235話 本当の理由
「葉月っ」
膝の力も抜けていって、床にペタンと座り込んだ。
頭にはガンガン声が響いてくる。
パパとママの声が響いてくる。
聞きたくなくて、耳を抑えた。
『あなた、葉月にそんなこと覚えさせないでちょうだい』
『いや、葉月が勝手に覚えていくんだよ』
でも、どんどん聞こえてくる。
ハアハアと息が苦しくなっていく。
『ああ、本当、葉月は可愛いわね』
『僕に似なくて良かったなぁ。ママそっくりで、将来とっても美人さんになるぞ』
優しい記憶が心臓を掴んでくる。
いやだ。
いやだいやだ!
いやだいやだいやだ!!
「葉月っ……どうし――」
花音の声も聴きたくなくて、
でも、頭では2人の声も聞こえてきて、
「聞きたくないよ!!!」
思いっきり叫んで、声を振り払おうとした。
いやだ、聞きたくない。
思い出したくない。
でも声は止まらない。
涙が勝手に出てくる。
手がそっと肩に触れてきた。
「葉月……」
花音…………やめて…………。
「愛さないでよ……誰も、私を愛さないで……」
愛さないで。
私を愛さないで。
涙が出てくる。
ポタポタ落ちる。
声が聞こえて、苦しくなる。
『これとか葉月に似合いそうだけどなぁ』
『こっちも可愛いわよ。葉月、ちょっと着てみようか』
いやだいやだいやだ。
聞きたくない。
聞きたくない!
必死で頭を振っても、声は、記憶は、どんどん溢れる。
ハアッ! ハアッ! ハアッ!!
息がどんどん苦しくなる。
聞きたくない。
何も聞きたくない。
『愛してるよ』
記憶のパパが囁いてくる。
やめてやめてやめてよ。
『愛してるわ、葉月』
記憶のママが囁いてくる。
だけど、2人は、
最後の2人は、
私を抱きしめて死んでいた。
私を守るために、死んでいた。
「私のせいで…………死んじゃった」
私を守って、死んじゃった。
最後の姿。
擦れ擦れに聞こえてきた声。
『はづ――き――愛して、るわ……』
『しあわ――――せに…………』
「私のせいで…………パパ……ママ……死んじゃった」
消えていく温もり。
冷たくなっていく体。
「違う! 違うぞ、葉月! あれは事故だ!」
「そうですわ! あれは、相手の運転手が居眠りで!」
いっちゃんとレイラが声を荒げた。
でも、違わない。
違わない違わない違わない!!!
「違わないよ! 私のせいで、私を守ったせいで! 2人は死んじゃったんだよ!!」
2人に挟まれて、私は乗っていた。
後ろの座席に乗っていた。
急カーブだった。相手の車がぶつかってきた。
運転手がハンドルを切った。
ガードレールを突き破った。
私を守るためにママが私を抱きしめた。
ママと私を守るために、パパが私たち2人を抱きしめた。
車はどんどん落ちていった。
衝撃が私たちを包んだ。
気づいたら、2人に抱きしめられて、外にいた。
ママの背中に破片が突き刺さっていた。
パパは頭から血を流していた。
私を守って、パパもママも死んだ。
「みんな、みんな、みんな私を守って死んじゃったんだよ!!」
前世でもそうだった。
みんなが私を守って死んだ。
家族は、爆撃から逃がすために私を突き飛ばした。
新しい家族たちは、自分たちより私に食べ物を渡して、息をしなくなった。
炎に焼かれる寸前、あの日本人は私を庇った。
愛を囁いてきた人は、私の代わりに銃弾にあたった。
みんな、口を揃えてこう言った。
「みんな、愛してるって、大好きだって言って、私を守って死んでいくんだよ!」
パパとママが死んだときに気づいた。
私をいっぱいの愛情で包んでくれた2人が死んで気づいた。
私を愛してるって言った人間が死んでいく。
私を大好きだって言った人間がいなくなっていく。
私という存在がいるせいだ。
私の存在がいけないんだ。
私がいなければ、あの人たちはみんな生きていた。
みんな、みんな今でも笑っていたはずだ。
傲慢だと分かってる。
思い上がりだって、身勝手だって分かってる。
守ってくれた人たちの分まで生きなきゃってこと、分かってる。
でも、もう耐えられない。
耐えられない。
耐えられない、耐えられない。
この世界に生まれて、嬉しかった。
2人の笑顔が、とても暖かかった。
今度こそ、ずっと幸せになるんだって思ってた。
でもいなくなった。
この世界で一番愛してくれた2人が、いなくなった。
大切な2人がいなくなった。
大事な人たちが自分のせいでいなくなるの、耐えられなくなった。
だったらどうする?
「だから…………だから私が死ねばいいんだ……」
そうすれば、その人たちは死なない。
悲しませるけど、その人たちは死なない。
おじいちゃんたちも、いっちゃんも、先生も、レイラも、
みんなみんな、この世界で生きていける。
「だからっ……! だからっ私がっ……! 死ねばいいんだよっ!」
守る存在がいなくなれば、死ななくていい。
「愛されて、守られて、みんな、いなくなるならっ!! 私が死ねば、誰も死なないっ!!」
私という存在を消してしまえばいい。
「だからっ――だから、私死なないとっ! 死なないといけないっ! 死なないとっ!!」
また犠牲者が出る。
私を愛する人間が犠牲者になる。
「だからっ……私は死ぬことを諦めないっ…………」
もう私を愛する誰かを、死なせないために。
落ちたカッターが目に入った。
震える手で掴もうとする。
死ぬことを、絶対、諦めないっ……。
「葉月」
――――――え?
急に顔を手で挟まれて、柔らかい唇に私の口は塞がれた。




