163話 ここにいることが嬉しくて —花音Side※
「花音、こっちの食材切ればいい?」
「うん、お願い。あ、レイラちゃん。この道具使った方が皮は綺麗に剝けるから」
「これどうやって使いますの?」
ピーラーの刃の方を、危なげに手に取ろうとするレイラちゃんを慌てて止める。
今日はやっと葉月が退院してくる。朝から舞とレイラちゃんと一緒に、快気祝いの準備をしていた。
悪戦苦闘しながら、レイラちゃんがじゃがいもの皮を剥いてくれている。よかった。すっかり元気を取り戻したみたい。
実は文化祭の後、会長のお母様と一緒にいた宝月さんの父親が逮捕されてしまった。不正が発覚したらしい。メディアにも多く取り上げられた。次期総理候補の失脚だって、マスコミのいいネタにされていたよ。
彼女も父親があんなことになってしまったから、退学になってしまった。少し同情してしまう。
その子の退学で随分とレイラちゃんはショックを受けて落ち込んでたから、元気になってよかったよ。仲が良かった友達がそんなことになってしまうのは、誰だって悲しいよね。
だけどそんな中、嬉しい事もあった。
葉月が鴻城のおじいさまと連絡を取ったみたい。しかもクッキー作ってってお願いされたよ。おじいさまにお願いされたみたいだけど、これで少しでも関係が改善されればいいなと思ってしまう。
頼まれたクッキーはすぐに作って、一花ちゃんに渡した。気に入ってくれたみたいですごく嬉しかった。レシピも欲しいって言われたらしくて、すぐ紙に書いてまた一花ちゃんに渡したよ。一花ちゃんが全部鴻城のお家に送ってくれるから。
好きな人の家族の方に気に入ってもらえるお菓子を作れて、本当に良かった。私のお菓子で葉月とおじいさまが仲直りしてくれたら、こんなに嬉しいことないんだけどな。
そして今日。その葉月がやっと傷も完全に塞がって、この寮の部屋に帰ってくる。
今日は葉月を喜ばせたいから、全部好きなモノを作るつもり。オムライスもだし、クリームシチューも。あとからあげもかな。
さすがに嫌いな玉ねぎは出さないよ。泣いちゃうからね。デザートには桃のプリンを作ってあげようかなと思ってる。気合入れて作らなきゃね。
お昼過ぎから作り始めて夕方に差し掛かった頃、ガチャっとドアが開く音が聞こえた。帰ってきた。
「たっだいま~!」
扉が開いて、葉月が満面の笑顔で万歳している。
「おっかえり~! 葉月っち!」
舞が嬉しいのか葉月に抱きついていた。もう舞。私でもそんな勢いよく抱きつかないよ? というか離れようね。
その舞を剥がしながら、葉月の顔を覗き込む。
「おかえり、葉月」
私がそう言うと、葉月が嬉しそうに笑ってくれた。その顔、ずるいなぁ。
「ふん。そんな大きな声出さないでくださいな」
「……なんでレイラまでいるんだ?」
「そんな心底驚いた顔で見ないでくださいな、一花!」
内心葉月の嬉しそうな顔にドキドキしていると、一花ちゃんが葉月の後ろから出てきて、目を見開いてレイラちゃんを見ていた。
一花ちゃん、レイラちゃんもね、葉月をお祝いしたい気持ちがあったんだよ。朝からずっと手伝ってくれたからね。
ちょっと夕飯には早い時間だったけど、葉月が待ちきれないのか、テーブルの上に並べた料理をもの欲しそうに眺め出した。
「花音~! お腹空いた~!」
「ふふ。全部出来てるよ。手洗ってきて食べようか?」
「は~い!」
子供みたいに葉月が返事して、洗面所に手を洗いにいった。その後ろ姿だけでも嬉しくなる。もう重症だな、私。でも、この部屋に葉月がいることが嬉しくて仕方ないんだよ。
手を洗ってきた葉月は「いただきます!」と元気よく言って、料理を口に運び始めた。目一杯口に入れてるから頬が膨らんじゃってるよ?
そんな様子がおかしくて舞は大笑いしているし、レイラちゃんは呆れ顔。でも葉月? 料理は逃げないから、もう少しゆっくり食べようね。喉につまらせちゃうよ。そんなに私のご飯食べたいって思ってくれてたのは、嬉しすぎるけどね。
デザートも喜んでくれた。気に入ってくれたみたいで、レイラちゃんのプリンまで横取りして泣かせてたよ。こうなると思って、余分に作ってあったから良かった。
食べ終わって、ゴロンとそのまま床に寝ころぶ葉月。それを見て舞が笑っている。
「いや~、その葉月っちのゴロゴロ見てるとホッとするわ~」
「ん~? そう~?」
「おい、舞。そこはホッとするところじゃないぞ」
「そうですわよ。だらしがないではありませんか」
「そうなんだけどさ。でもこれこそ葉月っちって感じじゃん。やっと日常が帰ってきたって感じがしてさ! あたしは嬉しいよ!」
……うん、分かる。
やっと日常が帰ってきた感じ。
葉月がいて、皆でご飯食べて、お喋りして。
葉月が入院するまではこれが普通だった。
皆にお茶を淹れてあげる。それを飲んでまた皆でのんびり。時々葉月がレイラちゃんをからかって、レイラちゃんが泣きそうになってた。舞がそれを止めて、一花ちゃんは知らん顔。
その光景が、とても嬉しくて、葉月がそこで笑っているのが、私の心をあったかくするんだよ。
ずっと、
この暖かさを待っていたの。
□ □ □
レイラちゃんが帰って、舞と一花ちゃんも部屋に戻っていった。
久しぶりに葉月とこの部屋での2人きり。
お風呂から上がって髪を乾かしてから戻ると、やっぱり葉月は髪を乾かしていなくて、ベッドの上でゴロゴロしていた。だからドライヤーを持ってきて正解。
自分のベッドに座ってから、近くの電源にコンセントを入れて、葉月を呼んでみる。
「葉月、髪乾かすからおいで?」
呼ばれた葉月は「ん?」とこっちを見て、ベッドから降りて、四つん這いでトテトテとやってきた。私の手前でクルンと回って頭を突き出してくる。思わずクスクス笑ってしまう。
髪を乾かして、ちゃんと櫛で梳かしてあげた。柔らかくて細い髪。触っていて心地いいんだよね。
「はい、終わり」
「んー、ありがとー」
またトテトテと自分のベッドに戻ろうとする葉月。
まだ離れてほしくない。
……行かないで?
「あの……葉月?」
思わず呼び止めてしまったら「ん~?」と止まって振り向いてくれた。
あ、どうしよう……何も言う事決めてなかった。
言葉が出てこなくてつい黙ってしまうと、葉月もきょとんとした様子で首を傾げてくる。そ、そうだよね。訳が分からないよね。
「花音~な~に?」
どうしよう……もう少し傍にいたいって言っていいかな。でもそれだと告白みたいかな? 変に思う?
いや、でも……まだ葉月がここにいることをちゃんと実感したい。
……一緒に寝るとか?
それだと葉月を抱きしめられるし。
けど葉月……一緒に寝るの嫌がるかな?
「えっと……」
「ん~?」
頼もうかどうしようか悩んで、言葉が詰まってしまう。
いや、うん。
きっと葉月なら、何も考えずにいいよって言ってくれる気もする。
伝えようと思って顔を上げて葉月をまっすぐ見たら、何故かピンと背筋を伸ばしてきた。
「今日、その……一緒に寝ない?」
思い切って言うと、予想外だったのか、目を丸くさせて何回もパチパチとさせている。驚いている感じ。
だめかな?
やっぱり嫌かな?
何回か一緒に寝たことはあるし、嫌とは言わないと思うけど。
何かを考え出したのか、葉月は斜め上を見始めた。
迷ってる……?
その反応が不安になって、ついベッドから降りて葉月に近寄った。
「だめ……かな?」
下から覗き込むと、戸惑っている様子で見下ろしてきた。それは嫌な反応? どっち?
「別にいいよ~?」
ジッと見ていたら、葉月はあっさりと了解した。
良かった。じゃあ嫌だとは思ってないってことだよね。
安心して笑みが零れる。葉月は何かをまた考えてる様子だったけど、でもすぐに自分のベッドの上に登っていった。もう後は寝るだけだものね。
「花音、奥いく~?」
「どっちでもいいよ」
私がそう言うと、葉月はいそいそと奥に詰めてくれた。セミダブルに2人で寝ると少し狭いけど、十分寝れる。
少し緊張しながら、私も布団の中に入った。
葉月の香りだ。
嬉しくなって、葉月にさらに近づいて腕に抱きついた。すると葉月が体を横向きになって、こっちを見てくる。
すぐ目の前に綺麗な顔があるから、自然と心臓が跳ね上がった。この顔、本当心臓に悪いなぁ。
いつもハグしてるけど、いつもより近くにいる気がした。
そっと葉月の背中に腕を回して、抱きしめる。
あったかい。
ドクンドクンと葉月の心臓の鼓動が伝わってくるのがまた嬉しい。
昨日までここにいなかったから。
ちゃんと今、ここにいるんだって実感できるから。
葉月も私の背中に腕を回してくれた。
抱きしめ返してくれて、胸の奥が熱くなる。
いつもより、葉月を近くに感じる気がする。
もっとギュってしてほしいな。
さっきより体を密着させて、葉月の首元に顔を埋めた。
いい香り。落ち着く香り。
温もりと香りに包まれて、そこで初めて安心できた。
帰ってきてくれたことが、実感できた。
「葉月……」
「ん~?」
「おかえりなさい……」
心の底から、そう思った。
「……ただいま」
いつもより近い葉月の声。
葉月もそう思ってくれているのかな?
帰ってこれたって思ってくれてるのかな?
ここが葉月の帰る場所になってくれてたかな?
もういなくなってほしくなくて、
離したくなくて、
腕に力を込めてしまう。
ギュッと強く抱きしめてしまう。
もっと葉月の心臓の鼓動を感じていたいから。
しばらくすると、背中に回されていた葉月の手が緩むのがわかった。そうだった。ハグすると葉月は寝ちゃうものね。
「葉月……寝たの?」
声を掛けてみると、やっぱり返答はない。少し体を起こして、葉月の顔を見下ろしてみた。ああ、やっぱりもう寝てる。瞼が完全に閉じていた。
そっと葉月の背中に回していた手を、頬に触れさせてみた。
「……葉月」
あの時の青褪めた顔じゃない。血色がいい。綺麗であどけない可愛い寝顔。
「もう……だめだよ……」
だめだよ。
いなくならないで?
この部屋から、いなくならないで?
寂しかった。
淋しかった。
葉月がいない夜なんて、もう考えられない。
考えたくない。
柔らかい頬に触れる。
唇から吐息が零れて、私の指にもかかってきた。
久しぶりにこんな近くで見たからか、さっきから心臓はうるさいまま。つい邪な考えが浮かんできてしまう。
この唇に触れたら、どうなるんだろう?
柔らかそうな唇に、自然と視線がいってしまう。
いつか誰かが、この唇に触れるのかな?
興味本位で、そっと起こさないように指で触れてみた。
う……わ……。
あまりの柔らかさにゾクッと背筋が震えてしまう。さらに胸の奥がギュッと締め付けられて、早鐘のように鼓動を打ってきた。顔がさらに熱くなるのも感じる。
「う……ん……」
途端に葉月が口をモゴモゴさせ始めた。起きてバレたんじゃないかって思って、慌ててどける。あ、起きたわけじゃないみたい。寝ているもの。
何、やってるんだろう、私は。これじゃあセクハラだよ。
少し冷静になって、また葉月の首元に顔を埋めてから抱きしめた。
だけど、やっぱりさっきの唇の柔らかさの余韻が指に残ってる。ドキドキと落ち着かない。
キス……だと自分の唇が触れるんだよね、あの唇に。
どうなるんだろう。
指でこれだけ心臓壊れそうなのに。
そんな私をよそに、葉月の腕の力が強くなった。
無意識!?
無意識っぽい。寝息が聞こえてくるもの。
まるで抱き枕を抱えているかのように私を抱きしめてくる。
嬉しいけど。
嬉しいけどっ!
葉月の腕の中でハアと息をついた。
少し見上げると、それはもう可愛い寝顔の葉月がいる。
これ、無自覚だよね。
何、その無防備な寝顔。
可愛すぎる。
全く私を意識してないのが分かって少しショックだけど、まあ、それは今に始まったことじゃないものね。
だけど、少しだけ。
ほんの少しだけでも痕を残したいって思ってしまった。
気づいてほしい、私の気持ちに。
だけど気づかないでほしい、そばにいたいから。
相反する気持ちに振り回されてしまう。
可愛い寝顔を見るのをやめて、視線を下に移す。
……移さなきゃ良かった。
見えてくるのは葉月の綺麗な鎖骨。襟元が乱れて見えちゃってる。
ああ、もう。
触れてみたい。
すっかり痴女じゃない、これじゃあ。
だけど触れてみたい欲が止まらない。好奇心が沸き上がる。
そっと顔をその鎖骨に近づけてしまった。
起きない……よね?
それに葉月……気づかなそう。
心臓をバクバクさせつつ、
触れてみたい衝動に、私は負けてしまった。
次の日の朝、くっきり葉月の鎖骨に自分がしでかした痕が残っており、感触を思い出して蹲ってしまった。そんな私を心配そうに見てくる葉月に本当に申し訳なくて、自己嫌悪に陥ってしまったのは言うまでもない。
自分の理性が、こんな脆いものだったなんて……知らなかった。
しかも、心配してくる葉月にまた嬉しくなってる自分がいる。
どうか、どうか私の理性……これから働きますように。
と、全く私のしたことに気づいていない葉月を見て、心の底からそう願った。
お読み下さり、ありがとうございます。




