31話 どうしようもない想い
遺体を少し手荒に扱う場面があります。
苦手な方、もしくはその行為を許せないという方は、申し訳ありませんが、ブラウザバックをお願いいたします。
「まだ若いのにどうしてこんなことに……」
「源一郎さんはどうするつもりなんだ? 後継者の葉月ちゃんもまだ意識が戻ってないと聞いたが……」
「不慮の事故らしい。相手の運転手が居眠り運転をしていたとか……」
弔いに来た人たちがそれぞれ話しているのが、葬儀の建物の隅で立ち竦んでいたあたしの耳に勝手に聞こえてきた。隣では必死に涙を堪えているレイラが立っていた。
あの日、美鈴さんと浩司さんが死んだ。
ほぼ即死だったらしい。
東雲病院に着いた時には既に心肺停止していたそうだ。
二人が死んだことがどこか現実味を帯びていなかったけど、源一郎さんが葉月のことを父さんたちに聞いていて、それであたしもやっと我に返った。
葉月もまた、重体だった。
美鈴さんと浩司さんに守られていた状態で発見されたらしい。でも、車からは投げ出されていて、葉月の体は強く打ち付けられたのか酷い状態だと、葉月の手術を手伝っていた兄さんから聞いた。兄さんは大学部に入って医師免許を最年少で取っていたから、特別に許されたそうだ。
一命は、取り留めた。
だけどあいつは――まだ目を覚ましていない。
集中治療室で目を開けないまま息をしている葉月を見て、安心したと同時に、どうしようという思いで一杯になった。
何て言えばいいんだ?
そもそも、本当に二人は死んだのか?
やっぱり二人が死んだことが信じられなくて、また治療室にいる二人の所に足を運んだ。
沙羅さんが、魁人さんが、メイド長が、源一郎さんが、悲しそうにしているのにも関わらず、あたしは二人の傍に駆け寄った。
後ろから姉さんが呼び止める声が聞こえたけど、それにも構わず、美鈴さんの手を触った。
冷たかった。
ゾクッと背筋が震えた。
源一郎さんを見上げた。フルフルと力なく首を振っていて、ポンポンとあたしの頭に手を置いてきた。普段だったら「子ども扱いするな」とか言うけど、その手をあたしは払えなかった。
だけど、やっぱり涙は出てこなくて。
またバカみたいなことを言いだすんじゃないかって思って。
その日は、しばらく美鈴さんの冷たい手を握っていた。
みんながすすり泣く声を聴きながら、
前と同じような温かい手をしていない……美鈴さんの手を握っていた。
その手が、
握り返してくることは、
なかった。
「一花ちゃん」
ボーっとその時のことを思い出していたら、母さんが呼びに来た。
また泣いたんだろうな。目が赤くなってる。
母さんにとって美鈴さんは幼馴染。いつも怒っていたけど、でも、美鈴さんと会った日は楽しそうにしていたのを知っている。ずっとそれを見てきた。
あたしの頭を撫でてきて、隣にいるレイラも一緒に見下ろしてくる。
「二人とも、美鈴たちにちゃんとお別れを言いに行こうか」
寂しげなその声に、ギュッと胸が苦しくなる。
お別れ。
本当にお別れなのか。
今でも美鈴さんたちが飛び起きてくるんじゃないかって、心のどこかで思っている自分がいる。
死んだなんて嘘だって、そう縋っている自分がいる。
だけど、現実は変わらない。
母さんに連れられて、レイラと一緒に美鈴さんたちのところに向かった。
棺の中で、花々に囲まれた美鈴さんが、そこにいた。
もう生気がない、
土気色の美鈴さんが、
そこにいた。
なのに。
「――んで」
思わず呟いた。
なんで……なんで、なんで……?
「一花ちゃん?」
心配そうな母さんの声が聞こえてきた。
でも、あたしの頭の中は違うことで占められていく。
だって、
「――んで、満足そうなんだよっ!!」
満足そうな表情の美鈴さんが――そこにいる。
突然叫んだからか、母さんが戸惑ってる空気が伝わってきた。周囲の人の視線が集まってくるのも感じる。でも、気にしていられるか!
ジワジワと、怒りみたいな感情が沸き上がってくる。
どうしようもない想いが、次から次へと、心の中を占めていく。
「なんで――なんで満足そうなんだよ、あんたはっ!!!」
棺の中の美鈴さんの胸元にドンッ! と拳を叩きつけた。さすがに母さんが慌ててあたしを引き剥がそうとしてくる。でもあたしは、美鈴さんの胸元の死装束を引っ張ってやった。
「一花ちゃん!? やめなさいっ!」
「い、一花……?!」
隣のレイラが戸惑っている声も聞こえてきた。構ってる暇はない。
あたしは、この人に言いたいことが山程あるんだ。
ジッと満足そうな美鈴さんから目を離さない。
「葉月を――葉月を置いていって、どうするんだよっ!!?」
一際大きい声で叫ぶと、母さんの手が止まった。
あたしは怒りの感情を抑えられないで続ける。
「満足かっ!? 葉月を守れて、満足かっ!? 葉月はどうなると思ってるんだよ!!」
あいつは、あいつはあんたらが大好きなんだぞ!?
「守るんだったら、ちゃんと自分のことも守れよっ! 自分達の命も守れよっ!」
あいつの為にも、ちゃんと大事にしとかなきゃダメだろうが!
そうだろ!? そうじゃないか!
「あんたも、浩司さんも、葉月のことが大事だったじゃないか! だから、ちゃんと自分達の命、守れよ! 葉月のためにもちゃんと守れよ!」
揺さぶっても、美鈴さんからの返事はない。
涙が、自然と込み上がってきた。
「死んで……死んでどうするんだよっ!!? 葉月になんて言えばいいんだよっ!?」
何度揺さぶっても、美鈴さんは何も言わない。
手からは美鈴さんの体の冷たさが伝わってくる。
ジワジワと、
次々と、
どんどん目の前の美鈴さんが死んだ事実が、
体に、
頭に、
やっと染みこんでくる。
「なあ、起きてくれよっ! 美鈴さんっ! 冗談だって、冗談だって言えよっ!」
苦しい。
苦しくて、苦しくて、息がし辛い。
掛けている大きい眼鏡に涙が溜まっていく。
美鈴さんがくれた眼鏡に溜まっていく。
「あいつ、嬉しそうだったんだぞっ……笑ってたんだぞっ……」
頭に浮かんでくるのは、
美鈴さんたちと一緒に、幸せそうに笑っている葉月の姿。
「あんたらがいなくなったら……あいつ、どうするんだよ……」
あの笑顔を、
あの幸せそうな光景を、
もう、見ることはできない。
力なく、美鈴さんの胸元に頭が沈んでいく。
温かさを感じられない。
………………もう、いないんだ。
美鈴さんは、もうここにいないんだ。
胸の奥がさっきより苦しい。
涙が、どんどん流れてくる。
脳裏に浮かんだのは、目を覚ましていない葉月の姿。
葉月。
葉月、すまない。
あたしは、この人を生き返らせる術を知らない。
「ふっ……ふええぇっ!!!」
いきなり、隣からレイラの一際大きい泣き声が聞こえてきた。
「嘘ですわっ……! こんなのやっぱり、嘘ですわぁぁっ!!!」
その泣き声につられて、自分からも声が漏れてくる。
嗚咽が止まらない。
涙も止まらない。
美鈴さんが死んだ事実が、
浩司さんが死んだ事実が、
悲しくて、苦しくて、信じたくなくて。
葉月に、なんて言えばいいか分からなくて。
そのまま、あたしとレイラは泣き喚いた。
レイラは駆け寄ってきた父親にあやされて、あたしは母さんに抱きしめられた。「一花ちゃん……」とあたしの名前を呼ぶ母さんも、また泣いているようだった。
あたしは母さんのこの温もりを感じられるのに、
葉月はもう二度と美鈴さんたちの温もりを感じられない。
葉月は…………この先、大丈夫なんだろうか。
あんなに二人が大好きだったのを知っている。
幸せだったのを知っている。
その二人を失くして、
あいつは大丈夫なんだろうか。
葉月の未来が、
いきなり閉ざされたように感じて、
どうしようもない不安が、胸の中に渦巻いた。
一花も美鈴たちが大好きでした。
お読み下さり、ありがとうございます。




