第110話 『魔族』
表向きには今の時代、『魔族』は存在していない。
『勇者救世譚』における邪竜ルーンヴェムト・ナクトフェリアとの最終決戦を前に、『魔王』を頂点とする魔族は一人残さず拠点ごと『勇者』に滅ぼされたとされているからだ。
それが真実ではないことを、ソルはもう知っている。
淫魔と接敵しルーナがそれを生きたまま喰らった際に、『聖教会』が魔族を使役していることをすでに確認している。
だからこそ『聖戦』終結後、魔族を使役していた『奇跡認定局』と『逸失技術局』をイシュリー新教皇の直轄とし、ガウェインの工房へと送り込むように指示したのだから。
だが亜人種や獣人種とは違い、魔族は人にとっての明確な敵性存在である。
伝承で語られてはいても、それがどこに存在したのかすらも明確ではない魔族の拠点である『魔大陸』
その地を支配して人類と敵対し、この大陸に過去存在した国家をいくつも滅ぼした忌むべき怨敵。
魔物とは違い、人語を解し対話が可能にもかかわらず――いやだからこそ人とはけっして相容れることができなかった、魔導生物として進化した人の姿。
それが魔族なのだ。
いくつかの種や個体によって差はあるとはいえ、魔導生物である魔族はみな強力な魔導器官――外在魔力を吸収する器官を有している。
魔眼や角、あるいは翼や尻尾といった魔族が持つ魔導器官。
それらは妖精族をはじめとした亜人種や、魔獣と混ざったことによって生まれた獣人種すらも超えて、人が人のカタチを保ったまま、究極の魔導生物である『竜種』に並ぼうとしたがゆえに似通ってしまったモノか。
『魔眼』は竜眼に似て朱殷に染まり、それのみが種や個体によって千差万別な魔族の魔導器官において、ただひとつの共通項となっている。
だが今ソルの前で跪き、頭を垂れている魔人――ガウェインに「クリード」と呼ばれた20代後半から30代前半に見える精悍な男には、それらの特徴を確認することは出来ない。
酷薄な表情こそが似合うであろう端正な顔には能面のような笑顔を浮かべており、右目は常に閉じられていて開いているのは左目片眼だけ。
その頭には魔族であれば必ずあるはずの角はなく、背にも翼もなければ尻尾もない。
丁寧に撫でつけられた灰銀の髪や呪印一つ刻まれていないすべらかな肌、身に付けている上品な司祭平服も相まって、一見しただけでは美形の神父さんだとしか思えない容貌をしている。
ただ一つだけ魔族の特徴を示しているのは、左目片眼だけの朱殷の瞳のみである。
「ガウェイン様の御赦しを得て、お初にお目にかかりますソル様。私はクリード・インヴィワースと申します」
その魔族らしからぬ魔族の男が、低いが澄んだよく通る声で恭しくソルに名乗る。
「クリード・インヴィワースじゃと? 貴様本物か」
その名に反応し、珍しく驚いている様子のルーナである。
アヴもその九本の尻尾をぴんと立てたことから見て、千年前から生きている者たちにとっては知らぬ名ではないらしい。
「ルーナ知っているの?」
「純粋な戦闘力だけで言えば、魔王と並ぶとまで言われていた最強の魔族です。『竜殺し』の通り名を持ち、実際に何体かを殺されております」
ソルの問いに返ってきたルーナの答えは、思っていたよりもとんでもない内容だった。
基本的に人間より長いとはいえ、長寿種である竜種や妖精族、獣の神たるアヴリールと並んで千年以上を生きる魔族は特殊個体なのだ。
俗に『魔神』などと呼ばれ、魔王と並んで人の世に仇なす最悪の存在として神話や英雄譚には「悪役」としてなんども登場している。
ルーナやアヴが反応するということは本当に『勇者救世譚』の時代から生きている個体ということであり、竜種を殺せるというその実力は魔王と並ぶと称されるのも当然だろう。
「懐かしい響きですね。恥知らずにも生き存えております、全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア様」
だがルーナの評に対して穏やかに苦笑して見せるその様子は、数千年を生き、竜とも伍する『魔神』の一体とはとても見えない。
「なんじゃその様は。いや、我も人のことは言えぬのだが」
それほどの大物に対して、一見してルーナもアヴも気付けなかったのは、そのあまりにも変わり果てた姿ゆえだろう。
ルーナたちが知る『竜殺しの魔神』クリードとは、額に第三の魔眼を有し、頭には巨大な二本の山羊角、背には三対六翼の魔翼を生やし、大蛇の尾を持つ禍々しきヒトガタであって、今目の前で跪いている弱々しい存在ではないのだ。
「生かしてもらうために魔導器官はすべて自ら砕きました。残っているのはこの左眼だけですね」
自身が自嘲的にそう述べるとおり、怪物たちをすべて排して大陸の覇権を握った聖教会にまつろい生き延びるために、自ら失ったということらしい。
千年前のルーナであれば、唾棄すべき怯懦だと一刀両断しただろう。
だが自ら差し出したという違いはあるとはいえ、ルーナとて自身の魔導器官を奪われて千年の封印を架され、ソルに泣いて縋って解放してもらった身であるからには偉そうなことは言えないとみえる。
今のルーナは誇りある死よりも、辛酸を舐め尽くしてでも存えてこその今がある事をもう知っている。
だからこそクリードの恥辱に塗れた選択でも、頭から否定することなどできないのだ。
『御身が健在ということは、魔族は存えておるのか』
だがクリードがそうまでして聖教会に対する恭順を示したということは、代償として魔族の存続を許されたということなのかと神獣アヴリールが問う。
「いえ滅びました。全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア様が封印され、妖精王アイナノア・ラ・アヴァリル様が囚われ、神獣アヴリール様が殺された後に、同じく『勇者』様の手によって」
それはこの千年間と現在を知らぬがゆえの問いだったが、クリードによって明確に否定された。
やはり千年前に、聖教会は――旧支配者は人に仇なす怪物たちを一掃しているのだ。
そしてそのための剣であった『勇者』すら、最後は呪いによって縛っている。
まるで感情の籠っていないように聞こえる、事実だけを告げるクリードのその言葉にはどれだけのものが込められているのか。
そうでありながら、今に至るまでの千年を聖教会に従ったクリードには、そうするだけの理由が確かに在るはずなのだ。
ただ生き存えるためだけに、一族を滅ぼされた上で千年の屈辱に耐えることなどできはしない。
そしてソルにはその理由に思い当たる節がある。
クリードは魔族は滅ぼされたと断言した。
だがクリード本人もだが、先の淫魔のように、ある程度の魔族は今もなおごく少数とはいえ生き残っているのは間違いない。
そしてあの淫魔は確かにこういったのだ、「もう一度我が王に逢うまでは」と。
そして魔族たちが言う「我が王」――虚ろとなった魔王が今なおどこかで健在であることを、この場ではソルだけが知っている。
「だけど『虚ろの魔王』は健在だよね」
『封印されし邪竜』を召喚したあの場で選択させられた5枚の手札。
その残り二枚が『虚ろの魔王』と『呪われし勇者』だったがゆえに。
「――さすがは全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア様、妖精王アイナノア・ラ・アヴァリル様、神獣アヴリール様を従える御方。それを御存じなのであれば私の話はすぐに済みます」
常に淡々としていた――魔族が勇者によって滅ぼされた事実を告げた時さえ一切言い淀まなかったクリードが、そのソルの言葉にだけは一瞬とはいえ遅滞を見せた。
淫魔の命乞いによって『魔王』の存命を知り得ていたとしても、その状況――虚ろに囚われていることまでソルが把握しているのは想定外だったのだ。
だがそうとなれば要らん駆け引きなどせず、この場でソルと直接会話することをガウェインに要請した目的を果たすだけだと切り替え、笑顔でそう告げる。
「言われずとも魔王も解放するつもりですよ。アヴの後にはなりますけれど」
一方でソルは、クリードという魔族に対する警戒を一段下げている。
今ので驚くということは、クリードはソルの『プレイヤー』や、その能力の一端である『召喚』、その場で選択させられた5枚の手札の存在を知らないということだからだ。
であれば今の時点でもガウェインの工房には必要不可欠な人材であり、数少ない魔族の中でも元強者であり、魔王との関係も深いであろうクリードを重用することに問題は感じない。
言ったとおり、最終的には5枚の手札すべてを揃えるつもりであるソルにしてみれば、クリードに改めて請われずとも『虚ろの魔王』の開放は既定路線でもある。
「お待ちください」
だが慌てる様子もなく、静かにクリードが言葉を重ねる。
「私にできることであれば、どんなことでも致します。御身の命が尽きるまで、忠実な下僕として私が持つすべてを捧げることを誓います。必要であればガウェイン様の力をお借りして魔導器官を再生していただき、在りし日に『竜殺し』と呼ばれた力も取り戻しましょう。全竜ルーンヴェムト・ナクトフェリア様が封印され、妖精王アイナノア・ラ・アヴァリル様が囚われ、神獣アヴリール様が殺されてから今日に至るまでの詳細な歴史も正確にお伝え出来ます。今少し時間さえいただければ海中へと沈んだ『魔大陸』を再起動させ、御身の拠点として献上も致しましょう」
自身がソルに提供できる、あらゆる利を並べ立てる。
強大な戦力の一人として協力する。
それは今現在クリードが従えている魔族たちも含まれるだろう。
あの淫魔は魔導器官を失ったりはしていなかったので、そのレベルの戦力が複数手に入るのはソルの国にとって大きい。
ソルにしてもフレデリカにしても、ルーナやアイナノア、アヴであっても語れない空白の千年を実際に生きた身として語ってもらえるのは知的好奇心という点だけではなく、これからの行動指針にとって、とてもつもなく重要度は高い。
最後の『魔大陸』についての情報など、神話や伝説における最大の謎が解けるだけではなく、拠点として献上するという言い回しからも興味を持つなという方が無理だろう。
「――だから先に魔王を開放することを望む?」
それだけの交換条件を持っているからこそ、ソルと直接交渉することをクリードは望んだのだ。
その目的は可及的に速やかに『虚ろの魔王』を解放してもらいたいからに違いないだろう。
そう確信したソルが、二正面作戦も視野に入れるべきかと考えつつクリードにその確認を取った。
だが。
「否。魔王様を――あの子を虚ろのままに捨て置いていただきたいのです」
クリードの答え――望みはソルの予想とはまるで違うものだった。




