67話 知りたい
近藤さんは東雲病院の看護師さんの苗字です。
「すぅぅぅー…………はぁぁぁぁ……」
寮の入り口で足を止めて、胸に手を置きながら、深く深く息を吸って吐き出した。
さっきレイラとは別れた。ぶつくさとずっと「一花は本当にバカすぎますわ」とか何とか言っていたよ。あれはかなりキレてるわ。気持ち悪く「ふふふ」とか笑ってたし。余程、ずっと隠されていたのが嫌だったんだな、うん。
そんなことより、自分の事だ。
一花はもう帰ってきてる。近藤さんがそう言ってたし。
やっぱり緊張してる、あたし。昨日の今日だからそれはそうなんだけど……さっき一花のお姉さんから聞いた過去の話もあるからかも。
花音が前に言ってたこと、今少しだけ分かる。
支えたいって思う。
一花が苦しんでるの、助けたいって思う。
一花の隣で。
そりゃあさ、自分に振り向いてもらえれば、それに越したことはないよ。だけど、恋人としてじゃなくても、一花の支えになれる存在になりたい。
お姉さんに話を聞いてよかったって思う。
じゃなきゃ、こんな気持ちにはならなかった。
振られて落ち込んで、だけど今、自分の中の一花への大好きだって気持ちがとても大切に思えてくる。
好きだから、迷いなく支えたいって、本心で思える。
「……よしっ!」
気合を入れて、寮の中に入っていく。ドカドカと心臓は騒がしい。今はまず、一花の今の気持ちを知ることだ。
一花は言った。
すまないって。受け入れられないって。
だから、今度はちゃんと聞く。
好きか、嫌いか、どっちかだ。
「……あの、舞? 大丈夫?」
「ひぃぃぃやあああ!?」
自分の部屋の前でまた深呼吸していたら、後ろから花音の声がして思わず悲鳴をあげてしまった。びびびびびっくりしたんだけどお!?
振り向くと、花音は花音でランドリールームに行っていたのか、洗濯物を腕に抱え、「えー……」とでも言いたげな微妙な顔をしていた。いやいや、そんな顔しなくてもいいじゃん!? いきなり話しかけられたらびっくりするでしょ、誰だって!!
「そんなに驚かなくても……」
「ごごごごめん……いやでも、その集中してたっていうか……」
「……一花ちゃん、帰ってきてるよ」
一花という単語にビクッと条件反射のように肩が震えた。あたしのその様子に気づいたのか、花音も心配そうに見つめてくる。
「大丈夫?」
「へ、平気。あたしも一花とちゃんと話したいって思ってたし」
「もし無理なら、今日もこっちで寝ていいんだよ? 一花ちゃんも相当疲れてるみたいだし」
「え?」
一花が疲れてる……?
「さっき葉月が言ってたから。ゴロちゃん連れて少し話したみたい。私もこの後、夕飯持っていこうとは思ってるけど」
「そ、そうなんだ……」
そっか……。疲れてるのか。でも、今日は病院にいたんだよね? そういえば、お姉さんにも聞いてなかったや。一体何してたんだろ? 葉月っちの相談とか?
そんなことを考えていたら、目の前の花音が「舞に言おうか迷ったんだけど」と言葉を繋いできた。迷う?
「あのね、一花ちゃん、昨日は病院に泊まったみたいで」
「え、そうなの? でも、部屋に一花の置手紙あったけど?」
「それ、朝に一花ちゃんの部下の人に届けさせたみたい。舞に心配させたくなかったんじゃないかな」
「心配?」
「……うん」
妙に花音の表情が曇っている。気になってくるんだけど。
「一花に、何かあったの?」
「……私もまさかとは思うんだけど……葉月が言ってたから」
葉月っちが?
意を決したかのように、真っすぐ花音はまたあたしを見てきた。
「一花ちゃん、昨日倒れたみたい」
……え?
「倒れた……?」
「そう、舞と別れてからすぐ」
え、え? 昨日? あたしを振ってから?
予想外の事実に、頭がこんがらがってくる。
「私ね、舞も一花ちゃんも大事。大切な友達だって思ってる」
「……え?」
いきなりの花音の嬉しくなる発言で、またまた混乱してくる。だけど、花音はいつもの柔らかな声を出していた。
「だから、2人には上手くいってほしいなって思うよ。舞のことも応援してる」
「え、う、うん。ありがとう?」
「でもね、一花ちゃんも大事なんだよ。葉月のこともあるけど、それ以上に今までお世話にもなってるし、迷惑もかけてきたから、尊重したい」
「花音?」
ふうと一息ついてから、花音は腕に抱えている洗濯物をギュッと掴んでいた。
「こんなこと舞に伝えても、舞が心配するだけだって思ってる。でも倒れたって聞いて、実はかなり動揺してる。葉月も口には出してないけど、すごい心配そうだった」
「それは……確かにそうだけど」
というか、今は予想外のことで色々混乱してるけど。
「簡単に考えてたのかも。葉月のことが落ち着いたから、だから一花ちゃんも前よりは周りのこと考えられるようになるかなとか、舞のことそういう風に考えてくれるのかなとか」
……意外と花音にしっかり想われてた、あたし!! 純粋に嬉しいんだけど!!
「応援したい気持ちは本当なんだけど……でもいいのかなって。一花ちゃん、倒れるほど何かを頑張ってたのかなって。気づかなかった自分が悔しいなって」
それは……あたしもそうだよ。
倒れたなんて、そんなに嫌だったって事なのかな、あたしの気持ち。
「ねえ、舞」
「……ん?」
「今から一花ちゃんと話すんだよね? 本当に大丈夫? また、一花ちゃん倒れたりしないかな? 今はやめといた方がいいんじゃないかなって、少し思ってて……舞のこととは別に大変なことがあるのかもしれないし……」
……そっか。
そうだよね。心配になるよね。
花音は優しいから、あたしのことも一花のことも心配してる。
だけどさ。
「大丈夫!」
「え?」
「大丈夫だよ、花音! あたしだって一花が心配だから!」
ハッキリと口に出すと、面食らったように花音はパチパチと目を瞬かせている。そりゃそうか。昨日まで泣いてたし、今日の朝なんか悩んで悩んで、目の下に隈を作ってたし! それは今もあると思うけど!
「確かにさ、一花とちゃんと話したいって思ってる。でもね、これはあたしが知りたいからなんだよ」
「知りたい?」
「一花の本当の気持ち、ちゃんと知りたい」
そう、知りたい。
あたしへの返事が、お姉さんから聞いた過去の話が原因なのか、それとも純粋にあたしをそういう対象で見られないからなのか。
「その倒れたっていうのも、どうしてなのか。一花はその原因を知っているのか。全部を今知りたいって思ってるんだ」
そうじゃなきゃ、
知らないと、
きっとあたしも一花も前に進めないから。
「だから、ちゃんと一花と話したい。それに……」
「……それに?」
「あたし、前に花音が言ってたこと、今日で少し分かったんだ」
支えたいって、
苦しんでる一花を助けたいって。
それには、ちゃんと一花と話さなきゃ。
「もし、あたしの昨日の告白のことで一花が気に病んでるなら、そのことに対してもちゃんと話したい。ちゃんと今度は聞くって決めてきたから」
へへっと笑って、花音に堂々と告げる。
誰かにちゃんと今の自分の気持ちを言ったからかな? 不思議とさっきまでの緊張が少なくなってる。一花を前にして、ちゃんと話せるか少し不安だったから。やっぱり振られて悲しい気持ちはまだ残ってるからさ。
少し安心したのか、花音がいつもの優しい笑顔を浮かべてくれた。
「そっか。今日、何があったかは分からないけど、舞にとって良い事があったんだね。帰りが遅いのも少し気にしてたんだよ?」
「あ、ごめん! すっかり連絡するの忘れてた!」
そういやそうだ! レイラと話して、そのまま授業終わったらすぐに病院に行ったんだった!
でも花音は「いいよ」と言いながら、ふふって笑ってくれる。
「だけど舞。あまり一花ちゃんに無理させちゃ駄目だよ? 舞も辛くなるようだったら、またこっちの部屋に来ていいから。今日は鍵閉めないで開けておくね」
か、花音! 優しすぎる! その優しさにウルっときた!
でも、いつも鍵閉め忘れてるよね? 花音、すっかりもう鍵開けておくの習慣化してるよね? 常日頃から、葉月っちのことで一花がすぐに部屋に入ってこれるようにしてるの知ってるし――とは言わないでおこう、うん。
……よっし、花音にめっちゃ元気もらったし、いきますか!
ガチャ
意を決して、自分の部屋に振り返ろうとした時に、その部屋のドアが開いた。ドキッと自然と胸が震える。
「……騒がしいからやっぱりとは思ったが、お前ら、廊下で騒がしくしすぎだろ」
昨日ぶりの一花が、いつもの呆れた顔であたしと花音を見てきた。あ……花音の言うとおりかも。体調悪いのか、一花の顔色が少し青いような気がする。
花音が心配そうに、あたしの背中越しに一花の顔を覗き込んだ。
「一花ちゃん、大丈夫?」
「……葉月から何を聞いたか知らないが、心配するな」
「後で食べやすい物でも作って持ってくよ。葉月も心配してるんだよ?」
「あいつに言っておけ。だったら、普段の行いに目を向けろとな」
ハアと疲れたようにいつもの溜め息を吐いている一花。だけど、葉月っちへのツッコミにいつもの覇気がない。見るからに分かる。いつもと違う。
「あ、あのさ、一花」
「……やっと帰って来たのか、さっさと入れ」
え、え? 入っていいの? いや、自分の部屋でもあるんだけど。
意外と普通に話してくれた一花に内心ホッとしつつも、でも一花は全然あたしと目を合わせてくれない。
やっぱり、気まずいって思ってるのかも……。
「花音、食べる物はいい。すまないな、心配かけて」
「え? でも――」
「大丈夫だ。病院出る間際に食べさせられたから、まだ全然空いてないだけだ」
あ、あれ? 一花が帰ってきたのって、本当にさっきなんだ? いや、近藤さんもそう言ってたから、あたしとレイラと入れ替わりで帰ってきたのかも。それだったら、確かにまだそんなに時間経ってない。
花音も一花にそう言われちゃったからか、「そっか」と短めに呟いている。「それに」と一花はまた花音に話しかけた。
チラッと、あたしに視線を向けながら。
「舞と、話さなきゃいけないことがあるんだ」
一花のその一言で、ぶわっと、さっきまでの緊張が戻ってきた。
「あ……うん、そっか。分かった。じゃあ、もしお腹空いたら言って? すぐ作ってあげるから」
「ああ、悪いな」
「ううん。じゃあ葉月も待ってるから、私も戻るね」
心配そうな花音の声が背中からしたけど、すぐに後ろの花音たちの部屋のドアが閉まった音が聞こえてくる。
バクバクと心臓はうるさい。ええい! さっきまでのあたし、帰ってこぉい! いいじゃん! 好都合じゃん! 一花からも話があるって言ってるんだから!
……絶対あたしとは違う話だと思うけど。
一花は何も言わず、静かに中に入っていく。慌ててあたしもその背中を追いかけた。部屋の中に入っても、一花は黙って真ん中のガラステーブルの近くに座っていた。テーブルの上には一花がさっきまで読んでいたであろう本が置いてある。
き、気まずい。この部屋、こんなに静かだった? 気のせいだと思うけど、空気も静かな気がしてきた。いや、空気が静かってどゆこと!? 自分でも訳分かんなくなってるんですけど!
「……座らないのか?」
「え!? あ、いや、ごめん! 座る! 座りま――(ゴン!)――いったぁ!?」
勢いよく座ろうとしたら、膝をそのままガラステーブルに打ち付けてしまった。痛すぎるんだけど!?
「お前…………なんというか……」
一花のその呆れてものを言えない風の同情めいた声に恥ずかしくなってくる。ししし仕方ないじゃん!? 打っちゃったものは仕方ないじゃん!? 痛いものは痛いんだよ!
おおお落ち着け落ち着け、自分! とにかく、痛いのも痛いのも後回しだ……あれ? 今同じこと思ってない? ままま、まあいいか!
そんなことはどうでもいいんだよ! そう! あたしは今ちゃんと一花の気持ちを知りたくて、ここにいるんだから!
気持ちを勝手に自分で持ち直して、膝がジンジンと痛むのも頭のどっかにやって、正座した。いや、正座なのはつい自然となんだけど。一花とちゃんと話すっていうと、いつもは説教の時ぐらいだから、癖になってるっていうか。
ああ! また違うこと考えてる!
「……昨日の今日なのに、お前、前より騒がしいな?」
「へ!?」
「まあ、いいんだが……」
……どゆこと?
あたしの疑問は一花の溜め息に打ち消される。
「てっきりもっと死にそうな顔をしてるかと思ってたが、まあ、平気そうで何よりだ」
「いやいや、平気じゃないんだけど!?」
どこが平気に見えるのさ!? は! 違う! 今はそんなことに突っ込んでる場合じゃなくない!?
そう、あたしは一花にまずは本当の気持ちを知りたくてきたわけで!
「ああああ、あのさ――」
「お前が平気な内に、これにサインしろ」
「え?」
あたしの言葉を遮って、一花がスッとテーブルの上に一枚の紙を出してくる。
自然と視線がその紙の上の文字に運ばれた。
「ルームメイトは解消だ、舞」
寮の部屋替え希望の紙。
ゆっくりと、紙から視線を上げて一花の顔を見る。
そこには、あたしよりもよっぽど辛そうな顔をした一花がいた。
お読み下さり、ありがとうございます。




