221話 遅くなった —花音Side
「……やっぱりおかしいよ。一花も戻ってこないなんて」
「……うん」
宝月さんに誘拐され、葉月が彼女に刺されてから1週間。
教室で、舞が沈んだ声でそう漏らす。
あの日。私と舞はレイラちゃんに無理やり車に乗せられた。運転手は葉月に蹴り飛ばされていたお姉さんだった。
病院に連れていかれて、一通り検査させられた。私とレイラちゃんは睡眠薬を飲まされたみたいだったけど、怪我は何一つしていない。
会長も一緒に病院に運ばれた。病院で目が覚めたらしい。あとで何故か謝ってきた。
だけど私は、葉月の状態が気になって、ずっと手術室の前で待っていた。
あの時の、
先生に対する一花ちゃんの言葉が忘れられない。
『…………堕ちた』
先生は一花ちゃんのその言葉に、一層厳しい表情になっていた。
葉月の手術は成功した。
一命は取り留めたと、一花ちゃんのお姉さんが言っていた。
葉月はちゃんと生きている。
だけど、一花ちゃんのその「堕ちた」という言葉が、どうにも不安を駆り立たせた。
手術が成功したと聞かされて、私と舞は無理やり寮に帰らせられた。一花ちゃんは葉月の血で顔も眼鏡も服も汚したまま、大人たちと一緒にどこかに行ってしまって、それから1回も寮に帰ってきていない。
次の日、東海林先輩たちに水族館であったことを報告すると、皆が驚いていた。
それはそうだよね、元々この学園に通っていた子が私とレイラちゃん、会長を誘拐して、しかも葉月のことを刺してしまったんだから。
だけど、そのことがニュースに流れたりはしなかった。鴻城の権限を持っていると言っていたから、一花ちゃんが何かをしたのかもしれない。警察の人たちが話を聞きに来ることもなかった。
放課後、舞と一緒に病院に行こうとして、レイラちゃんが止めに来た。
今は病院に行かせることは出来ないと。
舞も怪訝そうにレイラちゃんを見ていたよ。
けれど、レイラちゃんはただ首を振るばかり。もし病院に行くのなら、無理やりにでも止めると言ってきた。今は一花ちゃんからの連絡を待ってほしいと。
一気に不安になった。
葉月に何かあったのかって思ったから。
容体が急変したとか。
でも、そうではないらしい。
病院にやっぱり行こうとした私と舞を、レイラちゃんは本当に力尽くで止めに来た。周りに大人たちを引き連れて。見たことある人達だった。水族館に来てくれた、鴻城の人たちだ。
それを見て、私と舞は病院に無理やり行くのを断念するしかなかった。
そして1週間。
結局一花ちゃんからは何も連絡が来ていない。
レイラちゃんは校門前で、あの鴻城の人たちを周りに置いて、毎日私と舞が病院に行かないように見張るようになった。
「レイラもさ、何で詳細教えてくれないんだろ」
「うん……」
「葉月っち、手術成功したって言ってたのに。なんでお見舞い行っちゃいけないわけ?」
「うん……」
「あの時の葉月っちの様子もおかしすぎだし、説明も何もしてくれないし」
「うん…………」
舞の心配も分かる。愚痴になるのも分かる。
だけど、曖昧な返事しか出来ないよ。
ふうと息をついて、肘を机に置いて額を手に乗せた。
大丈夫。
葉月は大丈夫。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。
そうしないと、不安に押し潰されそうになるから。
だって、あの笑い声が耳に残っているの。
最近、また葉月のあの夢を見るようになっている。
魘されて、舞に起こされるようになった。
一目でいい。
葉月の顔が見たいよ。
□ □ □
「どういうことですか!? 一花と葉月っちの休学って!!?」
「……東雲さんから聞いていないの?」
放課後、生徒会室に行ったら、東海林先輩が深刻そうに何かの書類を見ていた。
何を見ているのかなと思ったら、舞が気になったのかその書類を横から覗いて、血相を変えて問いただしている。東海林先輩は驚いたように、私と舞を見上げてきた。
聞いてない。
そんなの何も聞いていない。
一花ちゃん、どういうこと?
葉月に何かあったの?
「さっき、円城さんが持ってきたのよ。もう学園長の印も押されてるから、覆せないわね」
「一花が持ってきたんじゃないんですか?!」
「……東雲さんから電話で連絡きたのよ。円城さんがこの書類持ってくるからって」
ふうと、東海林先輩は困ったようにソファに体を沈み込ませている。舞は悔しそうに顔を歪ませていた。レイラちゃん、そんなの何も言ってなかったのに。
「理由は……? 一花、なんて言ってたんですか?」
「……休養だそうよ。小鳥遊さんの怪我が思ったより長引きそうだからって。詳しく聞こうとしたら、謝られて切られたわ」
「何さ、それ……あたしと花音には何も言ってこないし」
言われなかったことに、舞は少し悲しそうにしている。
そうだね……何も言われないのは悲しいよね。
一体、何があったの、一花ちゃん……。
いきなりの休学届け。
前に怪我した時はこんなことしなかったのに。
葉月に何かが起こっている。
「ダメだ……一花、電話出ない……」
隣の舞が電話をギュッと握り、画面を見ながら呟いた。
1週間、ずっとそう。一花ちゃんに電話が繋がらない。
「今は何も分からないわけね。全く……本当、あの2人には困らせられるわね」
寂しそうな東海林先輩の声が、生徒会室に響いていく。
先輩の、「もっと頼ればいいのに……」という呟きが、
とても胸に沁み込んできた。
何も分からないまま、結局病院には行けず、さらに1週間が過ぎた。
バレンタインも過ぎて、どうしようもない虚無感のまま毎日が過ぎていく。
ユカリちゃんもナツキちゃんも、私と舞が元気ないからか心配そうにしている。ユカリちゃんはチョコのことを聞いてきた。葉月にあげるつもりだって知ってたから。
でも、そのチョコも渡せず、告白もできないまま。葉月が今どんな状態なのかも分からない。怪我がどうなったのか、意識は戻っているのか、それも分からない。
今頃、本当は葉月に告白して、葉月は予想外のことを言われて、あたふたしているはずだったんだけどな。
一花ちゃんに繋がらないから、先生の方に連絡してみた。だけど、こっちも駄目だった。カウンセリングの予約という体で連絡しても、受付のお姉さんから返ってくる返事は「あとで連絡します」という言葉。
「あのさ……」
「何ですの、舞?」
「そうじゃなくて、何でレイラが毎日ここにくるのさ!?」
「いいじゃありませんの。ほら、それ食べないならわたくしが貰いますわよ?」
レイラちゃんが舞のおかずを取ろうとして、舞が慌ててそのお皿を避けていた。
レイラちゃんは毎日寮にご飯を食べにやってくる。
生徒会が終わった私たちを待っていて、寮まで送り、そしてご飯を食べて帰る。病院に行かせないためだと思うけど。
「レイラ、いい加減どうなってるのか教えなよ。休学って何? 葉月っちの容体は?」
「何度も言いますけど、葉月の命に別状はありませんわ。休学は療養に長引きそうだから。後は一花からの連絡待ちです」
レイラちゃんの答えは変わらない。モグモグと素知らぬ顔でご飯を食べている。毎日、毎回のこの返事に、舞がジト目でレイラちゃんを見ていた。
「ほら、花音もちゃんと食べなさいな。食べないと元気も出ませんわよ」
そう言って、私と舞にご飯を食べるよう促してくる。これは心配しているからだと思うけど、私と舞の様子を見ているのかもしれない。ちゃんとご飯を食べているのか、眠っているのか。葉月のあんな場面を見てしまったから。
ご飯を食べ終わって、レイラちゃんは帰っていく。明日の夕飯のリクエストをして。
「ハア……お風呂入って寝よっか」
「そうだね……」
レイラちゃんを見送って、舞は疲れたようにグーっと背中を伸ばしていた。やるせない気持ちにいっぱいになってるのが分かる。
レイラちゃんを問い詰めても変わらない答えが返ってくるから、舞は最近諦めたような表情をするようになった。
ベッドに入り、サイドテーブルの電気を消す。「おやすみ」と、舞の力ない声が届いてきた。
舞は魘されることは無い。魘されているのを聞いたことがない。少し羨ましい。心配だけど、あの血塗れの葉月が夢に出てくることはないらしい。
今日もレイラちゃんは言っていた。
葉月の命に別状はないと言っていた。
実はその言葉は少し安心する。
今日も葉月はちゃんと生きているって思えるから。
舞は、葉月が過去に何度も自殺未遂をしているのを知らない。
あの時の葉月が、死のうとしていたことなんて分からない。
だけど、あの時ハッキリ分かってしまった。
葉月は死のうとしている。
今でも死ぬことを望んでいる。
あの笑い声が思い出される。
喜んでいた。
死ねるって分かって喜んでいた。
ギュッと胸が苦しくなる。
先生が冬休みに言っていたのは、このことだったのかもしれない。
結局、葉月がどうして死にたいのか分かっていない。
過去を聞いた時は狂っているって言われた。
でも、それが理由になんてならないよ。
葉月、あなたはどうして死にたいの?
生きるのが嫌なの?
あなたが死にたいと思う理由は何……?
分からない答えを考えながら、今日も眠りに落ちていく。
そしてまた、夢を見る。
その日の夢は、血塗れの葉月じゃなく、泣いているあの女の子だった。
□ □ □
…………あれ?
暖かい。
ふと何かの温もりを頭に感じた。
これは誰かの手……?
そっと重い瞼を開けていく。
視界に入ってきたその顔を見て、一気に思考がハッキリした。
「……一花ちゃん?」
「…………すまない。遅くなった」
そこには苦く笑う一花ちゃん。
思わずバッと体を起こしてしまう。……夢、じゃない。一花ちゃんは立ち上がって、疲れた感じで苦笑して見下ろしてきた。
「えっ!? いいい一花っ!?」
向かいのベッドで舞も起きたのか、前のめりになりながら一花ちゃんの方を見ている。一花ちゃんはそんな舞にも顔を向けて、「ベッドから落ちるぞ?」と注意していた。その注意も虚しく「うわっ!」と舞はベッドから落ちてしまったけど。
カーテンからは朝日が零れている。もう朝だ。
でも、一花ちゃん、どうやってこの部屋に? 鍵掛かってたはずなのに。
ううん、それよりも。
「い、一花ちゃん。葉月は……? 葉月の容体は……?」
「……レイラから聞いてるだろ? 命に別状はない」
本当に? 本当にそうなの?
じゃあ、どうしてそんな暗い顔をしているの?
一花ちゃんの顔は暗い。
そしてどこか悲しそうだった。
私と舞をゆっくり見渡して、ホッとするように息をついている。
「…………レイラから聞いてはいたが、2人とも大丈夫そうだな」
「何が大丈夫なのさ!? 全然連絡つかないし! 心配してたんだよ!?」
「それに関しては悪いと思っている。こっちも宝月の件もあったから、大分忙しくてな」
「宝月さん?」
そういえば、宝月さんはどうなったんだろう? 葉月の容体のことばかりで、そっちのこと忘れてた。一花ちゃんは、腕時計を見ていた。
「……悪いな。もうあたしも戻らないといけない。今日はお前たちの様子を見に来ただけなんだ」
「は!? ちょちょちょっと、ちゃんと説明しなよ! 気になることだらけなんだってば!」
踵を返してドアに向かおうとした一花ちゃんに、舞が飛びついた。腰にしがみついている。
舞、朝から元気だな、とあまりの舞のその素早さに茫然としてしまった。で、でもそうだよ。確かに舞の言うとおり。
ベッドから出て、2人に歩み寄ると、一花ちゃんは腰にまとわりついている舞と私を見てきた。
「あまり時間はないが……まあ気になるのは当然か。宝月のことも気になるだろうし、仕方ない……」
ハアと一花ちゃんは溜め息をついていた。
とりあえず、一花ちゃんを引き留めることに成功したのが嬉しかったのか、舞が目を輝かせて一花ちゃんを見上げていた。
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