240話 やっと —花音Side
あ、れ……?
そっと重い瞼を上げていく。
ここ……ああ、ここか。
そこは真っ白い空間。
これ、夢だ。
いつもの夢。
「ふえ……ふっぅ……」
ほら、いつものあの子の泣き声が聞こえてくる。
重い体を持ち上げて、ゆっくりと体を起こした。
真っ白い空間の奥に、あの子の姿が見える。
やっぱり蹲って泣いている。
何とか、してあげたいな。
立ち上がって、その子のところに足を進めた。
あれ?
いつもと違って、あの子の姿が大きくなる。
ずっと近づくことも出来なかったのに。
一歩一歩前に進む。
どんどんあの子に近づいていった。
ここまで来れたの、初めて。
ついには、泣いているその子の背中側まで近づけた。少し感動してしまうよ。
膝をついて、蹲って泣いているその子に声を掛けた。
「どうして泣いてるの?」
前と違って声まで出せた。嬉しい。
私の声を聞いたからか、ビクッと体を震わせて、その子はゆっくりと顔を上げた。
わっ……可愛い。
あまりの美少女っぷりに思わずドキッとしてしまった。
――ってそうじゃない。
女の子は、まだいっぱいの涙を目元に浮かべながら見上げてきた。
前から気になってた。
どうしてそんなに泣いてるの?
「何か辛い事でもあった?」
「ふえ……」
え、ええ? また泣き始めちゃった。
顔をクシャクシャにしながら、ボロボロと大きな粒の涙を流している。
そっとその子の頭に手を置いて撫でてあげた。
詩音もこういう風に泣くからね。
思わず詩音のことを思い出して、苦笑してしまった。
「泣かなくていいよ。もう大丈夫」
笑みを浮かべて頭を撫でてあげると、その子はポカンと大きな目を見開いて見上げてくる。
きっと辛い事や悲しい事があったんだね。
「……だいじょうぶ?」
「うん、もう大丈夫だよ」
「…………いなくなったのに?」
「そっか……そうだったんだ。誰がいなくなったの?」
「だいすきなひと……」
それは、悲しいね。
好きな人がいなくなるのは、悲しくて辛いよね。
それでずっと泣いてたんだね。
「それでずっと泣いてたの?」
「……ないたら、いつもきてくれた」
案外策士だなぁ、この子。わざと泣いてたの?
「……でもこなくなった」
それは、本当にいなくなってしまったからなのかな。それだとやっぱり悲しいよね。
シュンと明らかに落ち込んでいるその子は、まだ震えていた。
「……みんないなくなる」
「そうだね。独りぼっちは嫌だよね」
またボロボロと涙を流し始める。
見ているこっちが切なくなる。
「もう独りぼっちじゃないよ?」
「……ちがう?」
「うん。私がそばにいるからね」
ふふって笑うと、また涙を止めてくれる。
じっと見上げてくる、その仕草が可愛い。
「…………ほんと?」
「本当」
「ほんとにほんと?」
「本当に本当」
だって、ずっと何とかしてあげたかったの。
泣いているあなたを、どうにかしたかった。
じっと見上げてきたその子は、いきなり両腕を広げてきた。どうしたんだろ?
「ぎゅーして?」
「ふふ、いいよ。おいで?」
何て可愛いおねだり。包み込むように、その子を抱きしめた。その子も小さい手で抱きしめ返してくれた。
「――あったかい」
その声がとても嬉しそうで、つい葉月や詩音たちにやるように頭を撫でてあげた。
スリスリと私の肩にその顔を擦り寄らせてくる。途端に機嫌が良さそうな声が、耳元から聞こえてきた。こっちまで嬉しくなってくる。
「もっとして~?」
「いいよ」
「ギュってして~?」
「ふふ、うん」
「あったかいね~」
「嬉しい?」
「……うん」
少し寂しそうに、呟いてきた。
嬉しそうだったのに。
「……あのね」
その子が顔を上げて、私の顔を覗き込んできた。
「いなくならないで?」
縋るように、泣きそうに、声を震わせながら懇願してきた。
いなくなることを恐れて、不安で。
その気持ちはすごく分かるよ。
私も葉月にそう思ってた。
「いなくならないよ」
「そばにいてくれる?」
「うん。そばにいるよ」
「ほんと?」
「本当」
目元に残っていた涙を拭ってあげる。
ギュッとまた包み込むように彼女を抱きしめた。
ずっと、こうしてあげたかった。
「私は、いなくならないよ」
自然とまたその言葉が出てきた。
どうしてかは分からない。
でも、それが伝えたかったという気持ちになった。
そばにいるから。
いなくならないから。
どうしてか、そう、この子に伝えたかった。
この子もまた抱きしめ返してくれる。
温かさが伝わってくる。
その温もりが、とても安心した。
耳元で、嬉しそうな声が聞こえてくる。
「…………しんじてみる」
何を? とは聞かなかった。
ただ黙って、抱きしめた。
そうすることが正しい気がしたから。
やっと、
やっとこうやって抱きしめてあげられたことが、
ただ嬉しかった。
□ □ □
「花音」
愛しい声が落ちてくる。
暖かい。
誰かの手が頭に触れてきたのを感じた。
うん……?
「花音、風邪引くよ?」
働かない思考。
だけどこの声、ずっと聞いていたい。
とても胸の奥が温かくなる。
ぼーっとしたまま、ゆっくりと瞼を開けた。
顔を上げると、そこには葉月の顔。
――――葉月の顔?
一気に思考がクリアになっていく。
バッとベッドに伏せていた体を起こして、葉月を見た。
「……葉月?」
「うん」
目をパチパチと瞬かせて、葉月がきょとんと私を見ている。
起きてる……?
え、あれ? でもずっと寝ていて。
これ、夢?
「さっきね、目を覚ましたんだよ」
クスクスと先生の笑い声がして、そちらを見るとベッドの反対側に先生が立っていた。おかしそうに笑っている。
夢じゃ、ないんだ。
また葉月の方を見ると、不思議そうに首を傾げていた。
「葉月ちゃんがあまりにも起きなかったから、びっくりしちゃったかな?」
「むー。それは私のせいじゃないもん」
「あーそうそう。葉月ちゃん、一花に会ったらお説教覚悟しておいてね。かなりご立腹だから」
「私はまだ寝ています! いっちゃんにそう言っておいて?」
ガバっと勢いよく葉月が布団の中に潜り込んだ。
この感じ、夢じゃない。先生は「どうしようかなぁ」って面白そうに葉月を見下ろしていた。
その2人のやり取りが嬉しくて、ホッとする。
だって、卒業式の日からもう3日も経っている。
その間、葉月は1回も目を覚まさなかった。
そろっと被った布団から顔を少し出して、こっちを見てきた。
それ反則。可愛い。
「葉月ちゃん、あんまり激しい動きはダメだよ?」
「んー……気をつける」
葉月が素直になってる。前は先生にそう言われても、屁理屈こねてたのに。
先生も驚いたのか、「ちょちょちょっと、葉月ちゃん? 布団とって? 脈測るから! あと傷の具合見るから!」と慌てだした。そんな先生にまたむーっと頬を膨らませてる。
でもすぐ、また私のことをチラチラと見だした。どうしたんだろ、さっきから?
「……ずっといたの?」
「え、あ、うん……」
そう、ずっとこの病室で葉月のそばにいた。
葉月が目を覚ました時に、ちゃんとそばにいたかったの。自分を愛している人がいなくなるのが怖いみたいだから。
目を覚ました時に葉月に告白した私がいないと、その……嘘つきになるかなって思って。
…………今思った。
そうだ、私、葉月に告白したんだよ。
しかも愛してるとか恥ずかしい告白を、皆もいる中でしたんだよ。
そして、キスもしたんだよ。パニック起こしてる葉月の目を引きたくて、したんだよ。
それを思い出してしまって、葉月との間の空気が何故かシンと静まり返ってしまった。
「……えっと、僕、席を外そうか。そうだね、一花に教えてくるよ。心配――は全然してなかったけど、気にはしてたからね」
先生!? なんでいきなり空気読むんですか!? 確かに一花ちゃん、卒業式の日以来、全然葉月のことを心配してないけど! 「ま、そのうち起きるだろ」なんて軽い口調だったけど!
内心2人きりにさせられると困る、と思ってたら、先生はあっというまに「じゃ、またくるから」と病室から出て行ってしまった。
「変なの~」
「あ、あはは……そうだね」
葉月が出ていった先生を不思議そうに見て、そう呟くのに笑って誤魔化すしかできない。私、今心臓バクバクだから! 葉月との2人きりとか意識して仕方ないから!
ノソノソとまた布団の中から出てくる葉月は体を起こして、サイドテーブルの水を取ろうとしていた。
「喉乾いた?」
「んー」
「水でいいの?」
「んー」
代わりに水差しからコップに注いで手渡すと、コクコクと飲み始める。それはそうか。3日間眠りっぱなしだったものね。「ぷはっ」とコップから口を離して、自分の袖口で拭いていた。
「まだ飲む?」
「んーん……いい」
飲み終わったコップを受け取ると、葉月がゆっくり窓の外を眺め出す。その様子を見て、つい笑みが零れてしまった。
本当、空が好きなんだなぁ。
「花音……」
ふいに名前を呼ばれてドキッとしてしまう。でも平静を装って返事をしたよ。
「ん、何?」
「…………ありがとう」
そのお礼は、何のお礼なのか。
でも、とても優しい声で言われて、胸の奥が温かくなる。
それに、お礼を言うのは私の方だよ、葉月。
「私の方こそ、ありがとうだよ」
「……うん?」
空からこっちに振り向いて、不思議そうに見てくる。
ふふって笑って、葉月の手を握った。
温もりが、ちゃんと手を通じて伝わってくる。
生きているのが分かる。
「ありがとう、葉月」
この幸せを、また与えてくれて。
何のことか分からなそうな葉月。
だけど、ギュッと手を握り返してくれた。
……少しだけ、我儘してもいいかな。
静かに椅子からベッドの方に移動して腰掛けると、葉月がまたきょとんとしてきた。
葉月は私の事を好きってわけじゃないから……キスはさすがにもう出来ないけど、でも前はこれぐらいならやってたから、許してくれるかな?
そっと、少し緊張しながら葉月の事を抱き寄せてみた。背中に腕を回して、傷に触れないように。強く抱きしめないで、あくまで軽く。
そうしたら、葉月もまた抱きしめ返してくれた。
優しい手で、背中を撫でてくる。
トクントクンと葉月の心臓の鼓動が伝わってきて、温もりが包んでくれる。
暖かくて、幸せな気持ちでいっぱいになる。
また抱きしめられることが嬉しくて、
「…………生きていてくれて、ありがとう」
耳元でそう葉月にお礼を言うと、葉月の手が少し震えた気がした。
顔を上げて、私の顔を覗き込んでくる。
ふわりと優しく葉月が微笑んだ。
綺麗で、ずっと見ていたくなる。
ああ、そっか。
やっと、あなたに会えた。
やっと葉月に会えたんだ。
寮の部屋から葉月が離れる時に、見せてくれたその笑顔。
本当の葉月の笑顔。
堪らなく嬉しくなって、私も笑みが零れる。
まだ、葉月は私のことを好きなわけじゃないけど、
でも私、待てるよ。
葉月が私の事好きになってくれるの、待てるよ。
この笑顔を、そばで見ることができるなら。
またギュッと抱きしめる。
葉月もまた顔を首元に埋めてきて、擦り寄らせてきた。
その幸せを味わってたら、また葉月が寝てしまってどうしようって思っちゃったよ。さっきまで寝てたんじゃなかったの!?
1人ワタワタしてたら、一花ちゃんが病室に入ってきて、ものすごく呆れた目をしてきた。
も、もしかしてまた私が襲ったって思ってる!? 違うよ?! そして葉月はちゃんと目を覚ましたよ!?
お読み下さり、ありがとうございます。




