23話 夢じゃなくて現実だったらしい
「一花ちゃん、あの、絵本は興味ないのかな??」
「興味ないな」
タラタラと冷や汗を流し、目が笑っていない保育士に即答する。花壇の隅っこの方で、一人で本を読んでいるのがどうにも気にかかるらしい。園の中では絵本に夢中な子供たち。外では何かのスポーツをやってるようだ。
また今日も目が覚めて、こっちに戻ってきた。
昨日もあの義兄に「気持ち悪い」と罵倒を受け、両親も一緒に「ちゃんと家にお金を入れろ」と怒ってくる。会議の資料を作ったら嫌な上司に「使えない」と言われて、目の前でシュレッダーにかけられた。
いつものことだが、最近同じことを言ってくるな。なんでだ? 毎回同じ資料作ってる気もするし。
向こうで寝て、こっちで起きる。こっちで寝て、向こうで起きる。本当に変な生活だ。いや、こっちが夢だけどな。
どうせまた寝たら向こうに戻る。家を出たいのに、あの連中がそれをさせてくれない。あたしのお金目当てだろうからな。義兄も、マウントを取れる相手がいなくなると困るんだろう。自尊心の塊みたいな人間だから。
それに比べて、この夢は居心地がいい。
父は寝る前に本を読んでくれる。母は温かい料理を振る舞ってくれる。兄はニコニコと話しかけてくれて、姉はいつも「ほんっと可愛い可愛い!」と抱きしめてきた。
この夢を見た後は、現実とのギャップが激しくてかなり疲れる。
目が覚めた後の空虚感が半端ない。
こんな家族、現実で有り得るはずがないんだ。
もしかして、この夢はあたしの憧れの家族像とかなのか? それを夢で見てるのか。こんな家族だったら、毎日が楽しいのかもしれないな。
「じゃあ、えっと、みんなで一緒に遊ぼうか? ほら、向こうでボール遊びやって......」
「興味ないな」
またペラリと自分の持っている本を捲る。こっちの本もリアルだ。家にあった歴史の本だ。夢だからか、どうにもあたしの知っている歴史と違う。それが少し面白い。
「いっちゃん、いっちゃん、何よんでるの~?」
また来た。
この幼等部で過ごしている時、あたしを豹に追い掛け回させた元凶の葉月が、大抵そばにやってくる。あの一件以来、妙に懐かれてしまった。ちょこんと隣に座ってきて、あたしが持ってる本を覗き込んでくる。
まあ、ちょうどいいか。
「一人じゃない。こいつと一緒にこの本を読んでいる」
「そ、そう。じゃあ、お昼寝の時にまた呼びに来るからね」
保育士のお姉さんはドッジボールをやっている子供たちの方に向かった。勝手にどこか行かないように、心配そうにチラチラ見てきたが。
大方、親からあたしたちを預かっている身として責任を感じているんだろう。一人だけ子供たちの群れに入り込めていないのも心配してる感じだな。仕事熱心だ。
「うん~? この本、いい~。家で読んだもん」
「あるのか、この本が?」
「こういうのいっぱいあるよ~」
もう興味を失くしたのか、後ろを振り向いて咲いている花をちょんちょんと突き出した。
あるのか、こういう歴史の本がいっぱい。あたしの家にはこれぐらいだ。医者の家のせいか、他は医学関係の本ばかりだからな。
読んでみ......いや、やめておこう。また豹に追い掛け回される。豹の子供とはいえ、生きた心地がしなかった。夢だから生きてるも何もないが。
「いっちゃん、今日家にくる~?」
「また豹に追い掛け回されるのはごめんだ」
「あの子、もういないよ~。パパとママが親のところに戻してくるって言ってたもん。だから、パパとママも今いないんだよ~」
ほー。なんだ、留守番か。まあ、あの屋敷には祖父もいたし、寂しくはないだろ。本には興味あるが、豹以外の動物の懸念もある。あたしの母親もゴリラに追い掛け回されたらしいし、やっぱり行くのは無しだな。
「ママとパパ、はやくかえってこないかなぁ......」
「すぐ帰ってくるんだろ?」
「おしごともしてくるって言ってたから、すぐにはかえれないんだって」
さすがに3歳児。まだ親が恋しい時期だな。祖父がいるとはいえ寂しいのか。
あたしには関係全くないんだが。
葉月の話を話半分に聞きながら、そのページを読み終え、次のページを捲ろうとした時だった。
「この世界に、どこでも行ける扉があればいいのにね~」
......前の世界であったな。そんなアニ────。
「ねえ、いっちゃん。あのアニメ知ってる~? ほら、いろんな道具を取り出すロボットが出てくるアニメ~。この世界にはないんだよ~。誰に聞いてもね、知らないって言うんだよ~、変なの~。有名なのにね~」
それは、あれか?
某国民的アニメか?
いや、待て待て、なんでこいつが知ってるんだ?!
バッと本から隣にいる葉月を見ると、今度は土を手で掘っている。なんでそんなことしているのか分からないが、それどころじゃない。
「お前......今、何て言った?」
「ん~? いっちゃん、虫出てきた。これ、おいしいかな~?」
「食べるな!? そして掴んでこっちに向けてくるな! じゃない! 今の話だ! 何のアニメだって!?」
「色んな道具を取り出すロボット? なんてアニメだっけ?? と......と......」
その頭文字が出てくるだけで、答えが十分だった。ドッドッと心臓の音が聞こえてくる。
「何で知ってるんだ!?」
「教えてくれた」
「誰が?!」
「ん~? 多分、前に生きてた時の人~」
前に、生きてた......?
さっきより、心臓の音が耳にやけに響いてくる。
そうだ。
不思議に思ってた。
普通、幼児向けのアニメだったら、あのアニメとか見せるんじゃないかって。
でも、親や兄姉に見せられたのは知らないキャラクターのアニメ。それも昔からやっていると言っていた。あたしが知っている、そして今こいつが言ったアニメはやっていなかったし、存在すらしていなかった。
夢だからって思っていた。
待て。
待て待て。
おかしいだろ?
夢なのに、なんでこいつはそのアニメを知ってるんだ?
それに、生きてた......?
それじゃあ、それじゃあまるで、
向こうのゲームや小説でそういうのが流行っていた、
「転......生......?」
「てんせい?」
あたしの言葉に、葉月も首を傾げてる。まずその虫を土に返せと言いたいが、それどころじゃない。
転生なんてそんなバカげた話あるはずない。
落ち着け、落ち着け。
いやでも、ここまでリアルだ。
手に持っている本の感触も。
あの姉に、ギューギュー締め付けられるぐらい抱きしめられた時の温もりも。
いやいや、でも向こうの義兄たちの嘲りもいつも通りだろ。......だけど、最近同じ言葉だ。
初めて、今の自分の状況に疑問を持った。
仮にこの今の状況が転生だとして、どうやって確かめる?
確かめる方法。
確かめる方法があるはずだ。
......そうだ、言葉。
こっちの言葉は日本語に近いが、どこか違う発音だ。あたしも聞き取るのに、かなり時間がかかった。
こいつに、もし、それが通じれば。
じっと葉月を見ると、向こうも様子が変わったあたしを不思議そうに見てくる。息を吸って、その言葉で話しかけてみた。
『お前、昔の記憶を持っているか?』
『いっちゃん、私、日本語上手じゃないんだよ。難しいよね』
日本語じゃなくて、英語で返されただと!? なんて流暢な英語で返してくる!? かろうじて聞き取ったわ!! って、そうじゃない!!
「なんで英語なんだよ!?」
「向こうではこの言葉だった」
英語圏に住んでたやつか!? ちょっと羨ましい! ってそうじゃない!! 今ので確定じゃないか!!
転生。
そうか、そうだったのか。
これ、夢じゃない。
まさか自分が......と心底不思議だが、目の前に現に同じ転生者がいる。
こっちでは存在してないアニメを知ってる。
だから、だからか。
こっちで寝て、向こうで目覚めて、同じ会議の資料を作ってたのは、そういうことか。
ストンとその事実が、体に、頭に、浸透していく。
向こうが、夢だったんだ。
だから同じ資料を作ってたんだ。
あの男に同じことを罵倒され続けたのも、夢だからか。
昨日も同じこと言っていた、と馬鹿にしていたが......違う。
夢だから、同じことを言っていたのか。
ふと思い浮かんできたのは、こっちの母親や父親、兄と姉の顔だった。
今のあの母親が、
あの父親が、
あの兄が、
あの姉が、
現実、なのか。
どんどんその事実が、頭の中を支配していく。
「は......はは......」
「いっちゃん?」
力なく、その場にペタンと座った。
持っていた本が地面に落ちていく。
自分の小さい手を見た。
少し震えている小さい手。
でも、間違いなく自分の手だ。
もう、あの家族はいないのか。
もう、あんな風に蔑まれたりしなくていいのか。
「いっちゃん? かなしいことでもあったの?」
葉月がしゃがみこんで、不思議そうに顔を覗き込んできた。
悲しい? なんでいきなりそんなこと。
逆だ。
「嬉しいんだよ......」
「泣いてるのに?」
指摘されて、頬に手を当ててみると確かに濡れている。
ポタリポタリと、地面に、服に、あたしの涙が零れ落ちていく。
「よしよし」
ポンポンと、葉月の小さな手が頭に置かれる。
その温かさが、さらに現実だと教えてくる気がした。
これは、嬉し涙だ。
そうに決まっている。
悲しくないさ。
でも、止まらない。
今の家族の暖かさが、現実なんだ。
あの冷たさを感じる必要がないのが、現実なんだ。
こいつが、ここにいるから、
同じ転生者のこいつが、ここにいるから、
こっちが、現実なんだ。
向こうの家族から離れられた事実と、
今の家族の暖かさの事実と、
色んな感情が一気に押し寄せてきて、そのままあたしは泣き続けた。
葉月は黙って、あたしの頭を撫でてきた。
しばらくしてから、大泣きしているあたしに気づいて、大慌てで保育士が駆け寄ってきた。葉月が「虫、怖くなったんだって」ってその保育士に告げていたが、それ、お前がさっき手で持ってたんじゃないか? というか、その土塗れの手であたしの頭撫でたのか!?
でも、泣き止んだあたしを見てから「えへへ」とはにかんできた葉月を見て、怒る気力も失せていった。髪は土だらけになったが。
こいつがいるという事実が、これが夢じゃなく現実だって教えてくれている気がした。
それ以来、あたしは心の底から自分の母親を母親だと認識できた。
初めて「母さん」と呼ぶと、あたしの様子がいつもと違うのが分かったからか、優しく微笑んで、嬉しそうにあたしを抱きしめてくる。
その温もりがやけに体に沁み込んできて、嬉しかった。
これが、あたしの家族だ。
今の、家族だ。
その日、眠りについた時。
この世界に生まれてから初めて、
向こうの夢を見なかった。
一応本編プロローグ&第223話でさらっとお伝えしておりますが、花音たちがいる世界と葉月・一花の前世の世界は異なる世界ですので、言語ももちろん違います。“似てるけど違う”という認識でいただけたら幸いです。
お読み下さり、ありがとうございます。




