42話 忘れちゃいけない
流血シーンあります。ご注意ください。
爆発シーンもあります。くどいようですが、葉月のしている行為を認める物語ではありません。
絶対に真似をしないようお願い申し上げます。
「ねえ、いっちゃん……」
「なんだ?! 今はそれどころじゃな――」
「言い忘れてたけどさ……気にしなくていいからね」
へへっと葉月は笑う。
肩から血を流して、壁に凭れ掛かり、制服に穴をあけてボロボロになりながら笑っている。
辺りには崩れた壁、それと焦げた匂い。壊れたガラス片も散らばっている。教師や生徒会メンバーが他の生徒に近づかないよう注意していた。
さっき、生徒会室が爆発した。
嫌な予感がしたんだ。いつもの悪戯とは少し葉月の様子が違った気がした。
生徒会から出てきた葉月は、あの時のような目をしていた。暗く淀んだ瞳をして、口元には笑みを浮かべていた。これは引っ張られていると思った。
近づいた瞬間、葉月諸共、あたしは吹っ飛んだ。気づいたら、少し離れた所に葉月が今の状態で壁に凭れ掛かっていた。肩にガラス片を突き刺しながら。
壁に打ち付けられて痛む体を無理やり動かし、葉月のところに駆け寄った。息をするだけで全身に突き刺すような痛みが走り、呼吸も苦しかった。
だけど、それよりも葉月だ。きっとこいつの体の中もやばい。
先に肩の止血をしていた時、葉月がいきなりそう言った。正気には戻っているようだ。尚も葉月は言葉を続けた。
「いっちゃんは……悪くないからね……」
「一体何を……」
「あの時……私は望んでたよ」
葉月がゆっくりとあたしの首に触れてくる。
それだけで、いつのことを話しているのかが分かった。
ヒュッと自分が息を吸った音が聞こえてくる。
あの時……あの時のこと、お前……覚えて?
「ごめんね、いっちゃん……」
困ったように、葉月は微笑んだ。
ゆっくりと首に触れてきた手が下がっていく。葉月の瞼が、落ちていく。
「葉月っ!? おいっ!」
待て、待て待て!! 言い逃げするな! 謝るのはこっちなんだよ!
必死に葉月に呼び掛けた。でも反応がない。出血はそこまで酷くない。やっぱり体の中だ。
焦る気持ちと、さっきの葉月の言葉とで一気に混乱してしまう。
急いで携帯を取り出して、部下に連絡を取った。事前に決めていた最悪のケースを伝えて、その時にどう動くのかの手順通りに部下たちを動かした。
寮長たちが何やら言ってきたが、あたしは兄さんに連絡をとって、葉月の処置で頭が一杯だった。
「はあ……なんで一花ちゃんがこんな目に……」
「うっさい……それで葉月は?」
「こんな時でも葉月の事? ちょっとは自分のことを心配してよ~。お姉ちゃん、泣いちゃうよ!」
「大丈夫だって分かってるんだから、いいだろうが。それで葉月は?」
病院でまた同じことを聞くと、姉さんがハアと深い溜息をついていた。これは、大丈夫だったんだろう。
「手術は成功よ。しばらくは入院だけど。一花ちゃんの処置が良かったのね」
「……兄さんに言われた通りにしただけだ」
無我夢中で、どうやったか詳しい事は記憶がおぼろげだがな。
ハアと安心の息を吐いていたら、母さんが処置室に入ってきた。心配そうな顔をして、ベッドの上にいるあたしの頬に手を添えてくる。申し訳ない。そんな顔をさせるつもりはなかったんだが。
「大丈夫なのね?」
「平気だ……少しあばらの骨にひびが入っただけさ。あたしより、葉月の方が重傷だ」
「涼花、葉月ちゃんの方は?」
「今、兄さんが付いているわ。大丈夫よ。私と兄さんが執刀したのよ? 失敗する可能性の方が低いって」
姉さんの返答で母さんもホッと息を吐いていた。安心したのだろう。母さんにとっても葉月は親友の残した形見みたいなものだしな。可愛がってるし。
葉月は大丈夫だ。
心配なのは、起きた時に正気に戻っているかだな。最後に見た表情だと、大分スッキリしたような顔だった。大丈夫だろう。
……だけど、大丈夫じゃないこともある。
「母さん……」
「どうしたの? やっぱり痛む?」
「あいつ……覚えてたよ……」
「え?」
何の話か分からなかったのか、母さんが少し目を丸くさせていた。そんな様子がおかしくて、苦笑してしまう。姉さんも何のことか分かってなさそうだ。
「あたしが、あいつを殺そうとした時のこと……覚えてたよ」
そうハッキリと言うと、母さんも姉さんも表情を曇らせた。
結局、葉月が正気に戻ってから伝えていない。
謝ろうと思ってた。
でも、あいつはその時の記憶がないから……謝っても、意味ないと思ったんだ。
伝えても、あいつは許すと思った。案の定、あいつは気にも留めていなかったみたいだし。
その事実が嬉しいけど、どうにも罪悪感が押し寄せてくる。
ギュッと自分の握った手を見つめた。
『あの時……私は望んでたよ』
気絶する前のあいつの言葉を思い出す。
そうだな。
お前は……望んでいるんだ。
だからあの時、お前を殺そうと思ったんだ。
でもな、あたしがやろうとしたことは、絶対許されるべきじゃないんだよ。
どんなにお前がそれを望んでいたとしても、
それをあたしは止めなきゃいけなかったんだ。
美鈴さんたちの為にも、
源一郎さんたちの為にも、
そして、お前の未来の為にも。
「一花ちゃん、大丈夫?」
「……平気だ」
母さんが心配そうにまた顔を覗き込んできた。苦く笑って答えると、ふわりと優しく抱きしめてくれる。
この暖かさが嬉しくて、時々胸を苦しくさせる。
「一花ちゃん、あれはあなたが悪いわけじゃないのよ」
そう言って、母さんはずっとあたしを守ってくれている。
あたしの心が壊れないように、見守ってくれている。
姉さんも父さんも兄さんも、家族が支えてくれている。
あたしにはこの家族がいる。
葉月にも、源一郎さんたちがいるんだ。
だからこそ、あたしは自分がやったことを忘れない。
みんながそれを許しても、あたしはそれを許さない。
だから葉月。
お前があたしを許しても、
あたしはもう自分を許すことはないんだ。
一生、あたしは自分を許さない。
一生、あたしはあの時の選択を忘れない。
「母さん……大丈夫だ」
ポンポンと母さんは頭を撫でてくれる。そんな母さんを安心させるために、あたしも母さんの背中を軽く叩いた。
「あたしは大丈夫だ」
そう言い聞かせる。
何度も何度も言い聞かせる。
母さんにも、姉さんにも、みんなに安心してもらうために同じことを伝える。
葉月の未来を閉ざさないために。
昔みたいに楽しい明日を待ち望めるように。
だからあたしが、今のあいつを止めるんだ。
それから姉さんまであたしを抱きしめてきた。ギュッとしてくるから流石に体が痛いと伝えると、姉さんは慌てていたよ。母さんは困ったように頭を撫でてくれた。「葉月の様子を見にいく」と伝えると、今度は呆れたような顔になった。仕方ないだろ。もうこの心配の癖は直らないさ。
ガラッと葉月専用の病室の扉を開けると、ベッドの上にあいつは寝ていた。
椅子に腰かけ、ベッドを背中にして、正気に戻ってからの葉月みたいに窓の外の空を眺める。もう夜中だから、星が瞬いていた。
「なあ、葉月……」
あの時みたいに、寝ている葉月に言葉をかけた。
「お前はまだ……望んでるんだよな」
葉月は応えない。
だけど、あたしは構わず言葉を続ける。
「だけどな……あたしはもうお前のその望みは叶えない」
そう決めたんだ。
お前がどんなにそれを望もうが、あたしはその手助けはしない。
「それにな? お前が許しても、あの時のことをあたしは自分で許す気はないんだ」
許されることじゃない。
美鈴さんたちに顔向けも出来ない。
「あの時、本気でお前を殺そうと思ったんだよ」
本気で、お前の息の根を止めようと思ったんだ。
そして、
あたしの中に、誰かを殺そうと思う感情が沸いたことが、酷く怖くなった。
こんなに恵まれた家族がいるのに、
こんなに優しい世界に生まれたのに、
人を害そうとした自分が怖くなった。
「だからな……忘れちゃいけないんだ……」
この先、またお前を殺したいと思う日が来るかもしれない。
この先、お前じゃない誰かを殺したいと思う日が来るかもしれない。
「あたしは、善人じゃなかったんだ……」
前世では幾度となく思った。
殺意を覚えた。
環境に、人生に。
周りが憎くて憎くて仕方なかった。
あたしは、この世界で普通の人になれたと思ってた。
カチャッと眼鏡を外した。あの爆発でもひび一つ入ってない。美鈴さんが言ったとおりだな。
美鈴さんを思い出して、フッとつい口元が緩んだ。
「善人じゃないから……だから忘れちゃいけないんだ。許されちゃいけないんだ」
あたしは普通じゃなかったんだ。
いつまた、誰かを殺したいと思わないように、
自分を戒めなきゃいけないんだよ。
「この優しい世界に、そんな感情はいらないだろ?」
ボフッと後ろにそのまま背中から身体を倒した。葉月は薬が効いているのか、起きる気配はない。チラッと寝ている葉月に視線だけ向けた。
「お前のその望みも、いらないんだ」
だから……お前も飲み込まれるな。
あたしも自分を戒める。
自分がまたそんな感情を抱かないように、許さない。
そう心の中で何度も唱えて、ギュッと手に持っている壊れない眼鏡を握りしめた。
一応念のために伝えさせていただきますが、葉月は自分の中の欲に抗えなくも、周囲への配慮をしております。本編最終章をお読みの方はお分かりかと思いますが、周囲を巻き込むことは葉月の本位ではないからです(やっていることは過激ですが)。何卒誤解しないようお願いいたします。
お読み下さり、本当にありがとうございます。




