第五話「私たちカード同好会ですっ!」
カード同好会の部室にて幽子としずくは向かい合うように座わり、ファイルから飛び出したカードを元に戻す作業を行っていた。
葉月から連絡を受け、自分が校内を走り回っていた最中に幽子を轢き逃げしたのだと理解したしずくは謝罪――そして、現在は贖罪のために作業を手伝っているのだが、
「……しずくさん、ただファイルにカードが……入ってればいいんじゃ、ないんですけど」
「ん? そうなの?」
「……あと、私から見たら……上下逆さまに、カードが入ってるんで……そもそも手伝ってくれてる、意味がないです」
「そっか。私から見て逆から入れなきゃなんだね」
苛立った口調の幽子に対して、やはり淡々としているしずく。
ちなみに二人とも泣き止んでいるようで、赤かった目元も今はその陰すらなくなっている。
さて、幽子は雑誌でも開くように自分向きにファイルを広げており、そこへしずくはどんどんとカードを「自分からみて正位置」で入れていた。
間違いをテキパキとこなすしずくに対し、頭をくしゃくしゃと掻き、喉のギリギリまで「もういいです。一人でやるんで」が出かかっている幽子。
だが、幽子としては自分の大事なカードをぶちまけたしずくに何かさせないと気が済まない。被害者が加害者の贖罪に我慢を行うという奇妙な光景がそこにはあった。
――と、そんなタイミングで部室にもえがやってくる。
「お疲れさまです……って、あれ? 葉月さんはまだ来てないの?」
部室内の面子を何となく想像してやってきただけに、もえはきょとんとした表情を浮かべて室内を見回す。
三回も呼び止めて好物を聞き出す無駄を繰り返しはしたが、校舎の方に葉月は確かに向かっていたはずで。そのまま部室に向かったのだともえは思っていたのだ。
「校舎の方で会ったけど、部室には来てないよ」
「……私は、一番早く部室に来たけど……ここには寄ってないよ。……あとで来るとは、言ってたけど」
「そうなんだ。……ま、いっか。葉月さんだし」
先代部長をぞんざいな扱いで思考外に追いやる失礼なもえと、彼女の言葉に呆れたりもせず平然としているこれまた失礼なしずくと幽子。
(……まぁ、もしかしたら私が去ったあとにヒカリさんと合流してるとかそんな感じかもしれないし、待ってたらいいよね)
そう思い、席に座って一息つくもえだが、眼前では奇妙な光景が繰り広げられていた。
「え、なんでしずくさん、幽子ちゃんのファイルからガンガンカードを取り出してるんですか?」
「幽子に私が間違ってるって言われたからさ」
「しずくさん、後輩に人格否定されてるじゃないですか」
「……もえちゃん、違うよ。……実は……斯く斯くしかじか、で」
幽子はしずくに轢かれ、ファイルからカードが飛び出したこと。
葉月とヒカリに拾ってもらったこと。
ヒカリが突然すしざ○まいのポーズを取るという、よく分からないボケをしたこと。
そして、しずくがここで贖罪のため手伝っているはずなのに、邪魔ばかりすることを説明した。
事情を理解したもえは純粋な疑問をしずくへと投げかける。
「え、しずくさん。どうして校内を走る必要があったんですか?」
「――っ!? な、何!? 何のこと!?」
明らかに動揺したしずくの食い気味な返事。
今まで一緒に過ごしてきながら、二人が初めて見るしずくの姿。目を泳がせ、顔中にだらだらと汗をかいていた。
どう考えても怪しいしずくを、もえと幽子はジト目で見つめる。
「走り回ってたって、一体どんな理由があったんですかねぇ?」
「……そういえば、もえちゃんの……言うとおり。……しずくさん、お尻に火がついても……走らなさそう、なのにどうして?」
懐疑的な表情を深めていく二人に、しずくは誤魔化すための言葉を思案する――も、普段から何かを隠蔽するような真似をしてこなかった彼女、何も浮かんでこないのである!
絶対絶命――と、その時!
部室のドアが開き、葉月とヒカリが入ってきた。
「お、しずくは幽子への贖罪中かなー……って、全然進んでなくないー!?」
「……しずくさんが、邪魔しかしないので……一つも進んで、ないです」
「ぶつかってファイル叩き落とした上に邪魔って……しずくちゃん、鬼ですね」
葉月とヒカリがやってきたことで話題が逸れ、胸を撫で下ろす思いのしずく。
しかし、もえが無邪気な声で挙手して、
「葉月さん、しつもーん! しずくさん、何で校内を走ってたんですか?」
と、問いかけるため、しずくの心拍数に休まる瞬間は与えられない。
震え、青ざめるしずく。
普段はどんな天然をやらかしてもなに食わぬ顔をするしずくだが、卒業する先輩を思って泣いたことは知られたくないらしい。
そんなしずくを葉月は嫌みったらしい笑みで見つめ――しかし、彼女も自分達のために流した涙を笑いものにするようなクズでは流石になかったのか、寛大にも事実を隠蔽してくれることに。
「しずくはねぇ、一分一秒を争う修羅場をお腹に抱えてトイレを探してたんだよ」
それはそれでどうなのかと首を傾げたくなる理由をでっちあげる葉月。
「トイレ? お腹が痛かったなら逆に走れるものなんですかね?」
「普通、お腹が痛かったら走らないですよね」
「……同意してくれてますけど、ヒカリさんは走らないどころかギリギリまで耐えるんですよね、確か?」
「お恥ずかしながら……♥」
正しいのか分からない恥じらいを見せるヒカリ。
ちなみにもえは彼女を引きつった表情で見つめながら、
(いつも腹痛にギリギリの勝負を仕掛けるっていうけど、ちゃんと無敗なのかな。……って、なんで卒業する先輩の胃腸事情考察してんだろ、私)
などとヒカリのいつものやつを考えていたため、しずくが走っていた理由に関してはどうでもよくなっていた。
だが、しずくが走っていた理由は葉月の記憶を呼び覚ます引き金となり、「あ、そうだったー」と言ってカバンから現像してきた団体戦の写真を取り出す。
机の上に差し出された写真へ皆の視線が注がれ――しずくだけがまたもや、こっそりとバツの悪そうな表情を浮かべる。
「あ、写真できたんですね! ……これ、私が優勝トロフィー持っててよかったんですかね?」
「もえちゃんが最後、私達を優勝に導いてくれたんですから、これで正しいですよ!」
「……もえちゃんの、あの時の引き……カードゲーム記事の、まとめサイトとかでも……話題になってた」
「とりあえず、この写真は部室に飾ろっかー。写真立ても持ってきたからねー」
「えー、飾ったら葉月さんの姿が部室に残るじゃないですかー」
「何かご不満!? 先代の部長様なんですけどー!?」
四人が写真に対して盛り上がりを見せる中、必死に表情をポーカーフェイスへと作りかえようとするも、どうしたって歪んだものになってしまうしずく。
しずくが走っていた理由を聞かれ、葉月が写真を取り出したのは何故なのか?
それは、写真の中のしずくにカード同好会の優勝で感極まって泣いた形跡があるからだ。よく見ると目が赤くなっており、今日のしずくと重なる。
葉月はしずくと別れたあと、写真を確認していたのだった。
そんな写真は部室内、優勝トロフィーに寄り添う形で飾られることに。
カード同好会がカード部へと昇格した栄光、そして――五人が一緒にいた証。高校生活を共にし、青春の日々を費やした末にたどり着いた輝かしい瞬間を収めたその写真は未来の部員達と共にある。
○
「さてさてー、全員集まったことだし何か活動しよっかー」
机の上に突っ伏して、葉月はだらけた口調で言った。
「そう言いますけど葉月、私たち何か目的を決めて活動したことなんてほとんどないでしょう」
「基本的にはカードゲームして終わりの部活ですからね。でも、何だか団体戦が終わって気が抜けちゃいましたよ」
もえは外国人のように肩を竦めて語り、そんな挙動をヒカリはくすくすと笑う。
「まぁ団体戦が終われば、今度は個人の店舗代表戦が近づいてくるんだけどね」
「……今年の個人戦は、出来るなら……挑戦してみたい、かも」
「最近は幽子ちゃんもかなりプレイするようになってきたもんね」
「でもショップで行われる大会は幽子ちゃんが仕切ることになるので、出場するのは難しいかも知れないですね」
「……そうなんです、よね。……まぁ、それは仕事だから……仕方ないです」
渋々現実を受け入れた幽子の肩を、慰めるようにポンポンと叩くしずく。
「しずくに稽古つけてもらって勝つプレイも様になってきたし、今年は私もチャンスあるのかなー? なんたって団体戦の全国優勝メンバーだからねー、私は」
「その全国優勝メンバー、残りの二人もいるんですけどね。チャンスなんて本当にあるんですか?」
「加えてしずくちゃんやひでりちゃんもいますから、今年の店舗代表戦は去年よりも波乱になりそうですね」
「そんな狭き門から一人が代表かぁー! 厳しいなぁー!」
もえとヒカリの楽しそうなイントネーションで語られた指摘に困った笑みを葉月浮かべて。
心底楽しそうに笑って……笑って、やがてそれは乾き、枯れて。
葉月はゆっくりと溜め息を吐き出す。
そして寂しげな表情で「そんなわけないじゃん」と呟く。
ついつい話の流れでありもしない未来を語ってしまったが、四月から葉月とヒカリの姿などこの部室にはない。
学校にも、ショップにも、そして街の片隅にでさえも。
皆がが頭では分かっていながら忘れていたのか、葉月の呟きでハッと現実に戻る。
まるで、今日までの楽しかった日々は魔法のようで。
そして、零時――全ての幻想が解けていくように。
現実は確かな一分一秒を刻み、重ね、立ち止まることを許さない。
――事実、葉月とヒカリは卒業したのだ。
そのことが今、五人はどうしようもなく寂しい。
「こうして部室にいるとどうしたて思っちゃうなぁー。今のままでいたいって……まだ、高校生でいたいって」
「前に進まなきゃって思っても、やっぱり今日になると寂しいものですよね」
ヒカリの言葉に葉月は小馬鹿にしたような笑い声を漏らす。
「え? 何だよ、ヒカリ……泣いてるのー?」
「葉月、あなただって私のこと……言えないじゃないですか!」
交わす二人の言葉は涙に歪められていた。
気付けば二人とも頬に涙を一筋流していて、それを無視して作る笑みが余計に互いの涙を誘う。
卒業という現実味が、葉月とヒカリに追いついた。
しずくは奥歯を噛んでもらい泣きすることを堪え、幽子はため息を吐くばかり。
部室内を湿っぽい空気が満たす。
今日を笑って終えられるほど、カード同好会が積み重ねた思い出は薄っぺらなものじゃない。
ただそんな中、もえはただ時間が二人を連れ去ることが許せなくて――不意にテーブルを手で強く叩き付けて注目を集める。
――そして、勇ましい表情で口を開く。
「何が卒業ですかっ! 高校生でなくなったって今日、ここはまだカード同好会の部室なんです! なら葉月さんは部長で、ヒカリさんは副部長……そうでしょう?」
もえの乱雑な言葉に溢れる涙を指で拭いながら、葉月は苦笑する。
「卒業証書もらって、生徒じゃなくなっても部員なのー?」
「というか今日の午前中は学生だったんだし、その延長でまだ高校生ってことでいいんじゃない?」
「しずくちゃん、何なんですかその理論は」
「……もし卒業した、っていうなら……無理して、高校生ぶったら……いいんですよ」
「もえちゃん、私まだ高校生で通用しますかね?」
「あー、どうでしょう?」
「くぅ~♥ 辛辣ですねぇ~!」
カード同好会でもお約束となったヒカリともえのやり取りに一同は笑い声を漏らし、涙に濡れる卒業生二人は少し明るい表情を取り戻す。
そして、もえは全員に対してギュッと拳を握って語る。
「もう勘弁してっていうまで、涙が枯れて出なくなるまでカード同好会やりましょうよ! 今日を遊んで遊んで、遊んで……納得するまで!」
もえの滅茶苦茶な物言い。
泣いて未練を口にするくらいなら「もういい」と根を上げるまで、「満足した」と笑えるまで、そして――「楽しかった」と結局泣いて、お別れできるまで、この瞬間を――カード同好会としての活動を、続ければいいと!
そんなもえの熱弁に一同の沈黙――の後、葉月がお腹を抱えて笑い出す。
「あはは、そうだよね……カード同好会からはまだ卒業してない! 部長だってきちんと引き継いだつもりはないしねー。せめてもえには私を倒すぐらいしてもらわないと、部長を譲れないよー」
「え、対戦で引き継ぎなら秒で交代完了しますよ?」
「ほほう、言うじゃないかー! なら、部長としての威厳とお手本をもえに見せてやろうー。さぁ、諸君――ショップに行くぞーっ!」
葉月は腕を掲げて叫び、そして椅子から跳ねるように立ち上げると部室のドアを開き、駆け足で飛び出していく。
そんな挙動に釣られ、他の四人も立ち上がって部長の背中を追い、慌てて部室を出ていく。
そして、走りながら各々は叫ぶようにして語る。
「ほんと部室の意味ないよね。結局、ショップに行くんだし」
「でも、このカード同好会って感じがいいんですよね~♥ こんなノリも受け継いでいかないとっ! まぁ、部室放置してショップに行くのって大体、私のせいですけどねっ!」
「あはは。幽子ー、スイッチ入ってるよー?」
「葉月、廊下は走っちゃダメですって!」
「ヒカリさんもそんなこと言って、走ってるじゃないですか。……あ、でもこんなとこ先生に見られたら、怒られるかも知れませんね?」
「やんっ♥ それを引き合いに出されたら……急ぎますよ、もえちゃん!」
「はいっ!」
ドタバタと駆け出して、笑い声を引き連れほんの少し学生の延長戦。
明日からはきちんと前を向くからと心に決めて、今日だけはちょっと未練の相手をしてやる。現実味が追いついた卒業の二文字を少し遠ざけて、勝手気ままに、逃げるように走っていく。
カード同好会――今日も元気に活動中であるっ!




