第100話 『支配者』①
「おまたせリィン」
エメリア王国の王都グランメリア、その中心にある壮麗な王城。
その正門脇で待っていたリィンに声をかけるソルは、先刻の「御前会議」の際に身に付けていたいつもの戦闘用装備とはまるで違ういでたちに変わっている。
素材こそ上等だがさっぱりしたデザインの、最近王都で流行っている高級品だ。
もちろんリィンの方も、デートに相応しい白をベースとした清楚系の服に着替えている。
リィンのそのいかにも「お洒落を頑張った女の子」な姿を確認した瞬間に、いつものままの格好で行こうとしていた自分を止めてくれたセフィラスに対して、ソルは本気で感謝していた。
――流石にジュリアに惚れられる男だけあって、抜け目がないな。
などと本気で感心しているソルだが、実のところ一般的な常識を身に付けた男であれば、自分が誘ったデートに戦闘用の装備のままで出かけるような朴念仁はまずいない。
「ソル君!」
だが色恋沙汰に関してはソルがわりと――いや相当にポンコツなのだと痛いくらい知っているリィンは、まともな格好をしてきてくれたことに驚きよりも喜びが先に立ってしまう。
駆け引きなど欠片も出来ていない満面の笑顔で、思わず子犬のようにソルに駆け寄る。
我ながら簡単だなあと呆れもするが、嬉しいものは嬉しいので仕方がないのだ。
リィンにはもしも自分に尻尾があったら、間違いなく今振っているという自覚がある。
「ってあれ? ルーナちゃんとアイナちゃんはどうしたの?」
「流石にデートに誘っておいて、あの二人を連れてくる気はないんだけど……」
だがソルが服だけではなく、ここ最近はあたりまえになっている『全竜』と『妖精王』を伴っていないことを意外に思って確認すると、さすがに心外な、という表情を浮かべるソルである。
「あはは。でもよく納得してくれたね?」
その様子を見て、リィンは思わず笑ってしまった。
今のところ『全竜』を真名で呼ぶことを赦されている者はそう多くはない。
なかでも「ちゃん付」で呼ぶのはリィンだけで、アイナノアなどは愛称で呼ばれるまでに至っている。
当の本人たちが呼ばれて機嫌よさそうにしているのが、フレデリカをしてリィンを序列1位に据える理由の最たるものだろう。
さすがに今のところ、他の誰もリィンの真似をする胆力は持ち合わせていないようである。
「……納得はしてないんじゃないかなあ」
だがそのリィンの言葉に対して、天を仰いで嘆息するソル。
確かにお留守番を命じられたルーナはちょっと拗ねていたし、アイナノアはそのルーナが相手をしなければ強引について来ていただろう。
さすがに後で何らかのフォローが必要だろうと、ため息をつかざるを得ないソルである。
だが逆に言えば、そこまでしてでもソルは今回、リィンと二人きりで話をしたかったのだ。
それを理解してリィンの機嫌はさらに良くなった。
理由はどうあれ自分と二人きりになるために、あの最大戦力二人のお留守番を命じてくれたのだと思うと、ソルに恋する女の子としてはにやけてしまうのは仕方がないところだろう。
「じゃいきますか」
そういってソルは巨大な城門から王都の中央街へと降る坂道を歩きはじめる。
「うん。久しぶりだよね」
「だなあ」
リィンはごく自然にソルの左側、最近ではすっかりルーナの定位置になってしまっている位置へ己が身を寄せ、ソルの左腕を自分の両腕で抱え込むようにする。
さすがにソルもこの程度ではもはや動揺してくれたりはしない。
王立学院時代に初めてやった時には大いに動揺してくれてリィンは嬉しかったものだ。
だが今のようにごく自然に、当たり前のように受け入れてくれることもそれはそれで嬉しいあたり、我ながら恋する乙女とは厄介なものだとリィンは自覚なく笑っている。
「王立学院の頃はよく一緒に出掛けていたのにね」
「あの頃はデートじゃなかったけどね。いつも直前で、なぜかジュリアに用事が出来てはいたけどさ」
そう答えてソルも笑う。
「あはは、あれじゃ流石にバレるよね。でも……今日はホントにデートでいいの?」
幼い学生時代の精一杯を思い出して、リィンは僅かに赤面する。
その精一杯は今とてそう変わっていないとはいえるが、歳を重ねた分もう一歩程度は踏み込めるようにもなっているのだ。
女子だって三日会わざれば、刮目して見よというものなのだ。
それがもう物心ついた頃からの10年越えともなれば、互いに必殺の間合いに踏み込むことにも恐れはしない。
――いえ、ホントに呑気なことを言っている状況じゃなくなりましたしね……
「……そう誘ったのは僕だからね」
「やった! じゃあ今日は念願の初デートだ」
踏み込んだ結果が予想外に嬉しいソルからの肯定の言葉だったので、リィンはそのまま抱え込んだソルの左腕に抱きつくかのようにしがみついてはしゃいだ。
「かわいいよなあ」
さすがにここまで密着されてはソルも虚心ではいられない。
少々の動揺を見せながら、思わず漏れ出たかのように本音を口にする。
「ホントにそう思ってくれているなら、彼女にしてよね」
「ごもっとも」
だがリィンはもはやこの程度で舞い上がったりはしない。
当然嬉しくはあるのだが、ソルは学生時代からリィンのことをこうやって本気で褒めてくれることは少なくなかったからだ。
べつにお世辞を口にしているというわけでもない。
主観的にも客観的にも、ソルはリィンのことをきちんと「綺麗で可愛い女の子」として認識している。
きわどい台詞を言われたり、それこそ今のように密着されたりすれば、年頃の男の子として当然の反応を示すほどには異性としてしっかり意識している。
だがソルは「好き」という感情が、まだいまいちすっきりと肚落ちしていないのだ。
綺麗な年頃の女の子に照れたり反応してしまうのは、「好き」よりも「欲望」だと判断している。
殺意を向けられる前のマークやアランに持っていた感情は「仲間として好き」と言っていいものだろうとは判断しているが、一度敵と看做せば殺すことにソルは一切の躊躇を持てなかった。
今のところリィンやジュリアに自分が向けている想いは、マークやアランに対するそれと同じだろうと自分では思ってしまうのだ。
つまりそれは異性に対する「好き」とは違うのだ、おそらくは。
念のためにリィンとデートする前に、ジュリアの婚約者であるセフィラスと会話をしてみても、嫉妬や独占欲などが湧くことはなかった。
リィンがソル以外の男性にそういうそぶりを見せたことがないのでその辺はまだあいまいだが、ソルとしては自分の反応はジュリアに対するものと変わらないんじゃないのかなあ、と思っている。
そんな自分が急に後宮だとか言われても、どうしてもピンとこないのだ。
当然このまま自分が認めれば、その後宮にはリィンもフレデリカも含まれるのだろうし、今は顔も知らない美女たちがソルの「寵愛」とやらを得るためだけにそこで暮らすことになる。
ソルとしては正直に言って流石に引く。
たぶんここで「後宮」を成立させてしまえば、自分は本当の意味で異性を「好き」という気持ちを理解できないままになるだろうという妙な確信もある。
だがソルの最大の目的はすべての魔物支配領域の開放とすべての迷宮の攻略、その果てに千年前に全竜が砕いた『塔』を経て天上へまで至ることだ。
そのためにはそうすることが必要で、それが最も効率的だというのであれば、絶対に拒否するというほど忌避感があるわけでもない。
「欲望」だけでいうのであれば、大いに興味があるとさえいえる。
だからこそ引き返せなくなる分水嶺を超えてしまう前に、自分でも一番女性として意識しており、自分を男として好いてくれているであろうリィンと「デート」を一度してみようと思ったのだ。
中央街までの長い下り坂を、ソルは黙って歩いてゆく。
その左腕を抱えて、鼻歌を歌いながらリィンは御機嫌だ。
こんな風に会話もなくただ歩くこと。
それが、沈黙の気まずさや間の持たなさに居た堪れなくなることもなく、特に理由もなく機嫌がよくなる関係が得難いことは、さすがにソルにも理解できている。
それに今やソルを相手にこんな風な関係を維持できる女の子は、あるいは世界でリィン唯一人だけかもしれないのだ。
――この気持ちがやがて「好き」になるのなら、後宮なんて別に要らないかなあ……
そう思いながら機嫌よく、ソルはリィンと二人で王都の中央街へと長い坂道を降りてゆく。
今日もまた、ソルとリィンの経済力からすれば取るに足りないなにかを「記念品」と称して、やたらと時間をかけて選ぶのかなあなどと呑気なことを考えながら。
これを幸せと呼ぶのだと、今はまだなにも知らないままに。




