174話 壊れちゃう
「ふっ……うっ……」
魘されてる花音がいる。
ベッドの上で汗を浮かべ、首を振って、苦しそうだ。
そっと額に手を置いて、ゆっくり落ち着かせるように撫でていく。
そうしてあげると、静かに表情が穏やかになる。
どんな夢を見ているのかな。
私が死ぬ夢なんだろうな。
魘されるようになって、最初は飛び起きてた。
私の名前を呼んで、いきなりガバッと起き上がる。荒い呼吸を繰り返して、ベッドの横で自分を見ている私を見て、安心したいかのように抱きついてくる。そのたびにポンポンと背中を撫でてあげる。
この状態になって、数日。
花音はよく眠れないせいか、少しやつれた。
失敗した。
やっぱり知らせるべきじゃなかった。
だけど、あの瞬間。
花音が手首のことを聞いてきた瞬間。
私の意識は“こっち側”に引っ張り込まれた。
少しならいいかと思ってしまった。
あれから、私もあまり寝ていない。
学園にいる時に薬を使って寝て、夜は完全に起きてるようにしている。
いっちゃんには気づかれてるとは思うけど、どうしようもない。
だって、いっちゃんにも舞にも、花音の今の様子が変なことは気づかれてる。
いっちゃんに「何があった」って言われるけども、待ってもらっている。花音が部屋を替える気がないからだ。毎日「嫌だから」って言われる。
何も言ってないのに、花音は抱き着いてきて、首を横に振る。
「いやだからね……葉月……」
そう言って、夜眠るまでの間、花音は離れない。
日に日に、それは強くなる。
でも花音、
これ以上はもう、
花音が壊れちゃうよ。
言わなければ良かった。
教えなければ良かった。
なんとしてでも、あの時もっと自分に言い聞かせればよかった。
いっちゃんが耐えられたから、レイラみたいにはならないかもって、そう思ってしまった。
分かってたのに。
花音は優しすぎるって、
分かってたのに。
だけど、あの時引き摺り込まれて、
優しい花音が、苦しむことになってもいいって思ってしまった。
結果を分かってたのに。
花音が知りたいならって、
花音が知りたがったって、
花音のせいにした自分があの時いた。
自分のしたことの後悔が、積み重なっていく。
花音の頭を撫でる。
だけど、きっと今も夢を見ている。
眉を寄せて、苦しそうだ。
自分がこうしてしまった。
教えたから、花音の中で恐怖が生まれた。
怪我した時以上の恐怖を芽生えさせた。
あの温もりは失われた。
今は怯えと恐怖の中に花音はいる。
私が死ぬ行動を取るかもしれない恐怖。
死んでしまうかもしれない恐怖。
私自身、それはもう止められない。
欲に塗れ、溺れ、それしか考えられなくなって、頭も体も支配されてしまう。
自分がおかしいことを自覚できない状態。
自我を失って、その行動をずっととり続ける。
だから私はずっと意識する。
自分がおかしいことを自覚し続ける。
いっちゃんに頼んで“そっち側”に引っ張ってもらう。
でも、私がいくら大丈夫だって言っても、その恐怖は拭えない。
自分が“こっち側”にいないことを伝えても、その恐怖は拭えない。
おじいちゃんも叔母さんもお兄ちゃんも先生もいっちゃんもレイラも、未だその恐怖は抱えてる。いつ狂うか分からないから、その恐怖を抱え続けている。
花音も今、そうなりつつある。
ギュッと思わずシーツを握った。
自分の認識の甘さが悔しくなる。
後悔だけが心の中を埋め尽くす。
花音の笑顔が好きだった。
見るとこっちまで笑顔になれる。
花音の温もりが好きだった。
だってすごく安心できる。
花音の香りが好きだった。
だってすごく落ち着いたから。
でも、その全てを奪ったのは自分だ。
他でもない自分だ。
花音には幸せになってもらいたい。
笑っていてほしいんだよ。
これ以上は、
花音が壊れちゃう。
私のせいで…………壊れちゃう。
「花音……」
「ん?」
いつもの夕飯後のティータイム。
たぶんそれを飲み終わったら、花音は引っついてくる。
その前に、
終わらせよう。
「部屋ね、私、舞と替えてもらうよ。もう申請受理されてるから」
花音の表情がみるみる変わっていった。
分かってる。
替わりたくないんだよね。
でもね、
これ以上は無理だよ。
花音が壊れてしまう前に、
もう自分から離れよう。
お読み下さり、ありがとうございます。




