49話 こんなことは起きなかった
「花音が……いなくなっちゃった……」
レクリエーションのさなか、舞のその言葉が重くズシンと頭に響いてくる。
今日はイベントがある日のはずだ。このレクリエーションのキャンプファイヤーで、攻略対象者との交流を深める。
けれど、こんな展開はなかった。
おかしい。何を間違った?
この前、イベントは確かに起こったんだ。生徒会室で花音が会長の意外な一面を知るイベントだ。このイベントで、会長に対する花音の印象が変わる。
これまでもそうだ。
出会いの場面から、生徒会に入るまでのイベントも起こっていた。
順調だったのに、どうして――
「…………いっちゃん」
ゾクッとその葉月の冷たい声に背筋が震える。
葉月の方を見ると、感情が見えない目をしていた。
まずい。こんなところでか? 何故今スイッチが入ったんだ?
それにまただ。この前の生徒会勧誘でも会長たち相手にいきなりこうなった。確かにストレスは大分溜まってたと思っていたが、どうしてと思わざるを得ない。
いや、まずは今のこの葉月を見極めないと。
「……何だ?」
「……いっちゃん……これはイベント?」
「……? 葉月っち……? イベントって……?」
「……これはイベント?」
汗がジトっと背中を伝ってくる。ジッと葉月を見据えた。舞が戸惑っているのが分かるが、構っていられない。
これは、どっちだ? だが、まだ話は出来る。今は葉月の中で自分の本当にしたいことを抑えているはずだ。
そうだ、ちゃんと話が出来るんだ。
それは、正気の証だ。
「……違う。こんなことは起こらなかった」
慎重にゆっくりと葉月に告げると、葉月もゆっくりと目を閉じた。これは、大丈夫のはずだ。今、自分にしっかり言い聞かせてる。あたしも自分に言い聞かせてる。
いつでも豹変した葉月を抑えられるように、舞の前に出た。周りを巻き込むわけにはいかない。
葉月、大丈夫だ。
ちゃんと、ちゃんと意識しろ。
そう心の中で何度も葉月に告げる。
息を吐いた葉月が、また静かに目を開けていく。ジッとあたしを見てきた。
分かる。
大丈夫だ。
これは引っ張られていない目だ。
長年の勘が、あたしにそう教えてくれる。そこでやっとあたしも息を吐けた。
「……いっちゃん。行ってくる」
思いの外しっかりとした口調で葉月は応える。
「……大丈夫なのか?」
「……うん。ちゃんと分かってる」
ジッと葉月はあたしを見てくる。迷いのない目だ。
こうなったら聞かないのも分かってる。もう送り出すしかないし、多分今はこいつの中では花音を助けることしか考えていない。死ぬことを考える暇もないはずだ。
不安が残るが、葉月なら最短で花音を見つけられるだろう。
葉月は舞にどこで花音を見失ったか聞いている。今も頭の中では、あたしを連れ回した獣道と本来のハイキングコースの道を照らし合わせているはずだ。
いきなり花音がいなくなるなんてことは考えられない。舞が彼女を最後に見た場所を聞く限り、落ちたと考えるべきだろう。そこから葉月だったら最短で着くために同じように落ちる筈だ。
だが、獣道か。あそこは大分生い茂っている草や木がいっぱいだった。花音が落ちているとしたら、絶対に怪我をしているはずだ。もうすぐ日も落ちる。あの木々は発見するのに邪魔だし、時間のロスに繋がる。怪我の具合にもよるが、一刻も早く助けないといけない。
仕方ない。それに、きっと大丈夫だ。
そう思って、葉月に自分が隠し持っていたサバイバルナイフを投げて渡した。少し目を丸くしている。切れ味は良くないやつだ。そういう風に細工をしてあるから、皮膚を切り裂くことはできない。
こいつに少しこれを使ってストレス発散させようと思っていたんだが、必要ないぐらいにあたしを連れ回したから、持ってきたことを忘れそうになっていた。
「今回だけだ、それを使わせるのは」
「…………」
「……分かってるな?」
念押しすると、葉月は答えない代わりにナイフの具合を確かめていた。その様子を見て、あたしも大丈夫だと確信する。全然引っ張られていない目だ。花音を助けることしか考えていない。
葉月は「後は任せる」と言って、走りだした。
こっちもこっちでやることがいっぱいある。
立ち上がろうとしたら、腕の服をクイっと引っ張られた。
「いい一花、本当に大丈夫なの!?」
「平気だ。お前は少し休め」
いまだに顔を青くさせている舞を見ると、今にも泣きそうだ。
――調子が狂う。
いつも葉月とバカげたことを意気投合して、明るくて、笑っていたのに。
なんだ、これ。
モヤモヤするな。
そんな泣きそうな顔をするなよ。
ポンっと舞の頭に手を置くと、パチパチと目を瞬かせた。
「大丈夫だ」
何年、あいつのそばにいたと思ってる。
あいつがやると決めたんだ。
花音を絶対見つけてくるさ。
「大丈夫だ、舞」
だから、お前がそんな顔をする必要はない。
ポンポンとまた落ち着くように頭を撫でると、何故か顔を真っ赤にさせていた。視線を下げて、手の甲を自分の口に当てている。
「それ……反則でしょ……」
「は?」
「ななななんでもない!」
「いきなり何を慌ててるんだ?」
「なんでもないってば! いや、本当無理だからっ!」
何が無理なのかさっぱり分からないが、さっきとは違って泣きそうではないな。「いや無理。マジ無理」とかなんとかまたボソボソと呟いてる。とりあえず少しでも安心できたならいい。
「調子狂うからな……」
「え?」
「何でもない。お前はここで少し休んでろ」
「ちょっ、どこ行くのさ!?」
色々とやることがあるんだ。病院に行く手配。どこに落ちたのかの予測。さっき葉月に連れ回された場所から、葉月だったらどういうルートで来るのかを考えないと。
後ろで舞の「ちょちょちょぉぉ! 置いてかないでよ!」とか叫んでいる言葉に構わないで、自分の携帯電話を手に取った。かける相手は決まっている。
「姉さん、今から怪我人を連れて行くから準備しておいてくれ」
花音に何かあったら困る。そうならないために最善の治療を受けさせるのが先決だ。
その後、寮長たちも戻ってきたから事情を説明して、葉月たちが来ると予測した場所を示した。もう辺りは暗い。人手が多い方がいい。そう思って教師たちにも手伝ってもらう。まあ、教師陣の一人はあたしの部下だ。
その部下に他の教師への取り計ってもらって、次から次へと誰がどう動くかをあたしがとっとと指示を出した。寮長たちも少し面食らった表情をしているが、あたしがさっさとやった方が早い。
葉月たちが来ると思われる場所に部下も含めた教師と、生徒会メンバーを連れて行った。
「お嬢様」
「ああ……葉月は問題ないと伝えておいてくれ」
案の定予想を立てた場所に現れた葉月と花音の姿を見て、あたしは静かに耳元で窺ってきた部下に伝える。探しに来た教師陣と生徒会メンバーも安堵しているような表情をしていた。そうだよな。生徒の一人が学園で企画したイベントで崖から落ちたんだ。不安にならないわけがない。
「いっちゃん」
「ああ」
近づいてきた葉月はヘラヘラと笑っている。ジャージとかはボロボロだが、こっちも大丈夫そうだ。やりたいことをやったせいか、少しスッキリしているようにも見えた。これなら今日はちゃんと眠れるはずだ。そこでやっとあたしも一息付けた。
葉月の背中から顔を出してくる花音もどこか申し訳なさそうに「心配させてごめんね」と言ってくる。
謝るのはこっちだ。今日はイベントがあるからと、こんな危険性を考えてなかった。自分の考えの甘さが原因だ。
「病院に行く手配はしてある。花音もそれまで我慢してくれ」
「そんな……申し訳ないよ。少し足を捻っただけだから、やっぱり病院に行かなくても」
「いや、一応診てもらった方がいい。落ちたんだろ?」
あたしがそう言うと、花音は気まずそうに目を伏せていた。どうしてあんなところから? と問いただしたいが、今は病院に連れて行く方が先決だ。明らかに花音の足が腫れているのが分かる。額にも痛みからか汗が浮かんでいた。痛いのを我慢してるのは丸分かりだ。
それから生徒たちがいる場所へと皆で戻ると、視界には、舞が花音をおんぶしている葉月に近寄っている姿が入り込んできた。
「かかかかのぉぉん!! 良かった、良かったよぉぉぉ!!」
「うん、ごめんね、舞。心配かけちゃって」
「舞~、だめ~。花音、怪我してるから抱きつくの禁止~」
駆け寄った舞を避けるようにヒョイッと動いた葉月の横で「ぶへっ、ちょっと葉月っち!?」と転んだ舞が見上げている。
「ひどくないっ!? どれだけ心配したと思ってるのさ!」
「花音、怪我人だも~ん」
「舞、本当にごめんね、心配させて」
「無事なら全然いいんだけどね! あーでも良かった! 本当に良かった~!」
ああ、舞も大丈夫そうだ。
さっきの泣きそうな顔じゃない。
嬉し涙なのか目尻に浮かんだその一滴を指で拭いながら、安堵したような顔で花音に笑いかけている。
そうだ。
それでいい。
そんな舞の笑った顔を見て、少しだけ胸の奥があたたかくなった自分がいた。
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