35話 それがお前の望みなら
15歳未満の方は読まないください。
くどいようですが、苦手な方は37話まで読み飛ばしてくださいますよう、お願い申し上げます。
「それで、レイラちゃんは?」
「……」
源一郎さんの言葉に母さんが無言で応えた。
レイラが屋敷に来た。
応対した使用人は追い返したらしい。でも、レイラは納得しなかったんだろう。この屋敷のことは分かっているから、忍び込んだんだ。
レイラの悲鳴で目が覚めて、慌てて葉月の部屋に行った。ちょうどメイド長が水を取り替えに少し部屋を離れた時だったらしい。
部屋の中の葉月はニタっと嗤って、いつもより深く自分の体を傷つけていた。葉月の血で体も服も顔も真っ赤に染まっていて、レイラがそれを目撃してしまった。
あたしはレイラに構っている場合じゃなかった。痛みを感じないかのように行為を繰り返す葉月を止めて、駆けつけてきた兄さんと一緒に、葉月の治療で精一杯だった。未だに震える手で葉月の傷口を止血した。
気絶したレイラはメイド長が部屋の外に連れ出してくれたみたいだ。葉月はレイラの体を傷つけてはいなかったが、
だけど、これ以上ない心の傷をレイラに与えてしまった。
「夜中に起きて、泣き叫ぶそうです。夢に見るみたいで……」
「そうか……」
母さんも源一郎さんも、どちらも悲痛な声になっていた。
友達があんな風に狂ったように嗤って、自分を傷つけている。それは悪夢だろう。何度も何度もそんな夢を見るなら、それは地獄だ。
もうこの一年、あたしもずっとそんな悪夢を見ているのだから。
だから、レイラに会わせたくなかったのに。
レイラはバカだから。
真っ直ぐだから。
自分の心に正直だから。
あいつはきっと……止められなかった自分を責める。
今後のレイラのケアについて話している母さんたちがいた部屋から離れた。廊下を進んで、足を進める。
葉月の部屋を開けた。見張りの使用人がいたから少し席を外すように言うと、静かに礼をして部屋を出ていってくれた。この屋敷の使用人は、あたしがいれば大丈夫なことを知っている。
もうベッドはこの部屋にない。布団があるだけだ。
その布団に葉月は寝かされている。
レイラが来てからもう半月が経っていた。葉月のあの時の傷はほとんど塞がっている。
その布団の横に、あたしは寝ている葉月を背にし、膝を抱えて座った。
葉月の部屋は、何もない。
前はあんなに本もあったのに、今は本棚ごと撤去した。
前は絨毯があったけど、今はただの床だ。
窓には格子がつけられている。窓ガラスも簡単に壊れないように防弾ガラスにした。カーテンも取り外した。
ソファもないし、椅子もない。
葉月が好きな甘いお菓子を置いていたテーブルもない。葉月が壊した。
葉月は、この一年でこの部屋を全部壊したんだ。
美鈴さんたちと一緒に作ったものも壊した。
この部屋に飾ってあった写真も壊した。
どうやってか、葉月は燃やしていた。その火を自分につけようとしたこともある。まるで認めたくないと言いたいみたいに見えた。
焦ったな……あの時は……。
部屋の中を見るのを止めて、自分の膝の上に腕を乗せて、その腕に顔を埋めた。
「なあ……葉月……」
届いていない声をだした。
葉月は答えない。今は薬で眠らされているから。
「なあ、葉月……お前……」
だけど、あたしは葉月に言葉をかける。
今までの、
この一年の葉月を思い出しながら、
言葉をかける。
「そんなに……二人の所に逝きたいのか……?」
何度も何度も、葉月は繰り返す。
何度「やめろ」と言っても届かない。
それが自分の願いだと、その行為で伝えてくる。
認めるわけにはいかない。
前みたいに笑ってほしい。
明日を望んでほしい。
あたしの偽らざる本心だ。
今もちゃんとそう思ってる。
でも、
でもな、
最近……本当にそれでいいのかって思えてくるんだ。
「それが……お前の望みなのか……?」
答えない葉月に問いかける。
そうだと言われたら苦しくなるのに、そう問いかける。
苦しいさ。
悲しいさ。
それはそうだろ。
葉月はあたしの親友だ。
いつも変な事をしてきて、いつも巻き込んできて、いつもヘラヘラ笑っていて。
でも……一緒にいて楽しかったんだ。
いつも振り回されてたけど、楽しかったんだ。
お前と、この優しい世界で会えてよかったって、本気で思っていたんだ。
お前に言えてなかったけどな。
あたしは、お前に感謝しているんだ。
あたしはあたしだって、お前、認めてくれただろ?
向こうの世界で認められなかったあたしの存在を、お前は認めてくれたんだ。
それにな。
こっちが現実だって、
お前がいたから、ちゃんと分かるようになったんだぞ。
それが、どんなに嬉しかったか。
お前がいなかったら、あたしはきっと今でもここは夢だって思っていただろう。
こんな優しい人たちに囲まれているなんて、絶対信じなかっただろうさ。
だから、感謝している。
お前と会えたことを、感謝している。
……ゆっくりと顔を上げた。
涙が頬を伝っていくのが分かった。
振り向いて、寝ている葉月を見下ろした。
「お前に……あたしは何もしてあげてないな……」
貰ってばっかりだ。
迷惑極まりない道具を。
この眼鏡を。
楽しい毎日を。
この優しい現実を。
静かに、自分の手を寝ている葉月の首に触れさせた。
柔らかい感触が、指に伝わってくる。
「なあ……葉月……お前、死にたいのか……?」
そんなに、
そんなに死にたいのか……?
ポタリポタリと、葉月の頬に眼鏡の隙間からあたしの涙が落ちていく。
だったら、
だったら、あたしが…………ちゃんと終わらせてやる。
「お前が……それを望むなら……」
他でもない、あたしが――
ちゃんと、お前を終わらせてやる。
いつも貰ってばかりだから。
お前の望むこと、あたしがお前に与えてやる。
グッと自分の手に力を込めた。
指が、葉月の喉に食い込む感触が、はっきり分かった。
ヒュっと、葉月が息を吸い込む感覚も伝わってきた。
それでも、込める力を段々と強くしていくと、
ゆっくりゆっくり、葉月が瞼を上げて、首を絞めているあたしを見上げてきた。
「…………いっちゃん……どうして……泣いてるの……?」
手が、止まった。
「はづ――」
スッと葉月の手が、あたしの頬に伸びてくる。
その手が、今度はあたしの手の方に動いた。自分があたしに何をされているのか分かったのだろうか。
葉月が……満足そうに、笑った。
そんな葉月を見て、これが正しかったんだって……そう思ってしまった。
「っ……! ふっ……!」
涙が止まらなくなった。
ギュッと目を瞑って、止まっていた手に、指に、また力を込めた。苦しそうな葉月の声が聞こえた。
これでいいんだ。
これがこいつの望みなんだ。
そうだろ、葉月。
あたしの手で……ちゃんと終わらせてやるさ。
あたしの中に芽生えたのは、葉月への明らかな殺意だった。
一花の行動に、不快な思いをされた方がいたらお詫び申し上げます。
この行動と心情には賛否両論あると思います。
ただ、この一花の葉月への『殺意』は、一花の中で行ってはいけない行為だと理解しています。推奨するものでもないし、正しいと思っての行動ではありません。ご理解いただければと願っております。あくまで、フィクションであると割り切っていただければと思いますし、また、ないとは思いますが、決して影響、感化されないようお願い申し上げます。




