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224話 理由 —花音Side

 


「葉月っちもこの世界に生まれて良かったって思ってたんでしょ? なのに死のうとしてる。なんで?」


 確かに舞の言うとおり。葉月も一花ちゃんも、今の話だと、こっちの世界に生まれたことを喜んでいたということ。


 でも葉月は、何度も死のうとしている。


 レイラちゃんも一花ちゃんも舞の指摘に、どちらも辛そうな表情をしていた。ふうと息をついて、一花ちゃんは葉月の頭から手を外し、自分の眼鏡を取っていた。


「――初めてこいつが手首を切ったのは、9歳の夏の終わりだ」

「きゅ、9歳!? 子供じゃん!!」


 あまりの幼さに舞がさすがに信じられないという声を出した。


 そう、子供。私もそう思う。その年齢の時に死ぬことを考えるなんて、余程辛いことがない限り考えない。それはつまり、辛いことがあったということ。


「最初はあたしたちだって何でだって思ったさ。何度も何度も問い詰めた」

「うそでしょ……それで葉月っちは何て……?」

「……逆に言われた。何で? と……」


 一花ちゃんの次の言葉に耳を疑う。




「『何で、死ぬのに理由がいるの?』、とな」




 それは、理由がないっていうこと……?


 言葉を失ってたら、一花ちゃんは悲しそうに笑って、手の中で眼鏡を(もてあそ)びだす。レイラちゃんは辛そうに視線を葉月から外していた。


「それからは、もう悲惨の一言だ。まともに会話したのはその問答だけ。それから毎日のように葉月はおかしくなっていった。笑って、何度も自害行為をするようになった。こっちの声なんて届いてない。何度も何度も繰り返す」

「葉月の精神状態が完全におかしくなった時に、そんなことになってるとは知らず、わたくしがその現場を目撃してしまったのですわ」

「レイラには知らせないようにしていた。どう見ても発狂している葉月に会わせるのは危険だった。葉月は自分のことはもちろんの事、それを邪魔する周りも攻撃していたからな」

「でもわたくしは気になって、無理やり屋敷に入ってしまった」

「案の定、レイラはその時の現場がトラウマになって、自分の家から出られなくなった」

「だからわたくしは……一花と葉月から離れました」


 交互に、淡々と2人は話す。(もてあそ)んでいた眼鏡をまたかけて、肩を竦める一花ちゃん。舞は一気にそんな話を聞かされたからか、茫然と2人を見ていた。


「一花は……何で離れなかったの……?」

「あたしを見た時だけ、こいつの動きが止まるからだ」

「一花ちゃんを見た時だけ……?」

「そうだ。だからあたしは、こいつから離れるわけにはいかなかった。その一瞬の隙をついて毎回毎回、こいつを全員で止めていた。だからあたしも、9歳の夏の終わりからは学園には行っていない。ずっと鴻城(こうじょう)の屋敷で暮らしていた」


 ずっと……? それから3年間も?


「あたしもおかしくなりそうだったさ……ずっとずっと葉月は自害行動をし続ける。笑って、楽しそうに、何度も何度も自分の体を傷つける。もうまともに話が出来ないんじゃないかって、何度思ったかは分からない」


 そんなの……そんなのそうだよ。

 それでも一花ちゃんは、ずっと葉月を止めるためにそばに居続けたんだ。


 自嘲気味に、一花ちゃんは笑っていた。


「普通だったらレイラみたいに離れる。毎日毎日、恐怖の連続。部屋を開けたら、もうあいつは息をしていないかもしれない。今度止められなかったらどうしよう、あたしを見て、止まらなくなったらどうしようって、そう思いながら暮らしていた」

「じゃあ、どうして一花は……?」

「――離れるなんて出来なかったんだよ。だって……たまに正気に戻ってたんだ。『いっちゃん、なんで泣いてるの?』って……不思議そうに話しかけてくることがあって……だから、いつかは戻るってそう期待してしまう自分がいて……」


 顔を下に俯けて、一花ちゃんの声が泣きそうになっているように感じる。


 一花ちゃんの葉月を想う気持ちが、痛いほどにその声から伝わってくる。


「もう無理なのかもしれないって思ってた時に――葉月がやっと正気を取り戻したのは、中等部に上がる前だ」

「――その時、一花から連絡がありましたわね。もう大丈夫だって。でもわたくしは無視をして、そのまま一花と葉月からは離れたままに……」


 レイラちゃんも、今にも泣きそうな顔になっていた。


 レイラちゃんは後悔しているって言っていた。きっとその時に、一花ちゃんや葉月の力になれなかったことだよね。前に言ってたのは、このことだったんだ。


 黙って聞いていた舞が、恐る恐ると言った感じで2人に問いかける。


「中等部に上がる前に、葉月っちは正気に戻ったんだ?」

「……いきなりだったな。いつものように、葉月の様子を見に行ったら、あいつはまあ血塗れだったんだが、でも普通に話しかけてきた。『お腹空いた』って、全く状況が分かってないのか、そんな呑気なことを言われて……でもまともに会話してきたから、いつもと違うと思った」

「……そうでしたの? それはわたくしも初めて聞きますわね」

「言ってないからな……何がきっかけになったのかは分からない。それからはまず怪我の治療をして、兄さんと交えてずっと話したよ。葉月は全くその3年間のことを覚えてなかった。ただ、自分を傷つけていたことだけは覚えていて……だから改めて聞いたんだ」

「何を……?」


 ふうとまた息をついてから、一花ちゃんは厳しい表情に戻って、葉月を見下ろしている。


「何で……死のうとするんだって」


 正気に戻ったから、ちゃんと聞こうとした。

 葉月は、なんて答えたの?


「……もう分からないって言われたよ。でも死にたくなって、それで頭がそれだけでいっぱいになると」


 それってつまり……。


「葉月は……もう何で死のうとするのか分かってないってこと……?」

「……さあな。だけど、それで頭がいっぱいになって、何も考えられなくなるらしい。ただそれをすることだけ考える。だから、その自分を止めてほしいと言われた」


 葉月の意思とは関係なく、葉月は死のうとするってこと?


「声が聞こえるそうだ……」

「声?」

「昔の自分の声が聞こえて、それで頭の中がいっぱいになると言っていた」

「葉月っちは……それに抗えない?」

「そうだと思う。だから、そうなったら自分を止めろと。あたしの声が聞こえると、自分のやっていることがおかしいことだと分かるから。現実に戻ってこれるから」


 それは、一花ちゃんにしか出来ない事。


「ふとした瞬間に、葉月は分からなくなる。どっちが現実で、どっちが夢か。あの3年間もそうだったんだろうな。ずっと夢の中にいるような感覚だったのかもしれない。前世での記憶に振り回されている時も多々あった。それで暴れることもしょっちゅうだったよ」


 ずっと夢か現実か分からない。

 でも葉月は、自分のやっていることが周りを悲しませることだって分かっている。


 だから一花ちゃんに止めてもらっているの?

 自分ではもう止められないっていうこと?


「正気に戻ってからも、こいつは何度も自害行動をしかけたさ。でもあたしが止めると、我に返ったようにお礼を言う」

「葉月っちのさ……あの普段の悪戯とかは関係あるの?」

「こいつの普段の悪戯は、こいつの趣味も大分あるが、大体はストレス発散だ」


 ストレス発散?


「死にたくなるのをストレス発散して抑えている。死ねないストレスを、他のことをやって発散させているんだ。度が過ぎることもあるから、そういう時もあたしが止めていたが……」

「あれがストレス発散……」


 舞がさっきとは違った意味で葉月を覗き込んでいた。あれで? と言いたげな顔。普段の葉月の悪戯を思い返したんだね。


「あとは自分に人を近づけさせないためだろう。いつ、そんな自害行動をするかも分からない。それを邪魔する人間も葉月は問答無用で傷つけていたからな。あたしも兄さんも、鴻城の人間も、みんな葉月を止めようとして、殺されかけたこともある」


 殺されかけた……。その言葉に舞と私が口を噤んでしまう。


 普段の悪戯にも意味はあったってことなんだ。あえて人を近づけさせないためにって意味もあったんだね。


 一花ちゃんは「だが――」とまた深刻そうな声を出していた。


「もう…………それも出来ないかもしれない」

「え、どういうこと??」


 また辛そうに悲しそうに、一花ちゃんは目元を歪めていた。レイラちゃんも口を噤んでいた。舞は分からなそうな顔をして2人を見ている。


 そんな2人を見て、ひどく胸騒ぎがした。


 何か良くないことを言いだし――





「もう……葉月にあたしの声が届かなくなった」





 それがどういうことを示すのか、


 私は信じたくなかった。


 だってそれって……。

 唇が震える。


「え? そ、それってどういうことさ?」

「もう……今届いてない……」

「え、え?」


 混乱している舞の声。


 それとは対照的な、一花ちゃんの悲痛な声。




「もう……葉月は誰の声も聞こえてないということですわ、舞…………」




 レイラちゃんのその言葉が、胸に突き刺さってきた。


 眠っている葉月の顔を見る。

 変わらない寝顔がそこにある。


「まま待ってよ、何でそうなるのさ。だ、だって今は葉月っちの過去の話でしょ?」

「今も、なんですのよ。ずっとわたくしも鴻城の方たちも、一花たちも恐れていたこと。葉月はあれからずっと暴れているんですの。起きると……死のうとするんですのよ」

「そ、そんな……いやいや、嘘だって。レイラ、あんまりな冗談言わないでよ!」

「冗談ならどれほどいいか……」


 レイラちゃんの今にも泣きそうな声に、舞がまたガタッと音を立てて立ち上がる。


「一花、一花も何か言いなよ……? 葉月っちとまたバカなこと出来るよね? そうだよね?」

「舞、だから葉月を休学させたんだ。いつまた――正気に戻るかは分からない」

「な、何言ってるのさ? そんなこと聞きたいんじゃないのに……」


 舞まで泣きそうな声になってる。

 信じたくない気持ちは分かる。


 そっと葉月の頬に手を添えた。

 温かさが伝わってくる。


 だけど、レイラちゃんの悲しそうな声が、一花ちゃんの悲痛な言葉が、頭の中で何度も繰り返されて、これ以上なく胸が締め付けられた。


「い、一花の声で戻ってくるんでしょ? 止めてるんでしょ?」

「……一瞬だ。でもすぐ暴れ出す。少し目を離しただけでも、今は危険なんだ。この2週間、こいつとまともにあたしだって話していない」

「な、なんでさ!? 今まで一花、止めてきたじゃん!」

「冬休み前から、こいつ、不安定だったんだよ。何度もこいつが自害行動をしかけていたのを、ずっと止めてきたが――」

「じゃ、じゃあっ!!」


 立ち上がった舞が、一花ちゃんに問い詰めている。


 冬休み、一花ちゃんと葉月の部屋に行った。あの時に感じた違和感。物がなさすぎた、鍵をかけていた。手錠まで用意していた。一花ちゃんは疲れ切っていたようだった。


 あの時、もう葉月は死のうとしていたの?


 一花ちゃんは、辛そうに声を絞り出していた。


「葉月は……宝月に刺されて、あっという間に堕ちた。きっと、自分を殺してくれるって思ったんだ。あたしの落ち度だ。宝月が、まさかナイフで簡単に刺してくるとは思ってなかった。それが決定打になってしまったんだ」


 あの時の、宝月さんのしたことで?


「昔と同じように、今、こいつは起きると暴れ出す。死のうとして、邪魔する周りにいる人間を攻撃する。全く声が届かない。自分が何をしているか、葉月自身分かっているのかも怪しい。眠らせるしか、方法がないんだっ」


 あの時、葉月は言っていた。

 宝月さんに向かって言っていた。


 自分を刺してくれると言っていた。


 葉月の周りは、自分を死なせない人しかいない。

 宝月さんが、自分を殺してくれる存在になったんだ。


 それは葉月にとって、どれだけ甘い存在なのか。


「葉月……」


 もう葉月には止められないの?

 止められなくなったの?

 あの笑顔を向けてくれないの?


 知らず涙が込み上げてきて、葉月の顔に落ちていく。


 あれでずっと死にたくなってるの?

 それしか考えられなくなってるの?


 その事実が、悲しくなって、また涙が零れていく。




 ふと、葉月の瞼が動いた気がした。




「葉月……?」


 ゆっくり、瞼が上がっていく。

 でも少し開けただけ。


 ガタガタッと一花ちゃんとレイラちゃんが勢いよく立ち上がる。そのせいか、椅子が転がる音が聞こえた。


「……一花、優一さんを呼んできますわ」

「早すぎる……まだ30分も経ってないのに……」


 どこか緊張感に包まれた空気が部屋に漂った。レイラちゃんが病室を出ていく音がして、一花ちゃんが慎重そうに横に立っている。


 でも私は、葉月から目を逸らさなかった。

 葉月はそれ以上目を開けずに、ただ虚ろな目で私を見上げてくる。


「花音……葉月から離れろ……」

「葉月っち……」


 一花ちゃんの雰囲気に圧倒されたのか、舞は少し怯えたような声を出していた。


 一花ちゃん。私、離れないよ。


「葉月……聞こえる……?」

「花音っ!」


 いきなりの一花ちゃんの怒声。

 分かってる。

 葉月は今、誰かれ構わず攻撃するんだよね?


 そっと両手で包み込むように葉月の頬を撫でた。

 目元が緩んでいるように見える。


「……葉月……分かる?」

「……%$##&…………」


 小さく、知らない言葉を葉月が呟いた。

 どこの……言葉……?


 言ってる言葉は分からなかったけど、


 でもとても優しく聞こえた。


 葉月はふんわりと微笑む。

 優しい瞳で、ただ微笑む。


 ああ、なんだ。

 ちゃんと葉月はここにいるよ。


 嬉しくなって、私の口元も緩んだ。


 すっと、葉月の瞼がまた下りていく。

 コツンと葉月の額に合わせて、私も目を瞑った。


 手に葉月の頬の暖かさを感じる。


「……一花ちゃん」

「…………」


 一花ちゃんからの返事はない。

 でも、一花ちゃん。


「葉月……ちゃんといるよ」


 ここに、いるよ。

 温かさを感じる。

 優しさを感じる。


 葉月は、おかしくなってないよ。


 静かに目を開けた。

 目の前にはまた眠りについた葉月の寝顔。


 葉月は……ちゃんと正気に戻る。

 だって、あんな風に笑えるから。


 顔を上げて、どこか茫然とした一花ちゃんを見上げる。


「…………葉月は、大丈夫だよ」


 私がそう言うと、一花ちゃんはどこか嬉しそうに、困ったように笑っていた。


「――そう、願ってる」


 大丈夫。

 きっと大丈夫。

 葉月はまだ夢の中。


 一花ちゃんのいる現実を見れば、

 きっと正気に戻ってくれる。


「そ、そうだよ! 一花、そんな諦めなくていいって! 葉月っちのはいわば病気みたいなもんでしょ! 前だって葉月っち、正気に戻ったんでしょ!? だったら大丈夫だって!」


 途端に明るい舞の声が、さっきまでの部屋に漂っていた緊張感を吹き飛ばしてくれた。


 バタバタと病室の外から足音が聞こえてきて、入ってきたのは看護師さん何人かと焦っている様子の先生だった。眠っている葉月を見て、ホッと息を吐いている。


 その日の面会は終わりになった。いつ目が覚めて暴れるかが分からないから。


 ただ、病院を離れる時、一花ちゃんは約束してくれた。また会いに来る時は事前に連絡を入れろと。


 それは、また会いにきてもいいってことだよね。


 葉月が眠っている時になるだろうけど、それで今はいい。

 少しでも、葉月に会いたいから。


 一花ちゃんは、これからずっと葉月の傍で24時間過ごすことになるらしい。いつでも葉月の自害行動を止められるようにと言っていた。前に葉月がおかしくなった時も、そうしていたからとも。


 一花ちゃんのその献身ぶりは、やっぱり過保護だと、舞がついそう愚痴を零していた。


 でもね、舞。

 一花ちゃんの話を聞いて思ったの。


「一花ちゃんと葉月は……お互い唯一無二の存在なんだよ」

「……そうかもしれないけどさ」


 お互いが違う世界の記憶を持っている。

 さっきの葉月が分からない言葉を話した時に、それが少しだけわかった気がした。


 一花ちゃんは、聞き取れたらしい。




『……あったかい、だな。大方、前世の記憶だろう。前にも同じことを言ってたからな』




 葉月にとって、前世はあたたかい記憶なのかな?

 いつか、葉月の口から聞けるといいな。


 夢の中で、今、葉月は生きている。

 現実も夢もどっちか分からなくなっている。


 それは一花ちゃんもきっと同じで、だから葉月のことを失いたくないのかなとも思う。


 葉月を失ったら、一花ちゃんにとっても、こっちが現実であるということを実感できなくなるのかもしれない。



 早く、葉月が現実だって思ってくれればいいなと、



 心の底からそう思った。


お読み下さり、ありがとうございます。

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