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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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あなたは私の番2

 翌朝、店長は家にウルリカを残して出勤していった。残されたウルリカは、家の中にある薬草学の本で暇つぶしをするしかない。


 ウルリカの亡き両親は調薬師だった。比較的お金には余裕があったため、子供の頃のウルリカは町に一つしかない学校に通っていた。そのおかげで文字の読み書きや計算で苦労したことはない。早死にしてしまった両親を恨んだこともあったが、彼らがウルリカに知識を得ることの大切さを教えてくれたおかげで、同じ調薬の仕事に進むことができた。


 窓には分厚いカーテンがかかっている。ウルリカを探している獣人たちを警戒して、窓は閉じたままだ。換気のために少し開けただけでも、居場所を嗅ぎつけられてしまう気がする。ウルリカはカーテンの隙間からこぼれた光で、本の文字を目で追った。


 番の貴族が帰郷していなければ、今頃はいつも通りの生活を送っていたはずだ。エリクとは次の約束をして、魔法薬の調合をしながら時間が過ぎるのを待つ。そんな平凡な日々が恋しい。


 ――貴族なら婚約者とかいるんじゃないの? そこに平民の私が現れたら、面白くないって人が大勢いるわ。番を誤魔化せる薬とかあればいいんだけど。


 店長の家には古い時代の薬に関する本もある。そんな都合がいい情報を求めて本を開いてみたが、ウルリカが望む魔法薬は見つけられなかった。


 夕方になり夕飯を作っていると、仕事を終えた店長が帰ってきた。


「店長の分も作ってます。好みの味だといいんですが……」

「悪いわね。私の分まで作ってもらって。好き嫌いはないから大丈夫よ」

「匿ってもらっているお礼です」


 料理といっても、テーレではありふれた魔獣肉と根菜のスープと、チーズや買い置きしてあったパンを用意しただけだ。


 ダンジョンがある町で一部の魔獣を食材にするのは珍しくない。家畜よりも味は若干劣るが、狩人が調達してくる魔獣肉は安く、流通量も多かった。


「キーリアが仕事を辞めることになったわ」


 席についた店長が前置きもなく言った。


「あー……もしかして番の彼についていくんですか?」


 キーリアの番は旅商人のような身なりだった。この町での仕事が終わったら、また次の町へ行くのだろう。


「知っていたの?」

「偶然、彼女が番に会うところを見たんです」

「そう。相手はそれなりに大きな商隊を率いているそうだから、いきなり仕事を放り出してテーレに留まるのは出来ないそうよ。だからしばらくキーリアがついていくんですって」


 番と会えて喜んでいる獣人を引き止めるのは無理だと、店長は判断したそうだ。休職扱いにしても、いつ帰ってくるのか分からない。キーリアには番の仕事を手伝うという選択肢もあるのだ。


 旅をするなら病気や怪我をすることもあるだろう。そんな時に調薬の知識や技能は役に立つ。他の町で粗悪な薬を売りつけられそうになっても、回避できるはずだ。


「そんなわけで、キーリアは番のことで頭が一杯だったわ。退職の手続きだけして帰ってもらったけれど、あなたが休んでいることに気が付かなかったんじゃないかしら」

「好都合かもしれません。私が番を拒否しているって知ったら、番の幸せを力説してきそうですし」

「あの子がうちの店に就職したときは『番の本能で結婚相手を決めるなんて嫌』と言っていたのに。変わるものなのね」


 その言葉はウルリカの心に刺さった。


 出会った頃のエリクも、番には興味がないと言っている。


 獣人が番を求めている姿は、ウルリカには奇妙に見えた。結婚相手は自分の生活範囲や人間関係で決まるのが普通と思っていた。番の本能に肯定的な意見を持っている人は、たとえ結婚をしていても番が現れたら全てを捨ててしまうのだろうか。


 考えれば考えるほど分からない。ただ一つ言えることは、ウルリカに関係がなければ好きにすればいいということだけだ。


 翌日以降も、ウルリカは店長の家で隠れて本を読んでいた。使えそうだと思った魔法薬は、魔獣の嗅覚を麻痺させる薬ぐらいだ。嗅覚が優れている狼族にも応用できないだろうか。


 ずっと何もできない時間が過ぎていく。夕食を作っている間に店長が帰宅し、いつもと同じ夕食。その繰り返しだ。このままここにいたら、時間の感覚が分からなくなる。


 食事に使った皿を洗い終えた頃、誰かが呼び鈴を鳴らした。


「店長……」

「あなたは隠れていて」


 小声で言葉を交わし、ウルリカは借りている寝室へ静かに移動した。


「どなた?」

「店長、私です。キーリアです!」


 扉越しに聞こえてきたのは、キーリアの弾んだ声だった。


「キーリア? どうしてこんな時間に訪問してきたの?」

「テーレを出発する前に、確かめたいことがあって」

「確かめたいこと?」

「店長。開けてくれないなら、こじ開けますよ。いいですよね?」

「駄目よ。夜遅くに訪ねてくるだけでも非常識なのに、扉を開けろですって? 明日にしてちょうだい」

「明日じゃ駄目なんですってば」


 玄関扉の鍵穴に何かを差し込む音がした。


 嫌な予感がしたウルリカは、部屋に置いてあったフード付きのマントを羽織る。テラスに繋がっている窓を開けると、冷たい夜風が入ってきた。


 テラスから道路へ降りられないだろうかと見回し、避難用のハシゴを見つけた。縄で引き上げ、折りたたんで収納してある。すぐ下の階にも同じものがあった。これを使えば一階へ降りられそうだ。


 マントの襟元を掴んでテラスへ出たウルリカは、ハシゴを引き上げている縄に近づいた。


「どこへ行くつもりだ?」


 上の階から身軽に男が飛び降りてきた。驚いたウルリカは小さく叫んで室内に戻る。男はウルリカを追いかけ、窓枠に手をかけた。


 男の頭には立派な尖った耳がある。大柄で犬のような尻尾を持つ、狼族の特徴がよく現れていた。


「まさか逃げようとしていたのではないだろうな?」

「な、何を言っているの?」


 下手なことを言えば殺される。そう感じたウルリカは、ゆっくり後ずさった。


「店長が来客に応対している間は、星でも見て暇つぶししようと思ったのよ。あなたこそ何なの? 勝手に入ってくるなんて」

「お前を探しているお方がいる。来い」

「痛っ!」


 彼はウルリカを探しているという貴族の部下だろう。


 腕を掴まれたウルリカが抗議をしても、男は力を緩めようとしなかった。引きずられるように玄関へ連行されていく。玄関には鍵をこじ開けた獣人たちと店長がいた。


「ほらね! やっぱりここにいた!」

「ウルリカ……」


 嬉しそうなキーリアとは対照的に、店長は感情を押し殺した顔をした。


「家にいないから心配したのよ。探したんだから」

「なんでキーリアがここにいるの?」

「なんでって、私の恋人が領主様に頼まれたのよ」


 キーリアの番は、ヘルニウス伯が抱えている商人だそうだ。ヘルニウス伯は息子の番探しを手伝うべく、町にいる知り合いにも声をかけていたらしい。


 恋人の番から話を聞いたキーリアは、大切な番の役に立てると喜んだ。


「私ね、番のこと勘違いしてたわ。古臭いとか迷信だって思ってたの。本能が求めてる相手だなんて意味が分からないってね。でも一目見て理解したわ。自分に欠けていたものが満たされる感覚って言えばいいかな。もう、とにかく凄いのよ!」

「おい。それぐらいにしておけ」


 ウルリカを捕まえている男が呆れたように言う。


「ちょっと待ってよ。これが最後のお別れになるかもしれないんだから」


 キーリアが家の中へ入ってきた。ウルリカを捕まえている男を押しのけ、抱きしめてくる。


「ねえ、どうして店長の家にいたの? ずっと家に帰ってなかったでしょ? まさか番から逃げてるなんて言わないよね?」


 近くで聞くキーリアの声は、鳥肌が立つような怖さがあった。彼女の目に光はなく、仄暗い瞳がウルリカを見つめてくる。


 下手なことを言えば、キーリアが敵になりそうだ。番は素晴らしいものだと気がついた彼女は、こちらにも価値観の目覚めを強要してくるだろう。


「……風邪を引いたから店長に薬を調合してもらっていたのよ。医者にかかるよりも安く済むし、店長が作る薬が一番効くもの」


 もっともらしい言い訳を用意してくれたエリクには、感謝しかない。


 魔法薬店にはダンジョンで使える薬だけでなく、日常生活で必要な薬も置いてある。風邪薬を求めて近所の人が買いに来ることも珍しくない。だから従業員であるウルリカが、働いている店の薬を買ってもおかしくなかった。


「あー、分かる。診療費が高いのよね。安いところは混んでるかヤブ医者ばかりだし。で?」

「薬だけもらって帰るつもりだったけど、その時の私って酷い顔色だったみたい。心配した店長が看病してくれたの。あなたは看病してくれる家族と同居してるけど、私は一人暮らしだから」

「そっか。それなら仕方ないわね。でも店長、どうしてウルリカが風邪で寝込んでるって教えてくれなかったんですか?」

「あなたは番のことで頭が一杯だったでしょ」


 キーリアに答えた店長は、ウルリカを守るように引き剥がした。


「まだ体調が戻っていないのよ。だから手荒なことはやめてちょうだい。ウルリカ。食後の薬を出してあげるわ」

「そんなもの必要ない。もう行くぞ」


 男はウルリカの肩を掴んだ。早くベルトルドのところへ連れて行きたかったようだが、店長に強く手を叩かれて引っ込めた。


「何すんだよ!」

「何ですって? あなたこそ何様なの? 勝手に人の家に入ってきて、うちの従業員に触らないで」

「お、俺はベルトルド様の――」

「あなたのご主人様は訪問時のマナーを躾けてくれなかったようね。キーリア。この人を外へ連れ出しなさい。あなたなら分かるわよね? 番に会う前に、身支度を整える大切さを」


 いきなり名指しされたキーリアは呆けた表情を見せたものの、番という言葉で自分がすべきことを理解したようだ。男を玄関の外へ引っ張りながら、女性の身支度について語り出した。


 家の奥へ戻った店長は、鍵がついた引き出しから小瓶に入った薬を出す。


「……狼獣人によく効くように調薬した眠り薬よ。使い方は難しいけれど、一晩ほど効果があるわ。いつ使うかは、あなたが決めなさい」

「今使うのは駄目ですか?」

「良くないわね。逃げるあてはあるの? 町の出入り口には見張りがついているはずよ。あなたが走って逃げても、すぐに捕まってしまう。狐の子が町の外へあなたを逃さなかったのは、そういう理由なんじゃないの?」


 黙ってしまったウルリカに、店長は優しく言った。


「獣人は自分の番には優しいと聞くわ。あなたが警戒している貴族の社交界は、参加したくないと言えば回避できるかもしれない。ここで逃亡して相手に悪い印象を持たれるより、信用を得て自由を勝ち取る方が、あなたの要求が通りやすくなるわ。あなたは捕まるんじゃない。生きるために番のところへ行くのよ」

「……店長は獣人が本能に従って番を得ることに賛成なんですか?」

「全てを肯定することはできないわ。でも全て否定することもできない。番が現れたことで今までの生活が変わった人族の中には、幸せに暮らしている人もいるのよ。あなたも、そのうちの一人になるかもしれない」


 店長が言っていることは無責任な立場からの言葉だ。ウルリカはそう感じて怒りが湧いたが、店長の言葉を否定できないことも理解していた。


 会ったことがない相手のことを勝手に想像して、嫌いになって拒否をするのは正しくない。何も知らないくせに「平民が知っている貴族の情報」だけで判断している。エリクやキーリカのように、人族に理解がある獣人もいることは、テーレで暮らしていれば分かることだ。


「……そうかもしれません」

「狐の子が来たら、あなたのことは伝えておくわ」

「お願いします」


 こうしてウルリカの短い逃亡生活が終わった。

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