257話 桜咲く、光を浴びて —花音Side
次話の葉月視点と重なりますが、最後なので※はつけておりません。
あの日、願いができたの。
「…………これは、どういうことかしら?」
寮の入り口。東海林先輩が口を引き攣らせて、葉月を見ている。ニコニコとした顔で葉月は先輩を見返していたよ。隣で一花ちゃんは、気まずそうに視線を先輩から逸らしていた。
何も、そんな悪い事した、みたいな顔をしなくて大丈夫なのに。
「ついてくる気……?」
「やだなぁ、寮長。ついていくんじゃないよ? 一緒に遊ぶんだよ?」
「東雲さん……?」
「いや、こいつ……随分と休んでいたせいか、やたら元気でな。さっきも何やら危険な爆発物を作ろうとして……」
「いっちゃん、あれは爆発物じゃないよ? 花火だよ?」
「やかましいわ!? あんな危険なモノを屋上で上げようとしといて、何を言う!?」
葉月、そんなことしてたの? ずっと部屋の中にいると思ってたよ。料理してて気づかなかった。
葉月のことを殴ってる一花ちゃんを見て、先輩はまた深い深い溜め息をついていた。そんな先輩の肩に手をポンと置いている舞。
「これは1回外に出してあげた方がいいと思ってさ。今から遊びに行くよ! って言ったら、こうなったんだよ。というか、新寮長としての判断だよ、寮長!」
「神楽坂さん……それはあなたが止められないから、外に放り出してしまえっていうことよね?」
「あっはっは! そうとも言うね! まあ、いいじゃん! 葉月っちの快気祝いも兼ねて、今日は皆でパーッといこうよ!」
バシバシと背中を叩いてくる舞に、先輩は疲れたように何も言わない。これ、あれだ。最後の最後まで、葉月の行動に目を光らせなきゃいけないのかって思ってるんだ。
もう諦めきったように、先輩が立ち直った。
「ハア……仕方ないわね。寮を爆発されたら困るから、今日ぐらいはいいでしょう。その代わり、大人しくしなさいよ?」
「大人しくしてたら遊べないよ、寮長?」
「あなたに言った私がバカだったわ。東雲さん、小鳥遊さんが変なことしないように、しっかり縛っておきなさい」
「今日は1日本を読む予定だったのに……何でこうなったんだ」
遠い目をしだした一花ちゃん。そんな一花ちゃんを無視している先輩は、もはや通常運転だ。この2人のこの光景も今日で見納めかと思ったら、少し寂しくなった。明日には先輩は引っ越すからね。
「そろそろ行きましょうか。それにしても、桜沢さん? その荷物はどうしたの?」
ああ、そうだった。
「先輩。今日行くところ、まだ決めてませんよね?」
「そうね。とりあえず集まってからと思っていたけど」
「ふっふ! じゃあ、あたしらから提案があるんだけど!」
「……神楽坂さんの提案と聞くと、一気に不安になるわね」
「いや、葉月っちだけどね!」
「ますます不安になったわ……一応聞いておきましょうか。どこ行きたいの?」
先輩、そんなに一気に不安そうにしなくて大丈夫ですよ。葉月から聞いて、私もそれがいいなって思いましたから。
葉月の方に視線を向けると、満面の笑顔で先輩に行き先を告げる。
先輩は珍しく目を丸くしていた。
□ □ □
「全く、いきなり呼ばれたかと思えば……」
「あっはっは、まあまあレイラ! いいじゃん、どうせ暇だったんでしょ?」
「あはは……この前卒業して、当分来ないと思ってたんだけどなぁ」
「怜斗さん……僕と宏太は明日も来る予定ですよ……」
「(コクコク)」
「……ふんっ」
月見里先輩は苦笑い。九十九先輩は溜め息。阿比留先輩は疲れたように力なく首肯。会長――じゃない、鳳凰先輩は相変わらず不機嫌。いきなり呼び出されたレイラちゃんは、舞に「誰が暇人ですって!?」と嚙みついていた。まあ、皆が見慣れている場所ですからね。
目の前にあるのは、星ノ天学園だから。
「おおー。誰もいないよ、いっちゃん!!」
「当たり前だろ。春休みだぞ。来ているのは部活がある生徒ぐらいだ」
「舞、舞!! 誰もいないよ!! レイラが落ちる落とし穴作ろう!!」
「いや葉月っち、レイラいるのにそれ言ったら意味ないでしょ!?」
「おい舞……それって、落とし穴を作ること自体には賛成という意味か?」
「そもそも落ちませんわよ!?」
不穏な話をしている皆に、先輩たちは全員呆れたように半目で見てきた。つ、作りませんよ? 大丈夫ですよ?
葉月がまた何かを言っちゃって、レイラちゃんと舞に追いかけられてるね。
賑やかだなぁって眺めていたら、葉月がこっちを見て駆け寄ってきた。後ろでは、ゼーハーと息を切らしているレイラちゃんと舞が膝に手をついてるよ。葉月の方が体力戻ってないんだけどなぁ。
「どうしたの、葉月?」
「持つ」
私が持っている紙袋を手に持つ葉月。ここに来るって言ったから、急遽人数分のお弁当を作って持ってきたんだよね。もちろん、葉月の好きな甘い卵焼きも入れてるよ。
「ありがとう」とお礼を言うと、葉月はまたふわりと微笑んできた。若干頬が熱くなるのを感じる。
……だから、その笑顔ダメだってば。
ああ、もう。昨日からこんな感じで、葉月は私の心を鷲掴みしてくるから困る。
昨日の夜、私たちは両想いになった。
ついおねだりして「一緒にこれから寝たい」って言ったら、即答で嬉しそうに「いいよ」って言ってくるし、今朝も葉月を起こした時、寝ぼけ眼で頬にキスしてきた。
自覚した途端、こういう扱いしてくるとは……無理。本当無理。だから、今朝も何度もキスをしちゃったよ。
「……花音、慣れた方がいいぞ?」
「一花ちゃん……無理」
ものすごく呆れたように息をつく一花ちゃんが隣にきた。葉月は荷物を持って、さっさと舞たちのところに行ってしまったよ。袋を開けて、どんな食べ物入ってるか興味津々で見ているけど、私、それどころじゃない。
熱くなった顔を両手で覆った。落ち着こう、私……無理、落ち着かない。
「あのな……あいつのあれは天然だからな。言っても分からないのがオチだ」
「一花ちゃんは慣れてるね……」
「それはまあ、な。子供の頃は、ずっとああやって笑っていた。幸せで仕方がないっていう風にな。正気に戻ってからはたまにしか見せなくなったが、そういう時は安心できたものだ。あいつが、ちゃんと現実にいるのが分かったから」
どこか嬉しそうに、一花ちゃんも葉月を見ながら顔を綻ばせていた。確かに、あの写真と同じ笑顔だよね。
「まあ、上手くいったようで何よりだ」
「え?」
「あいつも気づいたんだろ?」
肩を竦めて、一花ちゃんは見上げてくる。
一花ちゃんは、葉月の気持ちに気づいてたの? それは、そうか。ずっとそばにいた一花ちゃんが、気づかない筈がない。
「……教えてくれれば良かったのに」
「言ったろ? あいつ自身に気づいてほしいって」
「意地悪だなぁ……」
「文句はあいつに言え。鈍感すぎるあいつが悪い」
いや、教えるの大変だったよ? 葉月のその気持ちが私への恋愛感情だって、自覚させるのに大変だったよ?
「…………お前に賭けてよかった」
「え?」
「さすがだってことだ」
満足そうに笑ってる一花ちゃん。どこか晴れ晴れとしている。
でも、何のことかさっぱり分からないよ。賭けたの? 私に? そういえば、前に宝月さんにそんなこと言ってたよね? 気になる。
「それで? どうして小鳥遊さんは、私たちをここに連れてきたのかしら?」
先輩がはしゃぐ葉月たちを疲れたように見ながら、私と一花ちゃんのそばにきた。他の先輩たちも近づいてくる。一花ちゃんには後で聞いてみよう。
「学園に来てみたかったそうです。もうずっと入院してて来てなかったから。それで、先輩たちも最後に見て回るのどうかな、って私が思って。桜も見ごろですし」
「桜沢さんの提案だったの? 円城さんも呼んだのは?」
「屋上でみんな一緒にお昼、どうですか? レイラちゃんには屋上の鍵を持ってきてもらったんです。学園長が持ってますからね」
「……小鳥遊さんに何度も破られたけどね」
あはは……それはまぁ、そうなんだけど。葉月に開けてもらうわけにはいかないしね。
「本当は時計塔――って思ったんですけど、さすがに許可は貰えませんでした」
理由はやっぱり老朽化。あの卒業式の日に私たちが入った時も、所々ミシミシと音もなってたしね、仕方ない。
それに、屋上からも空は見れる。
葉月が好きな空が。
「あそこは厳重にバリケードも張って、もう誰も入れないようにしてある。小鳥遊のバカのようなことがないようにな」
「(コクコクコク)」
「でもある意味、僕たちは運がよかったのかもしれないなぁ。あの時計塔に入ることが出来て」
「確かにそうね。絶対入ることはないって思ってたわ」
「別に、ただ高さがあるだけだろ? 普通の塔だ。何の思い出にもなりはしない」
「そう言ってて、翼、あの時計塔、気に入ってただろ? 何枚もスケッチ描いてたの知ってるよ?」
クスクスと月見里先輩が会長――じゃなかった、鳳凰先輩に突っ込んでいた。バラされて恥ずかしくなったのか、鳳凰先輩はプイっと顔を皆から逸らしている。スケッチ、描いてたんだ。あ、そうだ、忘れてた。
「会長――じゃなかった、先輩? そういえばモデルの件、いつがいいですか?」
「…………は?」
いや、「は?」って。先輩が言ったんじゃないですか。モデルにして絵を描きたいんですよね?
ん、あれ? 何で一花ちゃん、そんな半目で見上げてくるの? なんで先輩たち、一斉に明後日の方向見てるの? え、え? 何で?
「……桜沢…………あれはもういい」
「はい?」
「忘れろ……」
ガックリと肩を落とす鳳凰先輩。忘れろってことはなし? あ、なるほど。
「別のモデルが見つかったんですね」
「……違う。本当にもう気にするな。俺はそこまで女々しくない」
「女々しい?」
「あー……あの、桜沢、その辺――」
月見里先輩が何かを言おうとした時に、ドタドタと音が聞こえてきた。
「とうっ!」
「うおっ!!? な、何だ!? って何してやがる!? 離れろ!!」
「会長! このままレッツラゴーだよ!」
「ふざけんな、降りろ!! そして俺はもう会長じゃねぇ!!」
葉月がいきなり鳳凰先輩に飛び掛かって、そのまま登っちゃったよ。というか、無理やり肩車させちゃったよ。先輩が振り払おうとしているけど、葉月、全然落ちないね。
いきなりの葉月の乱入で、皆がシラけた目を葉月と先輩に向けていた。
それにしても、モデルの件違うって言ってたけど……まぁいいか。先輩がそう言うなら。
それよりも、あれはダメ。鳳凰先輩に無理やり肩車させている葉月を見上げると、こっちに気づいたのか見下ろしてきた。
「葉月、そこから降りようね?」
「うん? このまま行く」
「誰が行くか!?」
「だめだよ。危ないから降りようね?」
むーって頬を膨らませながら、葉月は降りてくれる。鳳凰先輩は葉月が降りたからか、ゼーハーと息を切らしていた。
うーん、葉月にそういう意図はないのは分かってるんだけどね。
面白そうに息を切らしている先輩をツンツンつついている葉月の頬にそっと触れると、こっちを見てくれた。
「だめだよ」
私以外にそういう抱きつくとかしちゃだめ。そんな簡単に嫉妬させないで?
頬をまた膨らませてたけど、次第にシュンっと落ち込んで、チラチラ見てくる。ああ、本当可愛いから。キスしたくなるからね?
「……おい、こういう人がいるところでは止めろ」
一花ちゃんのはっきりと呆れている声が飛んできて、我に返りました。見ると周りの皆が視線を逸らしている。
う……周り全然見てなかった。全員気まずそう。そんなに2人きりの世界作ってたかな!? 葉月は1人不思議そうに一花ちゃんを見ていたけど。
「ハア……そろそろ行くぞ? 校舎を見て回るんだろう?」
「そ、そうだね、一花!! そうしよう! 先輩たち、最後に見たいところ、どこですか!?」
舞が空気を変えるように、先輩たちに元気よく声を掛けてくれたよ。ご、ごめん。気を遣わせて。
内心反省していたら、隣の葉月がギュッと手を握ってきた。思わず見てしまうと「えへへ」と笑いながら、気分良さそうに歩き出す。
後ろの一花ちゃんの深い溜め息が聞こえてきた。
「違う悩みが出来たようだ……」
「同情するわ、東雲さん……頑張りなさい」
「寮長……留年しないか?」
「しないわ」
「なんてはっきりと……レイラがせめてもっと使えれば……」
「ちょっと一花? わたくしは物じゃありませんわよ?」
「そういう意味じゃないんだよ……無理だな」
「まあまあ、一花! あたしがいるじゃん!」
「神楽坂さんはちゃんと寮長の仕事をしなさい?」
「あっはっは! あたし、助けられてなんぼだから!」
「「全くやる気ない(わね)……」」
一花ちゃんと東海林先輩、また声が揃ってる。本当、仲がいいなぁ。なんて、葉月の手の温もりを感じながら、呑気なことを考えてしまった。
ごめん、一花ちゃん。でもこれからよろしくね? 多分私、葉月のことになると、すぐ周りが見えなくなると思うから。
チラッと横の葉月を見る。気分良さそうに鼻歌を歌い始めている。
それに、これからなんだよね。
まだまだ、私の願いには届かない。
「よかったじゃん。葉月っちと上手くいったんだ」
舞が近づいてきて、耳元で内緒話をするように囁いてきた。隣の葉月は周りの桜の方に夢中なのか、聞こえてないみたい。舞はどこか嬉しそうに笑っていた。
「うん、昨日ね」
「そっかそっか。よかったよ、本当にさ」
満足気に何度も頷いてるけど、舞、これからだよ?
それに。
「今度は舞の番だからね」
「……うん。頑張るよ」
そう言って、チラッと東海林先輩と話している一花ちゃんを見ている。
一花ちゃんに伝わるといいな、2人が上手くいけばいいなって、心の底からそう祈る。
一花ちゃんに早速話しかけに行く舞の姿に、クスっと笑みが零れていく。
隣を歩いている葉月の指に自分の指を絡めて、その手を強く握った。
こんな風に、舞も好きな人の温もりが感じられますように。
それからは思い出話を咲かせながら、校舎を皆で歩いて回る。不機嫌そうだった鳳凰先輩も思い出してたのか、時々目を細めていた。
中庭に差し掛かる。そういえば、ここで最初に会長に会ったなぁと懐かしくなった。
でも、一番の思い出は、やっぱりこの中庭にいる葉月かな。いつもここで空を見てたから。まだあと2年間は、ここで空を眺める葉月を見れる。それが嬉しい。
「お、ここ一番咲いてる」
舞が感嘆の声をあげていた。中庭の桜が満開に咲いていた。
「今年の桜は、見事ですわね」
「まだゆっくり見れてなかったから、今日はちょうどよかったよね!」
舞やレイラちゃんの言うように、あまりゆっくりは見ていなかった。時々、葉月の病室から、病院にある桜の木を見下ろしていたぐらい。
「いっちゃん、桜が違う花咲かせたら凄い?」
「……何する気だ?」
「これがどーんと違う花になったら、皆、嬉しい?」
「だから……何する気だ?」
「さっきの花火、改良すれば出来るかなぁ?」
「だから何する気だ!? というか、あの花火を使うな! あれはただの爆弾だ!!」
一花ちゃんの言葉を無視して、葉月が近くにあった桜を拾って眺めている。
一花ちゃんは一花ちゃんで何かを思い出したのか電話しだしたね。「全部廃棄しろ」って言ってたから、きっとその葉月が作ったっていう爆発物を部下の人に処分させてるんだろうなぁ。……思ったけど、そんなのを作ったら警察に捕まるのでは? ま、まあ……一花ちゃんが何とかするんだろうな。考えないことにしよう。
「花音、見たい?」
「ん? んーそうだなぁ……」
葉月が今度は私に問いかけてくる。
確かに違う花もいいかもしれないけど。
「私は……桜をやっぱりこの季節に見たいかな」
「なんで? 違う花もあれば、きっと綺麗だよ?」
「確かに色んな花があれば綺麗だと思うけどね。でも季節ごとに見れるから、毎年楽しみに出来るの。1年毎の楽しみ。だから、余計綺麗に見えるんじゃないかな。毎日見れるものじゃないから。違う花だって、それぞれ咲き頃ってあるでしょ?」
「…………花火と一緒??」
「花火?」
「メイド長が言ってた……滅多に見れないから感動するって」
メイド長さんがそんなことを言ってたんだ? でもそうかもね。だから感動するのかも。
手に持っていた桜を落として「じゃあ、作るのやめる」といった葉月は、咲いている花の枝の1本を、木に登ってパキンと折ってしまった。
舞もレイラちゃんも「何してるのさ(んですのよ)!?」と2人揃って葉月に文句を言ってたけど、葉月は知らん顔。その枝を私に渡してくる。
「これ、飾る」
「部屋に?」
「うん」
どこか満足気に笑っている。いきなりどうしたんだろう? って思ったけど、その笑顔が可愛いから許してしまうよ。本当は怒らないとだめだけどね。それは今のところ、レイラちゃんと舞と一花ちゃんに任せよう。
渡してくれた枝についているその花は、綺麗に咲いている。舞、そこまで呆れた顔をしなくても。
一通り回ってから、皆で屋上へ向かった。
よかった、晴れて。所々雲はあるけど、春の陽気の風が心地いい。
お弁当を広げて、お喋りを楽しみながら、先輩たちはまた思い出話に花を咲かせていた。レイラちゃんも舞も一花ちゃんも、その話に相槌を打ちながら、時には違うエピソードも話しながら、おいしそうにお弁当をつまんでいる。
葉月は私の作った卵焼きをいつものように目を輝かせながら食べて、やっぱり空を見ていた。
「綺麗だね」
「……うん」
暖かい太陽の日差しが、ポカポカと私たちを温めてくれる。
食べ終わってからノソノソと動き出して、私の膝の上に頭を置いてきた。膝枕、好きだなぁ。クスっと笑いながら、その葉月の頭を撫でてあげた。
葉月はやっぱり空を眺めている。
私もつられて空を見上げた。
時々、桜の花びらが舞い上がり、空を踊っているようにも見える。
それがまた、綺麗だなって思ったよ。
後ろからは、皆の笑っている声が聞こえてきた。
ポツリと、その声に搔き消されるほどの小さい声で葉月が呟いてくる。
「今日ね……」
「ん?」
「落ちたくなってないよ」
それは……この場所からって事かな?
この屋上から、その身を投げる。
そうなってない。
死にたくなってない。
「そっか。良かった」
「うん」
だから葉月は今日、ここに来たかったのかな。
自分がどう思うか、確かめたかったのかもしれない。
葉月の方を見下ろすと、葉月も目を細めて私を見上げてきてくれた。
スッと髪を梳くように撫でてあげる。心地よさそうに笑みを浮かべてくれる。
太陽の光が、葉月を照らして一層綺麗に見える。
つい、嬉しくなって笑みが零れた。
あのね、葉月。
私、願い事が見つかったんだよ。
空を見ているのか、私を見ているのか、葉月は目元を緩ませて微笑んでいる。
その笑顔に、愛おしさで胸が切なくなって、でもとても暖かい。
そっと頬を撫でた。
葉月。
私ね、もっと葉月に好きになってもらいたい。
もっと私のことを好きになってほしい。
もっとあなたの心の中も頭の中も私でいっぱいにしたい。
ゆっくりと顔を上げた。
少し離れたところには、時計塔が今日も立派に建っている。
あの日、
あの時計塔で、
葉月が死にたい理由を聞いてね。
死ねないって思った。
葉月のために死ねない。
葉月のためにそばにいる。
葉月のためにいなくならない。
だって、そうしないと、葉月はまた自分がいるせいだって思うでしょう?
だからね、こう考えた。
葉月が自分がいるせいだって、考える余地を失くしてあげたいって。
じゃあ、どうすればいいかなって考えた。
答えは簡単。
葉月が私のことでいっぱいになればいいって。
だから、もっともっと私を好きになってほしい。
もっと好きになって、
私のことを考えて、
いつか、葉月の中の死ななきゃって思いが、私への気持ちで消されますように。
それが、私の今の願い。
葉月の生きる理由に私がなりたい。
それが、私の夢。
だから好きになってほしかった。
葉月が私を好きだって分かって、嬉しかったよ。
でもそれは本当にまだ第一歩。
葉月は鈍感だから、私のことで頭と心がいっぱいになるのは長い道のりかもしれない。
でもね、絶対葉月を守って先に死んだりしない。
そばにいる。
いなくならない。
あなたが悲しむことはしない。
私ね、葉月と出会って本当に幸せなんだよ。
愛おしくて、
暖かくて、
胸がいっぱいになって。
こんなに幸せな気持ちをくれた葉月に、本当に感謝しかないの。
だからね、
私に、出会ってくれてありがとう。
幸せをくれてありがとう。
今度からは私があなたの希望になる。
あなたに幸せを与え続ける。
葉月が私に幸せをくれたように。
フワッと、春の暖かな風が私と葉月を撫でていく。
心地いい。
その陽気な香りが、くすぐってくる。
降り注ぐのは、暖かな春の太陽の光。
風で舞っている桜の花びらが、太陽の光でキラキラと輝いているようにも見えた。
あんな風に、葉月の心も明るくなってほしい。
光を浴びて、あの桜が綺麗に咲いたように、
これからずっと、葉月の光になれますように。
膝の上に愛しい人の重さを感じ、
未来に思いを馳せた。
幸せに笑いあう、愛しい人との未来を願って、
これから先、一緒に歩いていこう。
最初はただのルームメイト。
優しくて、綺麗で、可愛くて、少し危なっかしいところがあって。
でも今は、
隣でずっと笑顔を見ていたい、
その温もりを感じていたい、
愛しくて堪らない、かけがえのない大切な人になった。
お読み下さり、ありがとうございます。




