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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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あなたは私の番3

 店長の家を離れた獣人たちは、待機させていた馬車にウルリカを押し込んだ。逃亡しないようにとの配慮なのか、武装した獣人たちも後から馬車に乗ってくる。乗せられたのがありふれた辻馬車だったため、犯罪者として護送されている気分だ。


 ヘルニウス伯の屋敷へ向かう途中で、ウルリカは別の馬車へ移された。今度は貴族が乗る馬車だ。豪華な車体だけでなく、牽引している馬にまで違いが現れている。


 馬車を乗り換える際に感じた、友好的ではない視線は気のせいではないだろう。


 ヘルニウス伯は狼獣人の家系だ。側近も同種族で固められている。使用人も獣人しかいないという噂があった。そんなところに見下している人族が入っていくのだ。両手を広げて歓迎される未来が想像できない。


 屋敷の玄関に到着した馬車が止まった。馬車の扉を開けた獣人が、身振りだけで降りるよう促してくる。


 ――本当に囚人みたいだわ。


 あからさまに歓迎されていない空気は、屋敷の中に入っても同じだった。


 玄関にはすでに使用人たちが集まっていた。感情を表に出していないのは、まだいい。中には顔をしかめて隣の使用人に耳打ちしている者もいる。ウルリカが狼族や戦闘種族の獣人であれば、彼らの態度も違っていたのだろう。


 誰に話しかければ、まともに返事をしてくれるのか。後ろの扉には、ウルリカを連れてきた獣人が立っている。帰りたくても帰れない。


 膠着状態のまま動けないでいると、奥から複数人の話し声と足音が聞こえてきた。玄関へ近づいてくる。


「なぜ止める? 番が見つかったのだろう?」

「その通りなのですが、しかし……」

「はっきり言え。まさか死にかけの老人だったのか?」

「いいえ、歳は若いのです。その、平民の調薬師でした」

「平民なのは分かっていたことだ」


 集まっていた使用人たちが玄関ホールの左右に分かれた。ようやく現れた上位者に、彼らは安堵している様子だ。


 先頭にいた仕立ての良い服を着ている青年が、ウルリカに気がついた。濃い灰色の髪と同じ色の尖った耳。同色の尻尾が一度だけ大きく揺れた。何らかの感情が彼の中に現れたようだが、他人が読み取れるほどの動きはない。


「――だと?」


 彼のつぶやきはウルリカには聞こえなかった。だが唇の動きは、人族を指す言葉だ。差別的とまでは言わないが、公の場で口にする言葉でもない。


 困惑とわずかな軽蔑。それが番から初めて向けられた視線だった。


 ――ほらね。おとぎ話みたいな結末なんてないのよ。


 ウルリカはマントの合わせ目を強く掴んだ。


 どうして異種族だと判明した時点で放置してくれなかったのだろう。そうすれば日常を壊されて誘拐された挙句、大勢の獣人から蔑まれることもなかった。自ら望んで番になったわけではないのに、まるでウルリカ一人だけの責任のように扱われている。


 この状態にしたのは彼らだというのに。


「……部屋へ連れて行け」


 青年はそれだけ言うと、ウルリカには目もくれずに戻っていった。使用人たちの大半は屋敷のどこかへ去り、数人のメイドがウルリカの前に立つ。


「こちらへ」


 ウルリカに話しかけてきた年嵩のメイドは無表情だったが、他のメイドは嫌悪感を隠そうともしない。彼女たちよりも上位の青年が、敬意のかけらもない態度だったのだ。その下にいる者が同じ態度になるのは当然だ。


 メイドについていくと、客室と思われる部屋に案内された。ウルリカが住んでいるアパートよりも広い。


 部屋の中へ入ったウルリカは、突然背後から突き飛ばされて転んでしまった。分厚い絨毯が衝撃を吸収してくれたものの、ひねってしまった手首が痛い。


「人族って噂通り鈍臭いのね」

「歓迎されるとでも思っていたの?」


 背後で若いメイドが笑っている。


「やめなさい。あなたたち」


 年嵩のメイドが二人を諌めた。だが言葉だけの注意で済ませるつもりのようだ。ウルリカを助け起こすこともない。


 自力で立ち上がったウルリカに対し、メイドたちはわざと聞こえるように言った。


「そう言われても。メイド長だって見たでしょう? ベルトルド様の態度。あからさまに失望してたじゃないですか」

「ベルトルド様かわいそう。こんなゴミを押し付けられるなんて」

「番だと錯覚させる薬でも使ったんじゃない? だって人族だし。薬を売って生活してたって聞いたわ」

「やめなさいと言ったでしょう。あなたたちはお風呂の準備をなさい」

「はーい」


 若いメイドは面倒そうに浴室へ入っていった。


「申し訳ありません。二人にはよく言っておきます。準備が整うまで、座ってお待ちください」


 こんなにも心がこもっていない謝罪は初めてだ。叩き潰した蚊への謝罪と同じぐらい感情がない。


 どうでも良くなったウルリカは、ソファに座って小さなため息をついた。ここにウルリカの味方がいないのはよく分かった。


 待っている間にメイドがお茶を淹れてくれたが、色も味も薄い。三回ほどお湯を入れた出涸らしの方が、まだお茶としての体裁が整っている。ここまでするなら白湯でよかったのではないだろうか。


「入浴の準備ができました。早く入ってくださーい」


 浴室からメイドが出てきた。ウルリカの腕を掴んで強引に立たせ、浴室へ連れて行こうとしてくる。言うことを聞かない子供のように扱われて苛立ったウルリカは、メイドの手を振り払った。


「生意気。あんたは黙って言われた通りにすればいいのよ!」


 再び捕まえようとしてきたメイドから逃げると、彼女の表情が険しくなった。反抗されて苛ついたのだろう。獣人の身体能力を活かして距離を詰め、引っ掻いてきた。ウルリカの鎖骨から胸の辺りが熱くなる。


「痛っ」


 分厚いはずのマントだけでなく、その下に来ていた服まで裂けていた。傷は浅かったが、流れ出た血が服につく。


 メイドは武器を持っているようには見えなかった。彼女の爪自体が、一つの武器になっているようだ。


「わざわざ世話してあげてるのに! 手間かけさせないでよね!」

「感じ悪いよね。早くしてくれないと、私たちの寝る時間が減るんですけど」


 今度は腰のあたりを蹴られた。勢いよくソファにぶつかったウルリカは、その場に膝をつく。


 ウルリカは決して鈍臭い方ではないが、彼女たちの動きについていけなかった。


 テーレの町にはうっすらと種族差別があるものの、人族だからという理由で攻撃されたことはない。種族は違っても協力しなければ生活できないと頭では理解しているためだ。理不尽な理由で攻撃する者は、いざというとき誰も助けてくれない。


 ところがこの屋敷は狼族を中心とした獣人だけで構成されている。異種族がいなくても成り立っている狭い共同体だからこそ、異物への警戒心は強い。さらにその異物が自分たちの上に立つかもしれないのだ。


「ディルマイア。やめなさいと言ったでしょう」

「そんなこと言って、メイド長も同じこと考えてません? よりによって人族がベルトルド様の番だなんて穢らわしいって。耳の形は変だし、尻尾もないわ。手加減した攻撃すら防げないくせに、私たちの上に立つつもりなんですよ? 完全にバカにしてますよね」


 同意したのはもう一人のメイドだった。


「確かにー。ちょっとむかつくかも。水風呂に一晩浸けない?」

「ほら、早く立ちなさいよ!」


 ディルマイアと呼ばれたメイドは、破れたウルリカの服に手をかけた。強引に引き上げたせいで、服の亀裂が大きくなる。


「やめて!」

「だったら死ぬ気で抵抗したら? 叫んだって、あんたを助ける人なんていな――」


 拳を振り上げたディルマイアが強い衝撃を受けて吹き飛んだ。思わぬ方向からの攻撃に、信じられないといった顔で上半身を起こす。彼女の左頬は赤く腫れていた。


「騒がしいから何かと思えば……お前たち、何をしている」


 怒りを声にのせて現れたのはベルトルドだった。彼の後ろには、腰から剣を下げた獣人がいる。ベルトルドの護衛なのか屋敷の警備要員なのかは分からない。


 ディルマイアは鼻から垂れた血を拭おうとせず、ただ怯えた目で左頬をおさえ、ベルトルドを見上げた。


「ベルトルド様……どうして……?」

「何をしている? 二度も同じ質問をさせるな」

「こ、これは、その……」

「誰が虐待しろと言った。お前は裁量を下せるほどの権限があるのか?」

「これは、虐待じゃなくて……ちょっとした意見の食い違いが……」


 ベルトルドはウルリカからマントを剥ぎ取り、爪で切り裂かれたところを広げた。


「言い訳を重ねるな。不愉快だ。お前は自分がやったことすら覚えていないようだな」


 ディルマイアはうつむいて答えない。


「で、お前たちは止めもせず見ていただけか」


 メイド長ともう一人のメイドは顔を青ざめさせた。


「あ、あたしはお風呂の準備中だったから……どうしてこうなったのか知りません」


 メイドは先程までディルマイアに同調していたくせに、ベルトルドが現れた途端に裏切った。落ち着きなく目線をさまよわせ、両手はスカートを強く握りしめている。


 ディルマイアは悔しそうに唇を噛んでメイドを睨みつけた。


「申し訳ありません。注意はしたのですが」

「その結果がこれか? お前の指導不足だという自覚はあるか」

「……はい」


 ベルトルドは護衛が下げている剣を引き抜いた。ディルマイアの前に立ち、剣先を向ける。


「お前は俺が招き入れた客人を故意に傷つけた。耳を切り落とす」


 髪で耳を隠しやすい人族に比べ、獣人は誤魔化すのが難しい。さらに獣人は自らの種族的な特徴を表に出すことを誇りとしている。そのため耳や尻尾を切り落とすのは、獣人に対する最大の罰であり辱めだった。


「それだけは、どうか! 申し訳ありませんでした。二度とこんなことはいたしません。ですから」

「番を傷つけた者に二度目があると思うな」

「だって、ベルトルド様は無関心だったじゃないですか! 嫌な顔してましたよね! こんなのが番だったベルトルド様が可哀想で、それで、私たち、お役に立ちたくて」

「勝手に俺の心を推察するな。的外れもいいところだ。使用人風情が俺に同情だと? ずいぶんと偉くなったものだ」


 ディルマイアは涙声で訴えたが、ベルトルドの機嫌を損ねただけで終わった。剣を振り上げたベルトルドの意思が変わらないと悟った彼女は、座りこんだ姿勢のまま必死で後ずさる。


「ま、待って!」


 思わず声を出したウルリカに視線が集まる。ベルトルドの冷たい表情は変わらず、メイド長とメイドは「失礼な奴だ」と言いたげに眉根を寄せる。ディルマイアは驚いて口が半開きになったが、瞳には次の言葉を期待する光が現れた。


「部外者が口を挟むな。これは我々の問題だ」

 ――その部外者を連れてきたのは誰よ!


 ウルリカは言い返したい気持ちを抑えた。今はベルトルドと喧嘩をしたいわけではない。


「ここで耳を切り落とすつもりですか?」

「そうだが」

「このあと、私は血生臭い部屋で寝なければいけないのですか?」


 寝室は隣の部屋だから人族の嗅覚では感じないだろう。だが泣き叫ぶ獣人が耳を切り落とされた場面は、そう簡単に忘れられない。この部屋に入るたびに、血の臭いを思い出してしまいそうだ。


 ベルトルドはわずかに目を見開いたあと、静かに剣を下ろした。後ろにいた護衛に剣を返し、短く告げる。


「連れて行け」

「は」

「嫌ぁ! やめて! お願いします。何でもしますから、それだけは! 嫌よ! どうして私だけなの!? あいつなんて水風呂に沈めようって言ってきたんだから!」


 護衛は表情一つ変えずに、ディルマイアを引きずるように部屋の外へ連れ出した。屋敷中に響くような声が途中で聞こえなくなったのは、猿ぐつわでも付けられたのだろう。


 この後、彼女に待っている処置は可哀想だと思う。だがウルリカは自分にされたことを許す気になれない。一方的に罵られて怪我をさせられたのだ。ベルトルドが来なければ、一生残る傷をつけられていたかもしれない。


 ――体力差を考えると、死んでいたかもしれないわ。


 ディルマイアがどの程度戦えるのか知らないが、感情に任せて襲ってきた相手が力加減をする可能性はどれほどあるのか。むしろ、うっかり殺してしまう確率の方が高いに違いない。


「水風呂?」


 ベルトルドがつぶやくと、残ったメイドの顔が青ざめた。


「い、言ってませんそんなこと! 準備の途中だったんで戻ります!」


 メイドは急いで浴室へ入っていった。ベルトルドも浴室へ入っていくのでウルリカも後を追いかける。中ではメイドが必死な顔で湯船の中に手を突っ込み、小さな声で呪文を唱えてかき混ぜていた。すぐに湯船の中から湯気が出始め、見ていたウルリカにもお湯が沸いたことが分かった。


 自身の手を入れて温度を確かめたベルトルドは、ウルリカを見下ろして言う。


「自分の身ぐらいは自分で守れ。いつでも助けてもらえると思うな」


 あまりにも突き放した言い方だった。こんなところへ来るはめになった原因のくせに、ウルリカの待遇には極力関与しないつもりでいる。


 ウルリカが自ら望んで押しかけたなら、彼が言っていることは理解できた。貴族の妻が使用人を制御できないのは問題があるし、狼獣人には実力を示さなければ仲間と認めてもらえない。


 沈黙を了承と受け取ったのか、ベルトルドは浴室からさっさと出て行く。外で待っていたメイド長には、顔も見ずに告げた。


「仕事に私情を挟む者はここから出ていけ。分かったな?」

「はい。申し訳ありません」

「他のメイドにも徹底しておけ。お前への罰は後で知らせる」


 ベルトルドが部屋から出ていくと、静かに近づいてきたメイド長に話しかけられた。


「湯船へどうぞ。ディルマイアに代わって私がお手伝いいたします」

「待って」


 服に手をかけようとしたメイド長を止め、ウルリカは自分の体を抱えた。


「一人でやるから出ていって。私には、さっきのメイドとあなたは同類よ。信用できない人に裸を見せたくないわ」


 目の前で罵ってきたメイドを止めなかったのだ。ベルトルドに言われた程度でメイド長の中にある差別意識が変わるとは思えない。


「しかし……」


 メイド長は軽く頭を振った。


「かしこまりました。外で待機しております。何かあればお呼びください」


 二人が出ていくと、ウルリカは浴室の扉に鍵をかけた。服を脱いで傷を確かめてみた。幸い出血は止まっている。マントが攻撃のほとんどを吸収してくれたようだ。


 湯船に入ると傷口が痛む。


 ――帰りたい。


 この屋敷はウルリカの家よりも広いし綺麗だ。自分の代わりに家事をしてくれる使用人も大勢いる。きっとベッドの寝心地も違うだろう。どれほどのお金があれば、こんな贅沢ができるのか想像もつかない。ウルリカが一生をかけて働いたとしても、この部屋の調度品を全て合わせた額には及ばないだろう。


 豊かな暮らしを夢見たことはある。子供の頃は王族や貴族に生まれ変わったら、なんて話を友達としたぐらいだ。今のウルリカは想像していた環境にいる。だがウルリカが欲しかったものとは似ても似つかない。


「エリク……」


 目からこぼれ落ちた雫が水面に波紋を作った。

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