43話 このまま、ずっと
「そうか。変わらないか……」
「ああ……だから、学園長。すまないが、高等部に上がってからもよろしく頼む」
「はは。言われるまでもないよ、一花ちゃん。葉月ちゃんは彼女の忘れ形見だし、私にとっても可愛い弟子だ。もちろん、君も」
そろそろ冬が始まりそうな時、あたしは星ノ天学園の高等部にある学園長室を訪れた。今日は無理やり葉月を病院に放り込んでやった。兄さんが代わりにあいつを見てくれているはずだ。
もう来年にはあたしも葉月も高等部に上がる。また色々と便宜を図ってもらうために挨拶にきたんだ。具体的な話としては、あたしの部下を学園に潜ませることと、葉月の起こす悪戯に関しての対策だ。
中等部の時のような行き過ぎた悪戯はもうさせないようにしないといけない。あいつのあの回りまわった自害行為で関係ない人間を巻き込むわけにはいかないからな。あいつもそれを分かっていると思うから、極力人に近づかないようにしているみたいだが。
「……レイラは元気か?」
「ああ。今では友達も出来て、前より悪夢は見なくなったようだ」
自分で用意したお茶をすすりながら、何てことないように学園長は答えてくれた。
自分の娘が葉月のせいで悪夢に魘されるようになったのに……それがトラウマになって部屋から出られなくなったのに、学園長は今でも変わらず葉月を見守ってくれる。
もっとあの時気を張っていれば……レイラにそんなトラウマを植え付けなくてすんだかもしれない。あの時の自分の不甲斐なさを悔しく思う。
中等部でレイラと顔を合わせることはない。兄さんや母さんからはどんな様子かは聞いていたが、それでも会わない方がいいと思って、あまり接点のないように学園長に頼んだんだ。
葉月もそれを望んでいたように、レイラのことは口に出していない。
コトッと茶器を置いた学園長が苦笑して肩を竦めていた。
「一花ちゃん、難しい顔になってるよ」
「申し訳ないと……思っただけだ」
「君が責任を感じる必要はない。葉月ちゃんもね。ただ、レイラが心配して先走った結果だったんだよ」
「電話でもちゃんと少しは説得しておけば良かったんだ……それを出来たのはあたしだろ?」
「いいや、違うよ。あの頃、源一郎さんにも蘭花さんにも言われていたんだ。レイラを屋敷に来させないようにしてくれって。責任があるというなら、そのレイラの行動を止められなかった私にあるんだ」
穏やかな表情で、学園長はあたしに言い聞かせる。
学園長にこそ、責任なんてあるわけないじゃないか。
中等部に上がってから、前より学園長には世話になっている。学園の外で葉月が何か問題を起こすことがあっても、他の学園に飛ばさないで、葉月をこの学園にいさせてくれている。
この前もそうだ。たまには一人になりたい時もあるだろうと思って外出を許した時に、葉月は自分に絡んできた相手を病院送りにした。向こうから先に絡んできたから正当防衛だが、いくらなんでもやりすぎだった。
それでも、そんな葉月を学園長は見捨てないでいてくれるんだ。
それがどんなに心強いか。
あいつが何かを仕出かす度に、鴻城の権力を振りかざすわけにはいかない。それをしてしまうと、鴻城家の信用が落ちていく。それを学園長は自分の学園の生徒だからって、代わりに交渉してくれることもあった。
あたしも学園でのあいつがやった不始末のことで何度も助けられている。武術の方でも世話になっているが、この中等部での生活のことでも、もうこの人には頭が上がらない。
感謝と申し訳なさで一杯で、つい視線を太ももに置いた自分の手に向けていたら、ポンっと大きな手が頭に置かれた。いつの間にか学園長が近くに来て、困ったように苦笑している。
「君は責任感が強すぎる。全部を一人でやることはないんだよ。たまには大人たちに甘えなさい」
「あたしはもう子供じゃないぞ……?」
「子供だよ。私にとっても、蘭花さんや源一郎さんにとっても、そして……美鈴さんと浩司君にとってもね。葉月ちゃんと君は大事な子供たちだ」
美鈴さんたちの名前を出されて、パチパチと目を瞬かせた。確かにあの人、そんなことを言っていたこともあったな。
そんなあたしがおかしかったのか、学園長がクスっと笑いながらポンポンとまた頭を撫でてくる。
「レイラのことは気にしなくていい。葉月ちゃんのことも一人で背負わなくていいんだ」
……そうだな。あたしには兄さんや母さんたちも源一郎さんたちもいるんだよな。
学園長がそう言ってくれて、改めて思い出すことが出来た気がする。
自然と口元が緩んだあたしを見て満足したのか、学園長もうんうんと頷いていた。
「それに葉月ちゃんは睨んだとおりに時計塔に興味津々だしね。たまには一花ちゃんからも促して、私の所に来させなさい」
「まあ、あんたにはあいつも敵わないからな……」
楽しそうにそう言う学園長に苦笑するしかない。葉月は今までも何度かこの学園長室に押しかけている。目的は時計塔の鍵だ。あの高さから落ちたら、どんな人間でも助からない。ネットを張ることも考えたが、時計塔の造りは複雑で、つけることは困難という判断になった。
そこで学園長がその鍵を見張ることにしたんだ。何重ものからくり箱の中に入れ、葉月に破られないように学園長が毎回試行錯誤をして改良している。そういうのを作るのが好きな人だから、それはもう嬉しそうにやっている。
時には押しかけてきた葉月の相手をして返り討ちにしているしな。その度にあいつは悔しそうに頬を膨らませてるんだ。そんな葉月に「まだまだ」と笑っている学園長の思惑は、そう煽ることであいつの興味を時計塔に向けることだ。守る場所が限定されれば、予測不能の行動にも対処できる。それを学園長が自分から買って出てくれた。
それに葉月がここに来るって分かる時は、あたしも一番安心できる時間だったりする。
「高等部でも、よろしく頼む」
「ああ、もちろんだよ。一花ちゃんも少しは肩の力を抜きなさい」
「善処する」
あたしのことを心配してそう言ってくれた学園長に苦笑で返した。親身になってくれるだけで大分楽だよ、学園長。
礼を言って学園長室から出ると、部下の一人が廊下で待っていてくれた。
「葉月の様子は?」
「大丈夫です。今は病室で眠っているとのこと」
「そうか……」
きっと何かしら悪戯でもしたんだろ。もしくは兄さんと話して疲れたかか。
報告を受けながら、部下と一緒に高等部のエントランスに向けて足を動かした。先ほどの学園長の言葉が頭の中で繰り返される。
肩の力を抜け……大人を頼れ……一人で背負うな、か。
一人で背負ってるつもりはないんだがな。兄さんにも母さんにも頼ってるつもりなんだが……学園長からはそう見えてないって事か。
「来年からはここが現場になるわけですね」
「ん? あ、ああ……そうだな」
隣で校舎を見渡しながら部下がそう呟いた。あたしも釣られて校舎を見渡す。
そうだな、来年からはここが現場だ。中等部より広いから、また一からあいつのしそうなことを考えて対策考えておかないと。
「もうずっと……葉月お嬢様は変わらないんでしょうか……」
ポツリと思わず声に出たというように部下が呟いた。この人は子供の頃からあたしと葉月を知っている人だ。子供の頃と、正気を失った頃と、そして中等部での不安定な葉月を知っているから、何かしら感じるものがあるんだろう。
それに、何も答えられない。
あたしもそれは思っている。
もうずっと……この先永遠に、あいつは不安定のままなんだろうか。
もうあの頃のように、笑ってはくれないのだろうか。
もう……あいつは何も変わらないのだろうか。
このまま、ずっと――
「翼様ぁ!!」
「生徒会メンバーよ! 生徒会メンバー!!」
……生徒会?
ふとそんな黄色い女子生徒の声が聞こえて、あたしと部下がそちらに視線を移した。
視界に入り込んできたのは、鳳凰翼や月見里怜斗といった生徒会のメンバーが女子生徒に囲まれてる姿。
「若いですねぇ……」
なんとも羨ましそうな声を隣にいる部下があげているが……あんたもまだ若いだろうが。まだ二十代のくせに何を言ってるんだ?
少し呆れつつ、部下からまた鳳凰翼たちの方に視線を戻す。
なんだ。元気そうだな、会長たち。寮長はいないみたいだ。会えれば一言挨拶しておきたかったものだな。どうせ高等部の寮でも世話になる。
「あはは、また改めて相手してあげるからさ。今日ばかりは帰らせて?」
「ふん。お前らの相手はもっと時間がある時にちゃんとしてやるから、大人しく言う事聞け」
月見里怜斗は愛想笑いを浮かべながら、鳳凰翼は偉そうな態度でそれぞれ女子生徒に返していた。相変わらずだな。あの態度を見た限り、鳳凰翼の方はゲーム通りに母親に縛られ――
ゲーム……通り……?
ピタッと足が止まった。
「一花お嬢様?」
足を止めたあたしを不思議そうに部下が見てくる。
それに構わず、つい女子生徒に鬱陶しそうに返している鳳凰翼を眺めた。
ゲーム。
ここは、乙女ゲームの世界だ。
攻略対象者達が抱えている心の傷を、ヒロインが癒していくゲーム。
『桜咲く、光を浴びて』の世界なんだ。
つまり……
あの『ヒロイン』も、いるかもしれない世界。
そういえば、あのヒロインがちゃんとこの世界に実在するのか確かめていない。
葉月がああなって、それどころじゃなくなったから、すっかり失念していた。
もし……いたら?
ちゃんと、いたら?
「お嬢様?」
「……いくぞ」
「え? あ、はい」
少し早くなった心臓を落ち着かせて、あたしはまた足を動かした。
でも車に辿り着くまで、グルグルとゲームのことが頭に思い浮かんでくる。
「優一様に先に連絡しておきますね。それとも何か食べていきますか? お嬢様、まだお昼食べてませんよね。それとも病院で食べますか?」
「いや……」
「はい?」
車に乗り込んで、運転席の部下が後ろに顔だけ振り向かせてくる。
違う。
行くのは病院じゃない。
「今から言う場所に向かってくれ」
行くのは、そう、ヒロインがいる場所。
いや、違うな。
いるかもしれない場所だ。
どうしてもあたしは、そのヒロインの存在を確かめたいんだ。
僅かな可能性が、頭を過ったから。
窓から部下に視線を移して、目的地の場所の名前を告げると、部下が不思議そうに首を傾げて車を発進させた。
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