替えたリィンとフレデリカにとってはさほど脅威となっているわけではない。
自在に展開する巨大な盾すべてに水属性を付与し、敵の六本の腕と額から行われる攻撃すべてを危なげなくリィンは無効化している。
フレデリカは敵意を取り過ぎないように『迷宮主』がリィンに攻撃を仕掛ける隙に合わせて巨大な外腕による攻撃を叩き込み、その一撃ごとに確実に相手の継戦能力を潰していく。
敵の想定外の異形――あるいは人そのものの姿に気を取られがちがだが、今リィンとフレデリカが『固有№武装』を駆使して行っている戦闘はとてつもなく派手なだけではなく、人が人のまま行使する破壊力としては史上最も強力なものである。
空中での超高速機動と超破壊力による戦闘に、ソルはすっかり魅入られている。
自身がその力を駆使するよりも、今の様に指揮している方が楽し気なソルに対してルーナは少々不満げである。
これでは一応口頭で約束している己が真躰との『合一』にも、さほど興味を示してくれないのではないかと不安なのだ。
やがてその巨躯に通じる攻撃力を持った二人に纏わりつかれ続け、『迷宮主』は力尽きてその血涙と呪詛の叫びを止めて地に倒れ伏した。
それと同時に地を埋め尽くしていた焔も消え、外周に燈っていた篝火もそのすべてが消えて失せた。
「お疲れ様」
「びっくりしました」
ソルの元に戻ったリィンとフレデリカに声をかける。
リィンはまだ「ヒトガタ」をした魔物というものを受け入れられてはいないようだ。
『聖戦』の際には決戦の地には不在で、十三の人造天使の中の人を見ていないからには当然かもしれない。
「千年前はこういうのも普通だったんだってさ」
「……私たちもまた、魔物の素体というわけですのね」
対して自身が殴り墜とした人造天使の中身が、巨大なだけで今の『迷宮主』よりもよほど普通の人であったことをその目で見ているフレデリカの理解ははやい。
ソルが行った推論とほぼ同じ答えに、すでに思考がたどり着いている。
「そういうことだね。完成形が今の亜人種や獣人種、魔族なのか、それとも……」
まだ実験の道半ばなのか。
あるいはその場合、目指している完成形をさして『神』と嘯くのかもしれない。
「ソル君、あれ!」
だがとりとめもない思考に囚われかけたソルの意識を、リィンの声が現実へと引き戻す。
「転移魔方陣か……アヴリール、この先が目的地?」
倒した『迷宮主』はすでにソルが『プレイヤー』の異相空間へと格納している。
これで新たな『固有№武装』を創るのはなかなかにエグいなと思いはするが、そのあたりはガウェインと改めて相談すればいいだろう。
リィンの指摘したとおり、『迷宮主』が顕現した位置の床に巨大な魔法陣が出現して魔導光を明滅させている。
ここが行き止まりではなかったのだ。
まあそれも当然で、ソルがアヴリールに確認したとおりこの先にこそ『死せる神獣』の真躰と、千年前に地上から逃げ出した獣人族たちの里があるはずなのだ。
『左様です。千年前と同じであれば、ですが』
「とはいえ進むしか選択肢はない、と。ルーナ、戦闘態勢はそのまま維持をお願い。リィンとフレデリカも『固有№武装』の展開は継続」
悩んでも仕方がないことはシンプルに行くべきだ。
やると決めたのであれば考え得る限りの準備を整えてさっさと進むに限る。
下手な考え休むに似たりどころか、停滞が事態を悪化させることがほとんどなのが冒険者稼業というものなのだ。
だが――
「これは……」
分断されるなどという罠も特になく、もう慣れた『転移』の感覚を経てソルたちは地上の見知らぬ場所へ戻されたと錯覚した。
だが違う。
レベルが4桁に至り、人の常識を遥かに超えた視力を有するソルやリィン、フレデリカには雲さえ浮かぶ頭上の果てが、一面の壁である事を視認できる。
そしてその天井が星の丸さに沿って、はるか先では地に接している。
つまりここはどれだけ広大で地上にしか思えないとはいえ、間違いなく地下なのだ。
迷宮最深部まで辿り着いた者だけが、訪れることを赦された空間。
『ここが迷宮深部――大深度地下空間です』
開いた口が塞がらないソルとリィン、フレデリカに対して、あっさりそういうアヴリールとルーナは落ち着いたものだ。
千年前からこの星の構造がこうなっていると、この二体の怪物たちは知っていたのだから。




