30話 壊れた日
『あのね~いっちゃん! 今度ね、あの別荘に行くことになったんだよ~!』
『ああ、前に星が綺麗に見えたって言ってた所か』
『いっちゃんもいこ~?』
『美鈴さんたちも久しぶりの休みだろ? たまには家族水入らずで楽しめ』
『いっちゃんも家族でしょ??』
『あたしにはあたしの家族がいるってことを忘れてないか?』
そんなやり取りを、久しぶりに来た学園で葉月としたんだ。
たまには、あたしだって母さんたちとゆっくりしたいって思ったんだ。
葉月ほどじゃないが、あたしも葉月にくっついて(巻き込まれて)、外国によく行くようになった。もちろん、鴻城家の役割を果たすためだ。
もちろんあたしが、じゃない。
葉月たちが、だ。
時には美鈴さんに連れていかれ、時には葉月に無理やり縛られ……おい、ふざけんな? と何度言ったかはわからない。
ただ間違いなく鴻城家のせいで、あたしもちゃんと学園生活を送れていない事は事実だった。母さんが何度も美鈴さんにキレて説教していたよ。
美鈴さんが「一花も私の娘同然だからねっ! ちゃんと安全は確保してるわよ?」とか言ったのに対して、母さんが「私の娘なんですけど!? 安全確保じゃなくて危険な目に遭わせないでちょうだい!」と叫んでいたが、美鈴さんはやっぱり全く堪えていなかった。
おかげでこの3年間、すっかり鍛えられたが。
大人たちとのやり取りも、葉月の予想外の行動や思考も、美鈴さんのはっちゃけぶりも、その二人のフォローで気苦労が耐えない浩司さんへの気配りも、そして自分の命を守るための武術も……最後のおかしくないか? いや、全部おかしくないか? 小学生がやることじゃなくないか?
自分でそう思って、ガックリと肩を落としたくなる。今じゃあたしの武術はそこらの大人にも負けやしない。葉月もだが。
とにかく、徹底的に鍛えられた(不可抗力で)。
ちなみに、レイラはあたしほど鴻城家に振り回されてはいなかった。あいつの父親が全力で美鈴さんにストップかけていたし、武術も頭も、レイラは年齢に相応しい程度の実力しかなかったからな。……うん、あいつが一緒に来てたら、今あいつ生きてないな。
それを美鈴さんたちも分かっていたんだろう。さすがに連れていけないって判断したらしい。
あたしにもそういう判断を是非してもらいたかったが、今さらだな。そんな儚い夢を持つことは虚しくなるだけだと、もう知っている。嫌というほど思い知らされた。
だから、
だから、こんなことになるなんて……思わなかった。
本心だった。
家族でゆっくり過ごせばいいと、本当にそう思っていた。
葉月は、美鈴さんと浩司さんのことが大好きだから。
美鈴さんも浩司さんも、葉月のことが大好きだから。
「このバカっ! しっかりしなさいっ!!」
聞こえてくるのは、母さんの涙声。
葉月が二人と旅行に行ったその日。
あたしは兄さんに会いに、姉さんと一緒に病院に行ったんだ。
星ノ天大学部の医学部に進学した兄さんは、東雲病院で過ごすことが多くなっていた。そこで現場の医療を勉強しているはずだった。
でも、病院に着いて兄さんを見つけた時、兄さんは廊下を慌ただしく走っているところだった。姉さんと何かあったのか? と顔を見合わせて、後を追った。
向かった先は、救急の特別治療室。
より緊急性が高い患者が、この特別治療室に搬送されてくる。救急外来とはまた別だ。この治療室だけは東雲病院独自の体制で動いている。より多くの患者を救うためだと、父さんが教えてくれた。
そこで、窓ガラスの向こうから母さんの声が聞こえてきた。
母さんの声だけじゃなく、すっかり顔なじみになっていた医師と看護師の声も聞こえてくる。
「死んでる場合じゃないでしょっ……!! このっ! いつも無茶なことしても平気だったでしょうがっ!! さっさと、戻ってきなさいっ――てのぉ!」
嗚咽が混じりながらの母さんの怒声が響いてきた。先ほどからそれに続いて機械の音も一緒に耳に入ってくる。
……なんだ? 何が起きて?
訳が分からない。母さんは今、誰を治療している? そんなに重要度が高いのか?
9歳になってもそこまで伸びなかった身長のせいで、少し上の窓ガラスの中が見えない。この窓ガラス、高いんだよな。姉さんの肩から上の位置についてるし。姉さんには見えているだろうが。
だから、姉さんを見上げたら……何故か口元に手を当て、目を大きく見開いて固まっていた。
「姉さん、母さんは今誰を治療しているんだ?」
普通に聞いた。
でも姉さんは答えない。
母さんがこんなに切羽詰まっている声を出しているってことは、相当酷い患者なのかもしれない。そういえば、兄さんの声は聞こえてこないな? 兄さんはどこにいるんだ? そう思って、移動しようとした。
その時……動かなかった姉さんがやっと動いて、あたしの肩を押さえてくる。
「姉さん?」
「だめよ……一花ちゃん、見ちゃダメ」
その手と、声が、震えていた。
また姉さんを見上げると、今にも泣きそうな顔になって見下ろしてきていた。思わず目をパチパチと瞬かせてしまう。
一体、何が?
不思議に思っていたら、バタバタと今度は後ろから足音が聞こえてきた。
振り返ると、源一郎さんと魁人さん、それに魁人さんの母親の沙羅さんやメイド長まで、酷く慌てた様子でこっちに向かってきていた。何でこの人たちが?
疑問でいっぱいで、上手く頭が回らない。あれだけいっぱい葉月と一緒にメイド長から教わったのに。
源一郎さんはあたしの姿を見て、姉さんと同じような顔をする。辛そうに目を窄めてから、姉さんのさらに奥――窓ガラスの向こう側を一瞥して、扉の中に入っていった。普段は家族でも入っちゃいけない場所なのに。
あの人たちが入った? なんでだ……鴻城家だから例外? それとも……。
ザワザワと胸騒ぎがしている。だから、あたしも続こうとした。さっきから、動悸が激しくなっている。ドクンドクンと脈打っているのが分かる。
源一郎さんたちが来た事実が、どんどんあたしに気づかせる。
今の状況を認識させる。
まさか?
いや、そんなわけない。
だって…………今頃は、あの家族は目的の別荘に辿り着いてるはずなんだ。
あの母親は、今頃、いつもみたいに自慢の娘を、「可愛い! 世界一! 天使すぎる!」とか言って抱きしめてるはず。
あの父親は、今頃、いつもみたいにそんな二人を、嬉しそうに微笑みながら、見ているはず。
そしてあたしにとっての現実の証拠のあいつは、
唯一無二の、あたしの親友は、
いつもみたいに、
見たかった星空を、大好きな二人と見て、幸せそうに笑っているはずなんだ。
次から次へと溢れてくる不安で一杯になっていった。
強く強く、あたしの肩を押さえてくる姉さんの手を無理やりほどいた。
そんなはずない。
そんなはずないんだ。
そんなはず、あるわけないんだ!
「一花ちゃんっ!」
あたしを呼び止める姉さんの声を無視して、無理やり扉の中に入ったと同時に、
部屋の中に静寂が訪れた。
さっきまで、あれだけ騒がしかったのに……シンッと静まり返っていて、機械からのピーッという音しかない。
手術着の父さんが、膝を床につけて崩れ落ちている母さんの肩に手を置いていて、
沙羅さんと魁人さんが言葉を失っていて、
源一郎さんが、震えながら静かに目を瞑っていて。
ゆっくり、源一郎さんたちの奥の寝台に視線を運んだ。今いる治療室の横に続く治療室にも、多くの医者が暗い表情で寝台を取り囲んでいる。
それぞれの寝台の上には、
葉月が大好きな、
葉月を大好きな、
目を閉じている、美鈴さんと浩司さんの姿があって。
「――申し訳ない」
父さんのその擦れた声が、とても重かった。
沙羅さんの慟哭と、
魁人さんの嗚咽が混じる泣き声が、
その後、部屋中に響き渡った。
源一郎さんは苦しそうに目を閉じていて、
メイド長がいつもの無表情を崩して、悔しそうに下唇を噛んでいた。
母さんが、力なく美鈴さんの名前を呼んでいて、
目の前の事実が……どこか現実じゃないような気がした。
そんなわけない。そんなわけない。そんなわけない。
あの美鈴さんが?
あの浩司さんが?
そんなこと、あるはずないのに。
ずっと、同じことを頭の中で何度も何度も繰り返してしまう。
それしか思い浮かばない。
茫然と立ち尽くしていたあたしの背中から、姉さんが抱きしめてきたけど、何も言葉は出てこない。
涙も、出てこない。
信じられなくて。
自分が今見ている現実が信じられなくて。
この日、
美鈴さんと浩司さんが死んだ現実を、
あたしは、どこか夢のように眺めていたんだ。
作者は医療従事者ではありません。完全に医療行為等の表現は想像上のものになります。実際有り得ないと思われるかもしれませんが、フィクションとして割り切っていただければ、ものすごく助かります。
医療従事者の方々には、このような知識のない表現になってしまい、お詫び申し上げます。
お読み下さり、ありがとうございました。




