27話 話し方
「ぎゃあああ!! ななななんで追いかけてくるんですのよぉぉ!!」
「レイラがおいしそうだって~」
「ひぃぃぃ!! 食べられるぅぅぅ!! いいいいちかぁぁ!! 助けてくださいなぁぁ!!」
そんな葉月の言葉を真に受けているレイラの叫び声を無視して、ここ、鴻城の屋敷の庭で椅子に座り、ゆっくり本を捲りながら紅茶に口をつける。ストレートだ。あたしは葉月と違って甘党じゃないんだよ。
ちなみにレイラは今、葉月から全速力で逃げていた。葉月が手に持っているリードの先には子熊がいたりする。一緒に追い掛け回してたらリードの意味が全くない、というツッコミは入れない。さっきしたばっかりだ。
「ななななんで、なんでここに熊がいるんですのよぉぉ!?」
「ママが拾ってきたんだよ~」
「この前は虎だったのにぃぃ!! ひぃぃ!!」
うんうん。そうなんだよな。この前は虎だったな。しかも子供じゃなかったし。まぁ、ちゃんと鎖でつながれて檻に入れられてたが、葉月がレイラの背中を押して檻に近づけさせてたよな。今回は子熊だから、この前よりは可愛いものだろ。
なんでも、葉月の母親の美鈴さんは動物の保護活動もやっているらしい。この屋敷に色々な動物がいるのはそのせいだと教えられた。
レイラが引っ付いてくるようになって、そんな日常を送りながら、一年が過ぎている。
レイラもすっかりこの鴻城の屋敷の異常さに慣れたようだ。多分。
葉月も葉月の家族も、あたしの家族も変わらない。平和? な日常を、今日もまたあたしらは過ごしている。
最近、平和ってなんだっけ? と思っているが、慣れとは怖いものだ。豹や虎、熊やゾウがいても微動だにしなくなった。屋敷のトラップにも慣れたものさ。
廊下の一部に高圧電流が流れていても、何故か弓矢が飛んできても、もう動揺したりしない。逆に床の一部の色が違うとか、矢の流れてくる空気の流れを察知して避けられるようになっている。......あれ? おかしくないか?
「一花お嬢様、頬杖をついて読書はお止めください」
コトッとお代わりの紅茶のカップをテーブルに置いて、無表情のメイド長が注意してきた。この方が読みやすいのに、と愚痴を内心吐いていたら、その無表情の顔をジッと近づけてくる。思わずうぐっと言葉が詰まってしまった。
このメイド長の無言の圧迫だけは慣れない。最初と違って、メイド長はあたしやレイラにも色々と口出しをするようになったんだよ。葉月と一緒にテーブルマナーや礼儀、さらには勉強の方も見てくるようになった。いつもこの無表情を向けて無言で見つめてくるんだ。逆らえる気がしない。
渋々と頬杖をやめると、メイド長は満足したのか体を起こして、今度は葉月たちの方に視線を向けていた。
「葉月お嬢様、レイラお嬢様、クッキーをお持ちしましたよ」
「クッキー!」
「ほほほほら、クッキーですわよ! わたくしより、絶対そっちの方がおいしいですわよぉぉ!!」
結局レイラは追いつかれたみたいだな。背中に子熊が乗ってじゃれついている。涙声で子熊に必死に話しかけてるよ。言葉、通じてないが。
見かねたメイド長が近寄って子熊を抱き上げ、レイラは解放されたからか勢いよく立ち上がった。グスグスと目尻に残った涙を拭って、服についた土を払ってから、あたしと葉月のところに駆け寄ってくる。その一連の動きはもはや手馴れていた。
レイラもすっかり立ち直りが早くなったな。去年はずっと泣き叫んでいたのに。
葉月か? クッキーと聞いてからさっさとリードを離して、いつのまにかあたしの隣の椅子に座ってるよ。離すんだったらリードの意味が全くないんだが。ん? レイラが怒ってるな、この顔。
「一花、なんで助けてくれませんでしたのよ!?」
「必要を感じなかった」
「感じてくださいな!? 食べられるところだったんですのよ!?」
「レイラお嬢様、淑女たるもの、そんなに大きな声で叫んではいけませんよ」
「うぐっ......」
後ろからメイド長がレイラの顔を無表情で覗き込んで、レイラも言葉に詰まっていた。葉月は我関せずでテーブルの上にあるクッキーを口に入れ、モグモグさせている。レイラを怖がらせたこと、全く反省してないな、こいつ。
「いっふぁん、はへはひほ?」
「葉月お嬢様。ちゃんと飲み込んでから言葉を出すように」
「んん......いっちゃん、食べないの?」
メイド長に言われてから、飲み込んで葉月がめげずに声をかけてきた。こいつ、メイド長のあしらい方が上手くなったよなと、違う所に感心してしまったよ。レイラはクッキーを食べ始めて、そのおいしさに目を輝かせていた。単純だ。
「あたしはいい」
「おいしいですわよ?」
「ここのクッキー甘すぎるんだよ......」
メイド長が出してきたクッキーは有名なお菓子店の物だ。前に食べたことあるが、あたしにはこの甘さはしつこすぎる。「ふむ」と観察するように、メイド長が見下ろしてきた。
「それは失礼を。今度から一花お嬢様には違うお菓子を用意しましょう」
「別にいい」
「そういえば、テレビでエビ煎餅の特集をしてまして」
「それでいい」
エビ煎餅だと? そっちの方が断然いい。前世でもエビは好きだった。少し期待を込めてメイド長を見上げてしまったら、隣の葉月が「えへへ」と笑っている。顔に出てたか? 恥ずかしくなってきた。
「いっちゃん、エビ好きだもんね~」
「......悪いか」
「悪くないよ~」
嬉しそうにニコニコと笑っている葉月を見て、弱みを見せたような気分になってくる。たまらず、そのニコニコ顔をやめさせたくて、無理やりムギュっと両手で顔を挟み込んでやった。
「はひふふほ~」
「うるさい」
「いっふぁん、へれへふ~」
「何喋ってるか分からん」
なんでさらに嬉しそうにするんだ?! 葉月の頬を伸ばしたり潰したりしていたら、視線を感じた。なんだ? そっちに視線を向けたら、レイラがなぜかじっと見つめてきてた。
「なんだ?」
「前から思ってましたけど......一花の喋り方、変ですわ!」
お前が言うな。
「お前の方こそ変だぞ。いつの時代のお嬢様だよ」
「んなっ!? どこが変ですのよ!? 一花は知りませんのね! この話し方はかの有名なお姫様の話し方なんですのよ!」
「お前、また誰かに騙されてるぞ」
確か、こいつの従兄だったか? 妙なことを吹き込まれてるんだよな。前に髪に何かを入れられたら妊娠するっていうのも、その従兄に教えられたらしいし。かの有名なお姫様って、結局どこのお姫様のことなんだか。
「それに、その髪型も変だぞ」
「はあ!? どこが変ですのよ! 可愛いじゃありませんの!」
可愛いって思っていたのか。仕方ない、こいつに教えてやろう。
「あのな、レイラ。一つ教えてやろう」
「......嫌な予感しかしませんわね。なんですの?」
「その髪型、悪役の子が代表的に使う髪型だぞ?」
「意味わかりませんわ!?」
前世の小説とかで、悪役の令嬢とやらの設定で縦巻ロールがよく使われていたんだ。何度心の中でツッコんだか分からない。そもそも、あれはどこが起源なんだ?
ふと疑問に思って考えてしまったら、レイラがハアと溜め息をついている。
「また訳分からない“ぜんせ”とかいうものの話ですの?」
レイラも知ってるんだよな。あたしと葉月が前世の記憶持ちっていうこと。兄さんが興味本位で聞いていた。
もちろん、レイラは何のことか分からなかったらしい。
普通そうだよな。違う人の記憶を持ってます、なんて信じる人の方が少ないだろう。
それに兄さん、明らかにレイラは普通の幼児じゃないか。話し方も思考も、幼児そのものだ。なんでこいつにもあると思ったのか、そこがあたしは不思議なんだが。
「その“ぜんせ”とかいうのは分かりませんが、そこでも一花はその男っぽい話し方だったんですの?」
分かってないのに、そんなことを聞いてきた。
そこでも、か。
「そうだな。前世も、こんなだ」
「一花は女の子なのに、変ですわ!」
間髪入れずにそう返してきたレイラにイラっときた。またそれか。女だから何だっていうんだ。
前世の義兄に散々言われた。
あたしだって、昔は普通に話してたさ。こんな言葉遣いではなかった。でも、それがあたしには似合わないと、耳にタコができるぐらい聞かされた。
そして、決まって言うんだ。
『そういうのは、可愛い女が使う言葉だ。醜いお前が使う言葉じゃねえんだよ』と。
義兄の中で、あたしは女じゃない。
いや、人ですらない。
ただの、道具だ。
憂さ晴らしをするための道具。
自分を優位にするための道具。
自尊心を満たすための道具。
あたしが何か一つでも言葉を発せば『喋るな、気色悪い』と蹴って殴ってくる。
最初は、自分を守るためだった。
普段から使わないように、言葉遣いを変えた。
それが普通になるように。
でも............使ってみたら、しっくりきたんだ。
心の中で義兄や両親に対する愚痴をその言葉遣いで吐いていたら、普通に愚痴を吐くよりスッキリした。
女のあたしは弱い。
そう思っていたからかもしれない。
言葉にも表れていたかもしれない。
だけど......言葉だけでも男っぽくしたら、スッとあいつらに返せている気になったんだ。
対等だと。
同じ人間だと。
お前らの道具じゃないと。
あたしの、小さい反抗だった。
義兄や家族は、あたしの言葉遣いが変わったことで余計嘲笑うようになった。『変だ』と。
それがあたしの反抗だと、気付くはずもなかった。
でも、あたしはそれで良かった。
自分の中では、反抗している気になれたんだから。
今でもこの言葉遣いをしているのは、その前世の記憶を忘れていないということだ......けれど、あたしはこの言葉遣いが、自分が人だと思えてくるんだ。
こっちの母さんも父さんも兄さんも姉さんも、普通の女の子が話す言葉遣いでも人扱いしてくれるのは知っているさ。
愛してくれているのも十分伝わっている。
だけど、あたしはこの話し方が......一番安心するんだ。
それを外野にとやかく言われたくない。
「変じゃないよ~?」
不機嫌になってたら、葉月がいきなり気の抜けるような声で言い出した。
レイラがムッとした顔で葉月の方に視線を向けている。
「変ですわ。一花は女の子なんですのよ?」
「変じゃないよ~」
「女の子なんだから、ちゃんとそれにふちゃ......ふさわしい話し方に直した方がいいですわよ」
また噛んでるレイラに、きょとんと分からなそうに葉月が首を傾げていた。なんだ、こいつ......まさかあたしを庇ってるとかか?
「いっちゃんは、いっちゃんだもん。話し方なんてどうでもいいよ~」
あたしは、あたし。
その言葉で、不覚にもじわっと心が温かくなっていく。
「どんな昔でも、今も、いっちゃんはいっちゃんだもん。いっちゃん、ここにいるもん。相応しいとか関係ないよ~」
ニコニコと葉月は嬉しそうに笑って、レイラに答えていた。
本当......なんなんだ、こいつは。
......なんで、あたしが一番欲しがっていた言葉を簡単に言ってくるんだよ。
前世の記憶の時といい、今といい、嬉しくなることを言ってくる。
普段は変な事してくるくせに。
空気の砲弾浴びせようとしたり、くすぐる靴下を履かせようとしてきたりするくせに。
大事な部分をちゃんと伝えてくるなよ。
不意にそんな嬉しくなることを言われたから、泣きそうになるじゃないか。
今の自分でいいんだって、思えてくるじゃないか。
「分かっておりませんわね、葉月は」
ぐっと涙が出てくるのを堪えていたら、レイラがやれやれという感じで、自慢げに何かを話しだした。そんなレイラにまた目を丸くさせている葉月。
「何を~?」
「いいですの? わたくしたち、選ばれた人間なんですのよ?」
「「選ばれた??」」
つい葉月と同時に口に出してしまった。なんか、見当違いのことを言い始めたな? 一気に涙が引っ込んだぞ。レイラは胸を張って、そこに手を置いていた。
「葉月は鴻城家、一花は東雲家、そしてわたくしは円城家。ゆいちょある名家の生まれの娘なんですのよ」
「うん~?」
「つまり、それにふちゃわしい振る舞いを身に着けなければいけないのですわ! わたくしたちは女の子に生まれた! ですから、それにふちゃわしい言葉遣いも学ばないといけないのですよ!」
堂々とそんなことを自信たっぷりに語るレイラに一気にシラけた。
まず、ところどころ噛みすぎだ。由緒、な。相応しい、な。
............あと、どこの国のどんな思想だ、それは! 選民思想か?! 危険な思想だわ! こいつ、今すぐどうにかしないと、将来絶対差別人間になるぞ!? それこそ蔑まれるからな!!
「レイラって、バカ~?」
「んなっ!? なんでバカになるんですのよ!!」
「そんなの誰も興味ないよ~」
「興味持ちなさいって話じゃないですの!」
葉月も葉月でシラけた目を向けていた。
そうだな。鴻城家の教育上、この思想は受け入れないよな。鴻城家のやってることは差別的なことを許さないし、国と国の間を取り持ってバランスを取っているって、この前教えられたし。というかレイラ、それを教えられた時にお前も一緒にいたよな? なんでその発想になった?
「レイラお嬢様にこの前の講義はまだ早かったようですね」
「ひっ!」
いきなりメイド長が、あの無表情で椅子に座っているレイラの顔を覗き込んだ。「ふむ」と言いつつジッとレイラの顔を見てから、体を起こしてパチンと指を鳴らしたと思ったら、どこから現れたのか、一人のメイドがソソソっと現れて何かの本を数冊渡していた。
「レイラお嬢様。週末までに、これとこの本をお読みください」
「え、は?! ななななんでわたくしが!?」
「この前の講義はまだ早かった様子。まずはこちらに書かれている本を理解してもらわねばなりませんから」
レイラは渡された本を少し青い顔で見つめていたよ。いやでもレイラ。それ、絵本だぞ? そんな青褪めることでもないと思うがな。
内容は『くにってなぁに?』っていうものだ。ちなみに書いたのは葉月の父親らしい。あたしもこの屋敷に来てから最初に渡されたのが、その絵本だった。
「それね~、パパが描いたんだよ~。あとね~、この絵は私が描いたよ~」
えへへっとまた嬉しそうに笑っている葉月に、「また勉強......」と魂が抜けたような声を出しているレイラが呟いている。レイラ、実は勉強嫌いだもんな。それでよくさっき学ばなければいけないとか言ったもんだ。
あたしはあたしでまた本を捲った。「いいい一花っ! 助けなさいな!」とか涙声のレイラの声が聞こえたが無視した。あんなこと言った自分が悪いだろうが。レイラの自業自得だ。
その日、家に帰ったら、母さんに何故か「いいことあった?」と嬉しそうに聞かれた。
今日の葉月に言われたことが、殊の外あたしは嬉しかったらしい。顔に出てた。
ギュッと目の前の母さんに抱きついてみたら、やっぱり温かい手で抱きしめ返してくれた。
このままのあたしでも、母さんたちは認めてくれている。
あたしを一人の人間だと認めてくれている。
そうだな、葉月。
話し方がどうでも、あたしはあたしだ。
お前が言った通りだ。
あたしは、今、ここにいるんだ。
お読み下さり、ありがとうございます。




