158話 隣にいるのは私がいいな —花音Side※
「ごめんね、一花ちゃん。いつもご馳走になっちゃって」
「気にするな。いつもご馳走になってるのはこっちだからな」
ファミリーレストランから出てきて、一花ちゃんにお礼を言った。
文化祭が終わって、今は病院に向かう途中。遅くなっちゃったけど、葉月に会いたいから。一花ちゃんも何もしてないか確認しに向かうって言ったから、私も一緒に行くって我儘を言っちゃった。
だけどさすがにお腹が空いたから、途中でこのファミリーレストランに入った。一花ちゃんのことだから高価なレストランに入るのかと思ったら違ったよ。多分、私への気遣いだと思うけど。
舞は寮に帰った。さすがに疲れたみたい。1日色々なところ回ってたものね。目一杯楽しんだみたいだから良かったよ。葉月のことで自分にも責任があるって落ち込んでたから、少しはリフレッシュできたかな。
私も学園から出た時はさすがに息をついた。会長のお母様との一件の後も、来賓の方々は来るからね。
その一部始終を見ていた来賓の人たちには妙に畏まられてしまった。一花ちゃんのお母様があんなことを大勢の前で言ったから当然かもしれないけど、私自身には人の家に何かをする力なんてありませんよ。
一花ちゃんのお母様は何故か私のお母さんに会いたがっていたよ。どこがそんなに琴線に触れたのだろうか。そしてお母さんは一体、如月さんに何をしたのだろうか。あとで聞いてみよう。教えてくれればいいけどな。
病院に着くと、一花ちゃんのお姉さんにばったり出くわして、そのまま一花ちゃんを連れ去ってしまった。ごめん、一花ちゃん。助けられない。「離せぇぇ!!」と静かになっている病院に一花ちゃんの叫び声が響いていく。この光景、慣れてきちゃったな……。
お姉さんが飽きたら一花ちゃんは来るだろうと思って、先に病室に足を運ぶ。あれ、扉開いてる?
音を出さないように開けると、ベッドの横に意外な人が立っていた。私に気づいて、深々とお辞儀してくる。
「お久しぶりです。花音様」
「メイド長さん。お久しぶりです」
鴻城のお家のメイド長さんだ。夏休みにあのハーブティーを届けに来てくれた以来だ。来てたんだ。葉月の様子を見に来たのかな。
「葉月は?」
「お眠りになられていますよ」
メイド長さんの言うとおり、葉月はスウっと息をしながらベッドの中で眠っていた。
……久しぶりに見たかも、葉月の寝顔。入院してから、起きてる葉月にしか会ってなかった。
「はて? 一花お嬢様はご一緒では?」
「一花ちゃんなら後で来ますよ。今はお姉さんのところで」
「なるほど」と、どこか納得したかのようにメイド長さんは、1人うんうんと頷いている。メイド長さんも、お姉さんが一花ちゃんのこと大好きなのを知ってるのかな。
「では、私はこれで失礼します」
「え?」
頷いていたメイド長さんが顔を上げたと思ったら、そんなことを言いだした。帰るってこと?
不思議に思っていると、メイド長さんが優しい眼差しで寝ている葉月を見下ろしている。
「一花お嬢様が来るまでという約束でしたので」
そうだったんだ。そんな約束までするなんて、余程鴻城の人たちに関わりたくないのかな……。
「実は葉月お嬢様は、今日はお昼からずっと眠っていまして、まだお食事をされていません」
「え、そうなんですか?」
「はい。なので、起きたら看護師に言ってください。そうすればお食事を持ってくるはずですので」
寝ている葉月の頭を一撫でしてから、メイド長さんはあっという間に静かに病室を出ていった。「何かあればすぐ連絡ください」って出ていく前に言っていたけど。
メイド長さんが出て行ってしまって、病室の中がシンと静まり返る。
私もベッドに腰を掛けて、寝ている葉月の顔を覗き込んだ。
そっと頭に手を置いて、細くて柔らかい髪を梳くように撫でてみる。気持ちよさそうに寝ているなぁ。
スッと疲れていた体が楽になった気がした。
可愛い寝顔。
嬉しくなる。
癒される。
ずっと見ていたくなる。
それにしても、ずっと寝ていたの? 何か疲れるようなことしたのかな?
「んっ……」
しばらく頭を撫でながら寝顔を見ていたら、眉を顰めた。起こしちゃったかな?
案の定、ゆっくり葉月の目が開いて、私を見上げてきた。
「ごめん……起こしちゃったね」
「ん~……」
ぼんやりした様子が可愛い。そのまま頭を撫でてあげていたら、私の手にスリスリと擦りつけてくる。か、可愛い。本当、それ可愛すぎるから。
「いっちゃんは……?」
「それが……またお姉さんに捕まって」
擦れた声で聞いてくるのは、やっぱり一花ちゃんのこと。そしてお姉さんのことを伝えると、納得したのかゆっくりと目を瞬いていた。
メイド長さんのことと舞のことも聞いてくるから答えてあげる。本当にずっと寝てたんだなぁ。
「……文化祭どうだった~?」
色々あったけど、うん、楽しかったかも。午後の少しの間は、私もユカリちゃんたち皆と一緒に見て回ったしね。皆も楽しそうにしてたから良かった。
「成功……かな。皆喜んでくれたみたい」
「そっか~、よかったね~……」
「来年は葉月も一緒に楽しもうね」
来年は皆と葉月と一緒に回りたいな。今回経験して勝手がわかったから、来年はもっと楽に文化祭の準備とかも出来ると思うし。
葉月はまだ寝ぼけているのか答えなかった。けどすぐにまだ擦れている声で、「喉乾いた」って訴えてくる。そっか。ずっと寝てたから水分も取ってないってことになるか。
水でいいって言うから、コップに水を注いであげて渡してあげた。きっとこの水差しの水も、メイド長さんが用意してくれたものだろうな。
飲み終わったコップを受け取ると、窓の外を眺めだして、首を傾げていた。そういえば、葉月はまだご飯食べてないんだよね?
「ご飯まだなんだよね? 帰るときにメイド長さんが言ってたよ。看護師さんに言えば持ってきてくれるって、食べる?」
「ん? ん~……」
自分のお腹に手を当てて、何故か黙ってしまった。しかもこちらをチラッと見てくる。どうしたんだろう? お腹空いてるよね? お昼から食べてないって言ってたし。
首を傾げてつい葉月を見続けてしまったら、「食べる……」と小声で言ってきた。やっぱり空いてるんだね。
看護師さんに頼みにいったら、すぐに持ってきてくれた。ベッドの方じゃなくてソファとテーブルの方に葉月が頼んでいる。いつ見ても、葉月に出される病院食は豪華だなぁ。
葉月の隣に座って、テーブルの上の食事を眺めていたら、ツンツンと葉月は箸でそれを突いていた。どうしたんだろう?
「食べないの、葉月?」
「……おいしくないんだもん」
そうなの? おいしそうに見えるけど。
「食べなきゃだめだよ?」
「花音のご飯以外食べたくないんだもん……」
その言葉を聞いて思わず顔が熱くなった。
不意打ちすぎる。何、その嬉しい言葉。今すぐ作ってきてあげたいんだけど。もうどうしよう。今すぐ抱きつきたい。
たまらなくて思わず顔を両手で覆った。どうしよう……久々にこんな心臓張り裂けそう。さっきから動悸が止まらないんだけど。何でこんなに嬉しくなる言葉言っちゃうかな。
ハアと密かに深呼吸してやっと顔を上げた。まだ不機嫌そうにご飯をつついてる。
そんなに私のご飯食べたいって思ってくれているの? と嬉しくなるけど、折角作ってもらったものだし、葉月の体調考えての献立のはずだから、ちゃんと食べてもらわないとね。
葉月が持っている箸を取ったら、きょとんとした顔を向けてきた。
「ご飯は退院したら、ちゃんと作ってあげるから。今は我慢して、ね?」
「ん~……」
「はい、あーんして。食べさせてあげるから」
箸でおかずの魚の煮つけを一口分取って、葉月の口の辺りまで運んであげたら、仕方なさそうに口を開けてくれた。
こうやって食べさせるのも中々楽しい。葉月が入院してから、たまにこうやって食べさせてあげている。私が出したものを口に入れて食べる姿が可愛いんだよね。
モグモグして飲み込んでから、また口をパカっと開けてこっちに向けてくれる。この瞬間もまた可愛いんだよなぁ。嬉しくなって、結局全部食べさせてあげた。
食後にあのハーブティーを淹れてあげて、お腹がいっぱいになったのか、いつもの安心したような顔でゆっくりそれを飲み込んでいる。
「花音はご飯食べたの~?」
「うん。ここに来る前に一花ちゃんと一緒に」
そうだ。明日は海老グラタンにしようか。今日ご馳走してくれたお礼も兼ねて、いっぱい海老を入れてあげたら、一花ちゃんも喜ぶかも。
自分にも淹れた紅茶を飲んで、明日の夕飯のことを考えていたら、葉月の手が頬に添えられてきた。突然の葉月の手に思わずそちらを見ると、心配そうに顔を覗き込んでくる。いきなりどうしたんだろう?
「どうしたの?」
「疲れてる~?」
「……ちょっとだけね。今日は色んな来賓の人たちも来たから」
バレてたみたい。心配させるつもりじゃなかったんだけどな。
紅茶が入ったカップをテーブルの上に置いてから、頬に添えられた葉月の手を握って、自分の頬にさらに押し付けた。
あったかい。
疲れた体にはこの暖かさが心地いい。
葉月の体温が一番安心する。
「今日ぐらい来なくてよかったんだよ~、花音?」
「……顔少しでも見たかったから」
一日でも葉月の顔を見ないとか、不安になるよ。私を心配して、そう言ってくれるのはありがたいけどね。
頬に添えられた手を握って膝の方に降ろしてから、体を葉月の方に寄せて頭を肩の上に置いた。甘えたくなっちゃった。
スリッと肩に擦りつけるように動かすと、葉月がもう片方の手を頭に置いて撫でてくれる。ホッとして、体重も葉月に預けて寄り掛かった。
「いっちゃん来たら帰りなよ~花音。今日は勉強しないで休んだ方がいいよ~?」
「うん……でも……もう少しだけ……」
もう少しだけ、甘えさせて?
一番安心する場所だから。
この温もりをもっと感じたいから。
ゆっくりと頭を撫でてくれる葉月の手が心地いい。疲れている体に、その温もりが染みこんでくるみたい。
ふと、昼間の会長のお母様の言葉が思い出された。
婚約者の話。
葉月の温もりに癒されながら、昼間のその出来事を話したら、葉月の手が止まってしまった。これは葉月を婚約者にさせたがっていたっていう会長のお母様のことを、全く知らなかったんだね。
私がつい言い返したって言ったら、また手が止まってたけど。そんなに意外だった?
「……葉月も……いつか無理やり結婚させられるのかな?」
つい、不安に思っていたことを口に出したら、「それはないけど?」と即答された。え、そうなの?
「……そうなの?」
「そうだね。ありえないかな~」
「……でも……鴻城って名家でしょ?」
「カイお兄ちゃんが鴻城継ぐからね~。私は関係ないかな~」
「そう……なんだ……」
如月さんが継ぐんだ。そっか。そっかぁ。
葉月が誰かと結婚するとか婚約とか、家にそうされるとか……ないんだぁ。
思った以上にその事実が嬉しくなった。
だって嫌だった。
葉月の隣にいるのが私以外とか。
この温もりを感じるのが私じゃない人だとか。
そう考えるだけで嫌だった。
今日一番安心したかもしれない。ホッとして、また葉月の肩に頭を置いた。そうしたら、また葉月が撫でてくれた。
目を閉じて、もう片方の私と握ってくれている手をさらにギュッと握りしめる。
ずっとこうしていたいな。
これから先もずっと。
こうやって葉月の隣にいて、葉月の温もりを感じたい。
葉月。
葉月の隣にいるのは、
ずっと私でいたいよ。
その安心させてくれる温もりを味わってたら、葉月が「ふっふ~」と笑い始めた。目を開けてすぐ近くにある顔を見上げると、何か企んでいる顔をしている。そういえば婚約者のこと聞いてきたよね。
「葉月? 今、何か変な事考えてない?」
そう聞くとニコニコした顔で見下ろしてきた。うん。これ、何かするときの顔だ。
「そんなことないよ~、花音」
何をする気かな?
だめだよ、危ないことは。
でも、楽しそうな葉月を見るのは久しぶりだったから何も言えなかった。一応、一花ちゃんに相談してみようか?
その後、病室の扉を破って一花ちゃんとお姉さんが中に突っ込んできた様子を見て、無理だなと思ってしまったよ。お姉さんから逃げようとしているけど、完全に抱きつかれて逃げられないみたいだし。顔中キスマークだらけだし。
その後お兄さんがやってきて、一花ちゃんはやっとお姉さんから解放された。すっかり疲れ切った一花ちゃんに同情したのか、葉月がポンポンと一花ちゃんの頭を撫でている。私もたまらず肩に手を置いちゃったよ。
「やめろ、同情するなっ!!? 余計疲れるわっ!」
「いっちゃん……お疲れ……」
「心底哀れむなっ!? 一番腹立つわ!!」
「一花ちゃん、ハーブティー飲む? あとこれ、タオル濡らしてきたから」
「花音までやめろ!?」
と、言いつつ、一花ちゃんはタオルを受け取って顔をゴシゴシ擦ってたけど。
お姉さんの愛情……過激になっている気がするのは気のせいかなぁ?
お読み下さり、ありがとうございます。




