第23話 恐妻家国貞氏の真実
金曜日の放課後、僕は国貞淑子を自宅まで送って行ったが、結局は前日の屋敷美禰子の場合と同様、家の中にまで案内されることとなった。
僕と国貞は、彼女の母が店番をしなくてはいけないので、ふたりきりで茶の間で一服していた。
国貞は、先ほどからえらく機嫌がいいようで、ニコニコしながら話しかけてくる。
「そういえば相賀くん、きょうの昼休み、鬱陶しい珍客が屋上にやって来たわよね。
キモカワ…じゃなかった清河さんだったかしら。
あのひと、相賀くんは知っていたの?」
明らかに悪意に満ちた言い間違いを織りまぜながら、国貞は僕に尋ねてきた。
「いいや、初めて会ったよ。
三角スカーフの色から察するに、僕たちと同じ2年生のようだったけど、名前も顔もきょう初めて知ったよ」
「そうなの?
わたしはてっきり、彼女は相賀くんとは知り合いで、しかもあなたのことを憎からず思っている子かと思っていたわ。
わたしや屋敷さんに先を越されたので、腹いせにあんな仕打ちをしたのではないかと推測していたのだけれど……」
国貞のかなり妄想じみた発言を、僕は一言のもとに否定した。
「まさかぁ。
そんなこと、絶対ないと思うけどな。
クラスは違うし、部活などでもまるで接点のなかったひとだから、僕の情報など全然知らないと思うけど。
そんなに気になるのかい、清河さんのこと?」
国貞は、手を振って否定した。
「そ、そんなことないけど。
あんなひと、別に気にしちゃいないわ。
相賀くんが言うことを信用するなら、あなたにとって興味の対象外のようだしね。
むしろ安全牌の部類だわ、あんな堅物。
(でも、どんな小さな敵でも油断は禁物というから、早めに叩き潰しておくに越したことはないわよね……)」
最後にゴニョゴニョとえらく不穏な発言をしたみたいだが、僕の気のせいだろうか?
「とにかく、そんなに彼女のこと、敵視しなくてもいいと思うよ。
だって、いくら風紀委員の権限があると言っても、校内でしか通用しないものだし、学校を一歩離れてしまえば生徒の行動など監視しようがないからね」
「そうよ、その通りだわ。
校内でだけ慎重に行動すれば、なにも問題ないってことよね。
今のわたしたちの行動まで監視されているわけ、絶対ないものね」
「そうだよ。
もしそうだったら、怖すぎる」
「ほんとよね、フフ」
僕たちは顔を見合わせて、笑い声を上げたのだった。
僕はふと腕時計に目をやって、こう言った。
「もう4時過ぎだけど、そろそろきみのお父さんが帰って来る頃じゃないかい?」
「そうね。まもなく帰って来るはずよ」
「そうか、それはちょっと緊張するなぁ。
僕は、こうしてクラスメートの家にお邪魔して、ご両親に会うなんてこと、初めてなんだ。
どういう風に、お父さんに挨拶すればいいんだか」
「別に緊張することはないわ。
父はどちらかといえば小心で臆病、およそ頑固親父的なところがないもの。
いつも家では、気の強い母の尻に敷かれて小さくなっているのよ。
娘の男友達を、厳しく採点するようなタイプではないから安心して」
「そうなのか、きみのお父さんは?
そういうことなら、安心してお会い出来そうだな」
僕は先ほど会った、ややメイクの濃い国貞の母親の、いかにも下町のおかみさん的な口調を思い出し、恐妻家だという父親にちょっぴり同情したのだった。
そんな話をしていると、お店のほうから男女の声が騒がしく聞こえてきた。
茶の間にいても、会話内容が十分聞き取れるぐらいだ。
大きな女性の声は、もちろん先ほどの国貞母のもの。
そしてそれに比べてひ弱な男性の声は、間違いなく国貞父のものと思われた。
「まったく、どこをフラフラうろついていたのよ、あんたは。
トシコが彼氏を連れて、帰ってきたっていうのに」
いやお母さま、僕と娘さんはまだそういう関係ではありませんので。
「ごめんごめん。駅前を歩いていたら、中学のときの同級生、松ちゃんに会っちゃってさぁ。
茶店に入って、昔は良かったなあって話で盛り上がっちゃって。
ついつい時間を忘れて、長話しちゃったんだよ。
ところで、トシコにカレシってマジ?
そりゃ、事件だな。大事件だ。
いつそんなの捕まえたんだ、あの子が。
祝杯、上げなきゃな」
あの、だから、まだ捕まったわけじゃありませんって、お父さま。
彼氏だの祝杯だのと、やたらと先に先に暴走してしまうご両親の話を陰で聞いていて、当惑を禁じ得ない僕だった。
「噂をすればなんとやらで、父が帰ってきたようね。
では、一緒に行きましょ」
そう言って、国貞は僕の手を取った。
彼女に手を引かれて、僕はお店のほうへ向かったのだった。
⌘ ⌘ ⌘
「はじめまして、相賀保志雄といいます。
淑子さんとは同じクラスで、いつもお世話になってます。
よろしくお願いします」
国貞に手を繋がれたままの僕がそう挨拶した相手、国貞の父親はやせ型でいかにも線の細い、やさ男タイプのひとだった。
年の頃は、国貞の母親と同じぐらいの推定アラフォー。
おそらく、学校の同級生結婚なのだろう。
国貞父は、顔を綻ばせる。
「そうか、きみがトシコの彼氏か。
いやー、めでたいめでたい。
盆と正月が一緒に来たようだな。
母さん、きょうは赤飯も炊いたほうがいいな」
いやいや、まだ彼氏じゃありませんって。手は繋がされちゃってますけど。
それに赤飯って、別のシチュエーションのお祝いだと思うんですけど!
まぁ、それらのツッコミも今後の展開を考えるといろいろと憚られたので、口には出せなかったけどな。
仕方なく苦笑いをして、その場をやり過ごす僕だった。
「じゃあ、きょうは相賀くん歓迎の大宴会だな」
「もうあんたは、そうやって何かしら理由を見つけては毎日大宴会してるでしょ。
ちょっとはお酒を控えなさい。
見て、トシコのフィアンセが引いてるじゃない」
いつのまにか、彼氏からフィアンセにアップグレードしてません、お母さま?!
「もうお母さんたら、気が早すぎるわよ。
お父さんも、だわ。
フィアンセになってくれるかどうかは、そう、お父さん、お母さん次第なのよ。
ちょっとは気を遣ってちょうだい」
フィアンセの前段階の「彼氏」は、確定事項なのね、国貞さん。
そんな感じで挨拶を済ませた後は、国貞母が夕食の支度に入ることになった。
あとの店番は誰がやるのだろうかと見ていると、国貞がこう言った。
「お父さん、今から店番はわたしがやります。
お父さんは、相賀くんとお話ししていてください」
そう出ましたか。
国貞はまず父親に僕との親睦を深めるよう、依頼したのだった。
「おお、それは助かるな。ありがとう。
じゃあ僕は、相賀くんのお相手をさせていただこう」
そこで国貞は、思い出したかのように言った。
「そう言えば、お風呂も沸いているわよ、お父さん」
その時、ほんの一瞬だが父親に目配せをしたように見えた。
国貞父は、こう答えた。
「そうか、じゃあ、一番風呂を使ってもいいんだな」
彼は僕のほうを向くと、こう言った。
「相賀くん、よかったら夕食までの時間、一緒に風呂に入って話さないか」
えっ、まさかの2日連続のバス・コミュニケーション?!
ま、きょうはクラスメートとではなく、その親御さんとだが。
それは昨日の常軌を逸した経験に比べると、まだまだ常識的でノーマルなお誘いという気がしてきた。
僕の常識感覚、少しおかしくなってる?
僕はひとまず、常識的な返答をした。
「よろしいんですか?
初めてお宅にお邪魔したばかりなのに、そんな図々しいことをしてしまって」
「いいんだよ、遠慮は無用だ。
僕がいいと言えば、問題はない。
それにもう、家族みたいなものなんだから」
最後にいささか気になる表現があったものの、あまりかたくなに辞退するというのもかえって失礼にあたりそうだ。
ここは昨日同様、ひとさまのお情けをありがたく頂戴することにしよう。
「分かりました。ありがとうございます。
ご一緒に入らせていただきます」
かくして、僕は今週2回目の外泊ならぬ「外浴」をすることに相成ったのだった。
⌘ ⌘ ⌘
屋敷家の大浴場には比べるべくもなかったが、それでも国貞家の風呂場は、一般的な家庭のそれに比べるとけっこう大きめでゆったりとした作りだった。
湯船は大人がふたり入っても大丈夫な大きさだし、洗い場も2本カランがあり、ふたりが並んで洗うことが出来る。
「立派なお風呂ですねー」
僕が風呂場に入ってすぐに率直な感想を述べると、国貞父はこう言った。
「この風呂場は、僕がカミさんと結婚してすぐの頃に作り直したんですよ。
もちろん、カミさんとふたりで入るためにね。
あの頃は彼女もまだ初々しくてね。
ちょっと身体を触るとビクッとしたりして、そりゃもう可愛かったんですよ。
今じゃすっかり貫禄たっぷりの肝っ玉母さんになって、風呂にも一緒に入ってくれなくなっちまった。
昔の可憐だった頃の彼女を返せ〜って叫びたくなりますよ」
そんな彼のグチを聞きながら、そうか、国貞はああ言っていたけど、このご夫婦にもそういうラブラブな時代があったんだなと、僕は微笑ましい気分になった。
身体を洗いながら、国貞父はしみじみとした調子で言う。
「女ってやはり、歳月とともに強くなる生き物ですよね。
まずは、結婚して強くなる。
これが第1段階。
それまでは、自分と結婚してくれる男性なんているのかしらという強い不安を抱えていた女性が、結婚出来た、自分もいっぱしの女性として認められたということで、確かな自信を持つようになる。
そして、子どもを産んで強くなる。
それが第2段階。
子どもを持つまではどうしても亭主に依存していたのが出産以降は形成逆転、子どもを味方につけることで亭主を凌駕するぐらいの強さを身につけるようになる。
蚊の鳴くような声で自分のか弱さを演出する必要もなくなり、堂々と野太い声を出して、己を主張するようになるんです。
こうなってしまうと、もう亭主には勝ち目はないですな。
勇ましく進軍するカミさんのあとを、従者のように付き従っていく、それしかない感じです。はあ〜」
それでも、そのため息がさほど悲嘆している風には聞こえなかったのは、彼がそれなりに幸福で充実した暮らしを送っているからなんだろうな、僕はそう思った。
「そういうものなんですかね。
僕はまだ経験不足なんで、分からないことばかりですが。
淑子さんもそのうち、強くなっていかれるのでしょうか?」
僕の問いに対して、髪を洗っていた国貞父は顔を上げてこう答えた。
「トシコも、今はご覧のようにおとなしく地味な感じの子ですが、それはまだ結婚相手を捕まえていないから、自分に自信を持てないんでしょう。
でも間違いなく、あの母親のようになっていくと思いますよ。
男、そして結婚や出産が女を変え、強くするんです」
先ほどの、妻や娘を相手にヘラヘラとしたやり取りをしていたひとと同一人物とは思えない、真剣な表情がそこにあった。
僕は国貞淑子について、いや女性そのものについて、まだ何も知らないのだ。
そう、心の底から思わされた一瞬だった。(続く)




