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ルームメイトは乙女ゲームのヒロインらしいよ?  作者: Nakk
番外編 中編(一花Side)
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34話 おかしくなりそうで

流血、葉月の発狂シーンがあります。

葉月のおかしくなる様子を描いておりますので、苦手な方は37話まで飛ばしてくださいますよう、お願い申し上げます。


 



『何で……死ぬのに理由がいるの……?』



 目が覚めた葉月に問いかけて、返ってきた答えがそれだった。


 久しぶりに口を開いたと喜ぶ暇もなく、希望も何もないそんな言葉。


 あの時……あたしも、源一郎さんも沙羅さんも魁人さんも、母さんたちも……何も言葉が出てこなかった。


 虚ろな瞳をして、葉月はまたゆっくり目を閉じた。



 まともな会話をしたのは、それが最後。



『あはっ! あははっ!』

「やめろっ! やめろって言ってんだろっ!」

『んん~? んんん~? あはっ! 人、いっぱいいる~!』

「葉月っ!」


 向こうの言葉で話しながら、葉月はニタっと口角を上げる。

 手には、ガラスの破片を持っていた。


 その手はもう血塗れで、あいつの首からも血が流れている。


「葉月……いい子だから、それを離しなさい」

『ん~? んん~? だ~れだっけ~? あ、てきだ~! じゃまする敵だ~!』


 近づこうとした源一郎さんに、葉月は躊躇いなく手に持っていたガラス片を投げつけた。源一郎さんは簡単に避けたけど、葉月はそのまま止まらない。嗤いながら、血を流しながら、そのまま源一郎さん目掛けて、今度は違うガラス片をいくつも有り得ない速さで投げつけてくる。その隙をついて、あたしは葉月に飛び掛かった。


「やめろっ! 葉月、頼むからやめろよ!」

「っ!!」


 床に押し付けた葉月の近くでありったけの叫び声をあげると、葉月があたしの顔を見たままピタッと止まる。


「敵じゃないっ! 源一郎さんは、敵じゃないだろ!!」

「っ…………」

「そうだろ……お前の、お前の祖父だ……葉月……」


 言葉が詰まる。

 何度目だ。

 苦しい。


 何度も何度も……そう言った。

 葉月が初めて自分の手首を傷つけて以来、これで何度目だ。


 ポタポタっと、目を見開いている葉月の顔にあたしの涙が落ちていく。

 葉月と美鈴さんが作ってくれた眼鏡の隙間から零れ落ちる。


 伝わらない。

 何度言っても伝わらない。


 それが悔しくて、悲しくて、毎回自然と涙が出てくる。


「今です!」


 メイド長の声がして、注射器を持った兄さんの手が視界に入ってくる。そのまま葉月の腕に刺していた。しばらくすると、葉月の瞼がどんどん落ちていく。兄さんの手が今度はあたしの肩に置かれた。


「一花、交代だ」

「っ……」

「この前の傷よりは浅いから、大丈夫だよ」


 葉月の上で蹲って震えているあたしの頭に手を置いてくる。分かってる。もうこの傷は血が止まりかけている。


 今回は大丈夫だって……分かってる。


 それでも、やっぱり怖くなって、どうしようもなくなるんだ。


 動かないあたしを見かねて、メイド長が無理やりあたしをどかした。葉月のベッドにあいつを寝かせて、兄さんたちは治療を始める。ここまでが最近の流れだ。


 治療しているベッドの横で、源一郎さんが悲しそうに息をついていた。その腕はさっきのガラス片がいくつか当たったのか、微かに血が流れている。


「……旦那様、治療を」

「いい。まずは葉月が先決だ」


 メイド長はハアと珍しく溜め息をついて、ソソソっと源一郎さんの横に行き、立ったままの状態で血が流れている場所を消毒しだした。源一郎さんはジッと厳しい表情のまま、ベッドの上にいる葉月を見ている。あたしも、震える手をギュッと握りしめながらそれを見ていた。


 日に日に、葉月がおかしくなっていく。


 あれからもう3ヶ月経とうとしていて、葉月はこういう行動が増えていった。

 ある時は窓から飛び降り、ある時はシーツを天井にぶら下げ……そして今日は窓ガラスを壊してその破片で自分の体を切りつけた。


 向こうの言葉で意味不明に「敵だ、敵だ」と叫びながら、止めようとするあたしたちに襲い掛かったり、嗤いながら自分の体を傷つけていく。


 傷が治るまでは大人しくするんだ。でも治ってからは、また次の行動をしだす。だから、その度にこの部屋からは物が無くなる。窓にも落下防止の格子がつけられた。その隙間をついて、今日は壊したんだろう。


 源一郎さんも沙羅さんも魁人さんもメイド長も使用人たちも、力尽くで葉月を止めている。あたしも兄さんも一緒だ。あれから、ずっとこの鴻城(こうじょう)の屋敷に滞在していた。


 葉月は何故か、あたしを見ると一瞬動きを止める。

 あたしだって、認識しているのだろうか。


「一花ちゃん、無理しなくていいんだよ?」

「無理なんてしていない……」


 葉月の治療が終わったみたいで兄さんが近くの使用人と話していた時、源一郎さんがポンっとあたしの頭に手を置いてきた。


 母さんにも言ってある。あたしは葉月の傍にいると。母さんは心配そうにしながら了承してくれた。あたしの意思を汲んでくれたんだ。


 あたしは離れないって決めた。

 葉月があたしを見て動きを止めるから。


 その時だけ……葉月がいるんだって思えるから。


「一花お嬢様、お風呂に入ってきてはどうですか。お着替えも用意しておきますので」

「…………そう……だな……」


 メイド長に言われて、改めて自分の手を見てみた。葉月の血がベッタリと手と服についている。


 その手はまだ震えていた。


 毎日怖くてたまらない。

 目が覚めたら、葉月がまた自分を傷つけているんじゃないかって。

 扉を開けたら、葉月が息をしていないんじゃないかって。


 怖くて怖くて……一向に慣れる気配はない。


 源一郎さんは気を遣って、もうこの屋敷に来なくていいと言った。

 葉月は自分達でなんとかするからと言った。


 あたしは、それを断った。


 そんなこと、出来るわけないじゃないか。

 あいつから離れるなんて、出来るわけないじゃないか。


 少しでも離れたら……あいつは止まることなく、すぐ消えそうで。

 いなくなりそうで。


 あいつは嗤う。

 嗤って支離滅裂なことを話しだす。


『あっははは!! くるよ、くるよ! どーん! っておっきな爆弾落ちてくるよ!!』

『あのね~? んん~? み~んないなくなったよ~?』

『あはっ! あははっ! 血がい~っぱいでてる! もっともっとだよ~!!』

『敵だよ、敵だよ! み~んな敵だよ~!』

『あれ~? あれ~? おかしいな~。なんで死なないのかな~? まだ足りないのかな~?』


 あいつと会話を試みようとする母さんたちが、やっぱり分からない顔をする。


 だけど……あたしは分かってしまった。

 きっと、あれが葉月の前世の記憶だ。


 今、あいつの中で記憶がゴチャゴチャになっている。

 それが時には生々しくて、何度も想像してしまって、何度も吐いた。この世界の戦争なんて生ぬるいと思えるほど、葉月の前世は残酷だった。


 そんなあたしを心配した母さんが抱きしめてきて、何度も「家に帰ろう」と言ってくれたけど……あたしはそれに対して首を縦には振れなかった。


 葉月の向こうの言葉を分かるのはあたしだけだから。


 母さんにも源一郎さんたちにも、あたしと葉月に前世の記憶があることを話した。


 最初は半信半疑だった。でも、あいつが今話している言葉はこっちの世界には存在しない言語だ。全部を信じることは出来ていないかもしれないけど、葉月が話した内容をあたしが伝えると真剣な表情になって聞いてくれた。


 なんとか、今の葉月をどうにかしたいとみんなが思っているから。

 あの二人を求めている葉月を、死を求める葉月を助けたいと思っているから。


 それに、

 壊れていく葉月が、あたしを見て一瞬だけ昔の目をするんだ。


 だからあたしは、母さんの救いの手を掴めない。


 分かってる。

 その手に縋って葉月から離れれば、あたしはこの苦しみから、恐怖から救われる。


 でも、その手は取れない。

 葉月にとって、あたしはこの世界が現実である証拠だ。動きを止める葉月を見るとそう思う。

 あたしにとっても、あいつが現実だ。


 お互いが現実の証拠なんだ、母さん。


 それを見捨てるなんてことは出来ない。


 助けたい。

 そう心から、願っているんだ。


 ここで逃げたら、きっとあたしは後悔する。


 そう何度も自分に言い聞かせた。

 何度も何度も、寝る前に祈った。

 自分の心がすり減っていく感覚を全身に巡らせながら、何度も自分を奮い立たせた。


 明日、葉月が生きていますように。

 寝ている間に、葉月が死んでいませんように。


 そして、いつも最後に美鈴さんと浩司さんに願った。



 葉月を助けてくれ、と。



 ■ ■ ■



『まだ、葉月に会えませんの?』

「……ああ」

『どうしてですの? 怪我も治ったのではなくて? 意識は戻ってるって知ってますわ』

「……無理なんだ」

『じゃあ、わたくしが会いにいきますわ。葉月はもう食事は普通にしてるのでしょう? 葉月の好きな甘いお菓子でも持って――』

「無理なんだ、レイラ……悪いな……また……連絡するから」

『あ、ちょっ……一花っ――!?』


 無理やり、レイラとの電話を切る。


 もう半年以上経った。

 あたしたちは10歳になっていて、学年も上がっていた。


 レイラが時々電話をしてくれる。あいつには葉月の今の状態を知らせていない。レイラの父親である学園長には知らせて、レイラがここに来ないようにしてもらっている。


 葉月は、何も変わらない。

 今はベッドに無理やり寝かせている。昨日、気付いたら葉月の額から血を流れていた。気づくのが早かったから、すぐに止めることが出来た。


 前よりもっと、葉月はおかしくなっている。


 あたしたちを認識しているのか、焦点が定まっているのかも怪しい。


 部屋に入ると、源一郎さんの首を絞めてくる。嗤いながら、沙羅さんと魁人さんに物を投げつけてくる。

 もう部屋にはほとんど物は置いていないのに、葉月の手には何かの道具があった。監視カメラにはベッドの木を使ったり壁を壊したりして、色んなものを作って楽しそうにしている葉月の姿が映っていた。


 その道具で、自分を、周りを傷つけて、嗤っている。


 レイラにそんな葉月と会わせることはできない。


 屋敷の中は、前とは違ってどんよりとした暗い空気が流れていた。屋根があるのに、まるで雨が降っているみたいに感じる。


 美鈴さんたちが暮らしていた頃とは、別の空間にいるみたいだ。

 あの幸せな空間は、もうこの屋敷には存在しない。


 重い足を動かして、葉月の部屋に入った。ベッドの横にはメイド長の姿。


「……起きたか?」

「先程、少しだけ……でもすぐに優一様が薬を打ってくれました」

「兄さんは?」

「少しだけ休んでくると」

「そうか……」


 ベッドに拘束されている葉月の髪は短くなっている。

 それすらも、道具にしようとして自分で切ったんだ。


 似合っていたんだけどな……美鈴さんも自慢してたし。

 その頭には包帯が巻かれている。その姿を見ると、どうしても胸の奥が苦しくなる。


「優一様が栽培されているハーブティーは飲んでくれるんですけどね」


 悲しそうにメイド長が呟いた。そうだった。あのハーブティーは美鈴さんたちも気に入っていたんだよな。


 葉月の食事もままならない。食器類もこいつは道具にするからだ。メイド長と沙羅さんたちと、みんなで無理やり食べさせている状態だ。一人で食べさせることは出来ない。何をするか分からないから危険すぎる。


 そんな葉月を見て、沙羅さんはいつも悲しそうだ。たまに部屋で泣いている声が聞こえてくる。そんな沙羅さんや魁人さんのカウンセリングを母さんがしていた。


 ――おかしくなりそうだ。

 いつまで、続くんだろう。

 いつになったら、葉月は前みたいに戻るんだろう。


 あの幸せそうに笑っている葉月は、戻ってくるのだろうか。


 本当に――戻ってくるのか……?


「レイラお嬢様は心配なさっていたのでは?」

「え? あ、ああ……まあ、そうだな」


 いきなりメイド長に聞かれて、現実に戻った。最近の沙羅さんや魁人さんたちのことを思い出して、辛くなっている場合じゃないのに。不安にまた囚われている場合じゃないのに。


「一花お嬢様……あなたも、無理をしなくていいのですよ」


 メイド長が、その無表情に似合わないとても優しい声でそう伝えてきた。


「……別に……無理をしていないといつも言っているだろう」

「いいえ。無理をされています」


 間髪入れずに返された。

 でも、無理をしているのはみんなだ。あたしだけじゃない。


 だから、耐えないと。

 いつか葉月は元に戻ると。

 そう信じて、今は耐えないと。


 そう自分に言い聞かせるたびに、ギシギシと心のどこかが削られていく。


「……一花お嬢様ももう少しお休みになられた方がいいのでは?」


 表情に出てしまったのか、メイド長が話を切り替えてきた。昨日も一昨日もあまり眠れていないから。……いや、葉月がこの状態になってから、もう熟睡なんてしていないか。


「そうだな……少し、休む」


 今日はもう葉月が起きることはないかもしれない。それにメイド長が今日はずっと見張ると言ってくれた。


 身体も、心も、あたしは限界だった。


 だから、油断していたのかもしれない。




「きゃあああああ!!!!」




 その日の夕方、レイラの悲鳴で目が覚めた。



葉月の中で、現実と夢と、そして『死ななければ』という欲望が入り混じっている状態です。

本編でも何度も申し上げましたが、この物語は自殺を推奨する物語ではありません。

何卒誤解しないよう、ご理解のほどお願い申し上げます。

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