第116話 『迷宮攻略』⑥
「……理由をお聞きしてもよろしいですか?」
『双頭狼』三頭を危なげなく仕留めたフレデリカがソルに問いかける。
政治や歴史に関してはソルよりも反応が鋭いフレデリカだが、事が戦闘やそれに伴う強化についてとなると、やはりまだ及ばない。
この迷宮の魔物が強いことで、どうしてソルが迷宮の扱いにより慎重を期そうと言い出したのか、その真意がすぐには理解できないのだ。
フレデリカにしてみれば、安全という点においてはすでに十分慎重を期している自信があるからこその確認だろう。
戦闘はともかく、『プレイヤー』という能力が可視化する強化やそのために必要な吸収魔力量などは、冒険者として5年の経歴を持つリィンでも理解不可能なので無理もないのだが。
「人跡未踏の迷宮に現存している魔物の蓄積魔力とでもいうのかな――強化に必要となる魔力保有量はどうやら桁違いっぽい。少なくとも千年以上、外在魔力を吸収して蓄積し続けているからだと思うけど……つまりそれらは年代物の葡萄酒みたいな値打ちモノだってことになる」
珍しくソルの真意を見抜けず、少し恥ずかしそうにそれを問うているフレデリカに対して丁寧に答える。
「人跡未踏の」迷宮の魔物たちを千年以上かけて貯め込まれた強化のための資源だと看做せば、その振り分け先を慎重に選定しなければならないのはいわば当然だ。
同じ資源を獲得するためにはまた千年の時が必要ともなれば、年代物の葡萄酒どころの価値程度では済まない。
再湧出する魔物の強度を確認する必要もあるが、最低でも最初の迷宮攻略者はソルが厳選した者たちにする必要がある。
レベルが4桁を超えれば戦闘力の強化曲線が鈍化するというのであれば、まずはその全員を4桁にさせることを優先するべきだろう。
己の陣営における戦闘力を左右する最重要資源。
それを現状ではほぼ完全に独占可能であるという事実は大きい。
規律で縛る以前に、『プレイヤー』の恩恵を受けていない存在にはその資源を獲得――倒すことが事実上不可能だからだ。
やろうと思えばそれが可能だった聖教会を、初手で叩いたことが奏功している。
となればソルたちによる重要資源の独占をより完全なものにするためには、旧支配者はもちろん、外在魔力が再び満ちたこの世界において強化される意志もつ魔導生物――つまり亜人種や獣人種、魔族たちを早期に掌握することの重要度は一気に跳ね上がる。
手札として同等とみなされている『虚ろの魔王』や『呪われし勇者』といった存在だけではなく、全竜や妖精王、神獣と同格の存在がそれら魔導生物種の中にいないとは誰にも断言できない。
そんな存在に人知れず強化を繰り返されれば、ソルにとってさえ脅威になりかねないのだ。
だが幸いに、今のソルたちは正しい手順を踏んでいると言える。
初手で竜種を全とした『全竜』ルーンヴェムト・ナクトフェリアを従僕としている。
次いで亜人種たちの筆頭である妖精族は、その王アイナノア・ラ・アヴァリルも含めて味方につけた。
そして今、神獣アヴリールとそれが守護する獣人種の掌握が完了すれば、あとは魔族だけとなる。
クリードとの約定でその前に『呪われし勇者』を解放せねばならないとはいえだ。
「禁忌領域の魔物は違ったのですか?」
だがフレデリカはソルの言う条件であれば、それも同じではないかとの疑問を持つ。
フレデリカ自身が4桁のレベルに至るためには、多くの領域主を倒す必要があったのだから当然だろう。
「うん。おそらくは地上の『魔物支配領域』は外在魔力が薄かったからだと思う。魔導生物である亜人種や獣人種、魔族たちが弱体化するほどにね。対して『迷宮』は妖精王の解放による世界樹の復活が無くても、比較的濃かったんだろう」
「その通りです。そしてそれは下層へ行けば行くほどそうなります」
「だから迷宮深部の魔物は強いんだ……」
「そゆこと」
それに対するソルなりの分析をルーナが肯定し、実際に迷宮深部に生息する魔物のとんでもない強さを体感しているリィンが納得する。
ソルという『プレイヤー』の加護がある『黒虎』ですら通用しなかった第9階層の魔物。
それはおそらく千年前の世界樹の消失によって、地上の外在魔力がほぼ失われて以降に生まれた、迷宮における「断層」とでもいうべきモノ。
一度『プレイヤー』でいうレベルが1にまでリセットされ、亜人種や獣人種という魔導生物戦力を失った人類が1から攻略を行い、それでも到達できた限界が第8階層なのだ。
魔物を倒すことによって、魔導器官をもたない人でも強化が可能となる。
だが第8階層までの魔物の再湧出をまって強化を繰り返す間に、第9階層以降の魔物たちが外在魔力を吸収して強化される速度の方が上回ったのだ。
そうなると二度と人には第9階層以降の魔物を倒すことは出来なくなる。
そして倒されぬままに千年間、迷宮の濃い外在魔力を吸収し続けた結果、『プレイヤー』ですらも中途半端な戦力では倒せないほどの強さにまで至ったというわけだ。
なるほどーなどと感心しつつ、リィンとフレデリカが危なげなくそんな魔物たちを倒しながら、ソルたちは迷宮の最深部を目指す。
途中、第9階層で敗走したのと同系の魔物と接敵した時には緊張もしたが、それとて全竜や『固定№武装』に頼らずに安定して倒せたので一安心している。
ソルにしてみれば地上の様に鎧袖一触、多重ロックオン系の武技や魔法で多数の魔物を一掃するのも楽しいが、そればかりだと飽きも来る。
必要に応じて介入するべく常に戦闘を見守っている立場としては、リィンとフレデリカが連携しつつ手数をかけて行う戦闘の方が正直なところ楽しい。
こうやって未知の迷宮を既知として行き、計画通りに必要な強化を行う。
それを繰り返して必要な魔物素材やその迷宮特有の各種資源を取得し、それらを基に装備を強化してより高難度の迷宮の攻略に挑戦する。
その果てにすべての迷宮の攻略と魔物支配領域の解放を達成し、万全の態勢で『塔』へ挑むことを考えるとソルはもう楽しくて仕方がない。
それに伴って生み出される膨大な富や得られる権利など、ソルにとってはどこまで行ってもおまけに過ぎない。
後宮に籠って、そんな迷宮攻略と強化の繰り返しという最高の刺激を放棄するなど考えられないのだ。
ソル自身ですらなぜそこまで己が「それ」を最重要視するのか説明しきれないが、夢や望みとはまあそういうものだろうと思っている。
『ここが最下層です』
大きく開けた古代祭壇のような空間に到達したタイミングで、一度この迷宮を獣人種たちと共に突破した経験がある神獣アヴリールがそう告げる。
第8階層とは迷宮における中層最深部であり、あと第9、第10という下層部を抜ければ最初の最下層へ到達できる位置だったのだ。
ソルにしてみれば少々拍子抜けだが、確かにこれより下へと続く道はなく、通常の迷宮で見慣れた階段の類も見つからない。
アヴリールの言うとおり、確かにここがこの迷宮の最深部なのだろう。
「リィン、フレデリカ。『固定№武装』を起動。ルーナとアイナノアはいつでも介入できるように戦闘態勢へ移行」
「はい!」
「承知」
となればお約束だ。
魔物支配領域の最奥には領域主がいるように、迷宮の最深部には階層主――最下層ともなればこの千年間、誰一人として接敵したことの無い『迷宮主』がいるのは当然なのだ。
そうであろうがなかろうが、こと戦闘に関してソルの指示に従わないリィンやフレデリカ、ルーナではない。
即時その指示に従い、通常装備が亜空間へと収納されリィンとフレデリカ、それぞれ専用の巨大な『固有№武装』、その№Ⅸ:モデル【九頭龍】と№Ⅴ:モデル【百腕巨人】が派手な魔導光を巻き散らして顕現する。
――最初の目的地に着いたからには、出し惜しみはなしだ。
迷宮主との接敵は、地上の領域主とはその趣を異にするらしい。
千年間一度も燈ったことのなかった広大な空間の外周に、いくつも設えられた篝火が順に燈され円環を成す。
それに合わせて中央に巨大な立体積層魔法陣が回転しつつ顕れ、莫大量の魔導光を発する。
ボス出現の演出を伴い、迷宮主との戦闘が開始されるのだ。




