第二話「しずくが逃走!? 葉月とヒカリが追いかけるも……!」
もえの呼び出しに応じるべく階段を下り、校舎二階へとやってきた葉月とヒカリ。廊下の真ん中にポツンと立っているしずくの姿を見つけた。
なので葉月が「おーい、しずくー」と声をかけたのだが、しずくはこちらを一瞥、そして――瞬間、全力で二人から逃げ出すように走っていく。
「えぇ!? なんでー!?」
声をかけて逃げられるというのがショックだったのか、葉月はしずくへと手を伸ばしたままその場で硬直。
しかし、こちらに構わず逃げ去っていくしずく。
我に返って葉月も彼女のあとを追って走り出す……のだが、ヒカリに袖を掴まれ静止させられる。
「廊下を走っちゃいけませんよ。校則は守らないと!」
「それ大事かなー!? しずくが何で逃げるのか気にならないのー?」
「とはいえ、学校のルールですから守らないといけませんよ」
人差し指を突き立て、言い聞かせるように語るヒカリ。
正直、火災報知器を鳴らそうとしたことの他にも、数々の悪行で自分のドM心を満たしてきたヒカリ。どの面下げてという感じではある。
「学校のルールは学生が守るものだよー。ほら、私たち卒業したわけじゃないー?」
「でも、帰るまで遠足というか……下校するまでが学生というか」
「訳わからないこと言ってないで、ほら行くよー!」
ヒカリが袖を掴んでいることを逆手に取って、構わず走り出した葉月。
仕方ないという顔をしながらヒカリも遅れて走り出し、しずくを追うことに。
しかし、素行最悪のドM女が校則についてあーだこーだ言ったせいで二人は完全にしずくを見失い、雨が降っているわけでもないのに仲睦まじく校内でランニングをしている奇妙な卒業生に成り下がってしまった。
勉強はともかく運動は割と得意なしずくに対し、完全なインドア派で体力のない二人はあっという間に息が切れ、廊下の壁にもたれて座り込んでしまう。
「はぁ、はぁ……若いもんに適いませんなぁー。ヒカリ婆さんや」
老体に鞭を打った結果、心まで老いさらばえた葉月。
今にも死にそうな声で隣の婆さんと苦労を共有しようとする。
「そうですねぇ、葉月爺さんや……」
「……なんで私だけ爺さんなのさー?」
「婆さんの話し相手なんて熟年離婚のタイミングを逃して連れ添うことになった爺さんくらいでしょう」
「何、その歪んだイメージ! 近所にも婆さんいるでしょー! 世の中もっと婆さんで溢れてるって!」
世の中が老婆で溢れているというのも歪んだイメージのような気がするが……とりあえず、呼吸が整うにつれて若さを取り戻してきた感がある葉月とヒカリ。
「それにしてもどうして逃げたんだろうねー?」
「分かりませんね。お腹でも痛かったんでしょうか?」
「なら私たち、お腹痛くてトイレに向かってる子を追いかけてたのー?」
「そんなしずくちゃんを捕まえるって、私たちどんな鬼畜なんですか……」
「ここまで走ってる途中にトイレ、いくつもあったよねー?」
「一つ一つ、確認してみますか?」
いつの間にかしずくが腹痛でトイレに籠っていることが確定になっている会話。
――そんな時である。
驚くことに、馬鹿話を繰り広げる二人から逃げていたしずくがなんと――葉月とヒカリが来た方向から走ってきたのだった。
十代とは思えない体力の無さゆえに休息を取っている二人を見つめ、しずくは「あっ」と小さく呟く。
校内を少し走り回ったくらいで息が切れる二人も残念だが、やはり抜けているという点においてしずくには勝てないらしい。
彼女は逃げ回るあまり、校内を一周して逆に葉月とヒカリに追い付いてしまったのである。
そんなしずく――目元を赤く腫らしおり、それは泣いていた形跡だった。
○
二人の間に挟まり、しゃがみ込んで座ったしずく。そんな彼女の頭をヒカリは優しく撫で、葉月は白目を剥いて窒息寸前なくらいに笑い転げていた。
優しい先輩と笑い死に一歩手前の間に挟まれたしずくは、二人に捕まってもはや抵抗できないことを悟ったのか――なんと躊躇いなく子供のように声をわんわんと上げて泣き始めたのだ。
頬には大粒の涙がいくつも流れ、上を向いて感情を大胆に放流させるしずく。
個人戦で敗北した時は噛みしめるような涙であったが、今日はまるで今までポーカーフェイスの裏側に隠してきた感情の全てを吐き出すように泣き喚いていた。
それはもう、まるでしずくが卒業するのかと思うくらいで……そんな彼女にヒカリは優しく寄り添い、一方で葉月は足と頭でブリッジしながらお腹を手で押さえて笑い狂う。
実はしずく、こういった状況で非常に涙脆く、卒業式の時点からずっと泣きっぱなしだったらしい。そのため葉月とヒカリに名前を呼ばれた瞬間、泣いている自分を見られたくなくて逃げ出したのだった。
ようやく笑いをなんとか堪えられるようになり、息も絶え絶えに葉月は口を開く。
「ほんと、クールかと思ったら天然だったり、こういう卒業式で子供みたいに泣いたり……ギャップの多い子だなぁー」
「だって……だって! 葉月さんやヒカリさんともう簡単には会えなくなるでしょ? そんなの予め分かってたって、今日になったら……!」
涙声のまま叩き付けるように語り、うずくまって制服の袖に泣き顔の全てを預けるしずく。
先ほどから変わらずヒカリが彼女の頭を優しく撫でるも、どうやら逆効果らしい。
「でも、こうやって泣いてくれるってなんか嬉しいですよね」
「確かにねー。ヒカリはともかく、私なんかは良い先輩できてなかったじゃない?」
「まぁ、後輩が別れを惜しんでるのにブリッジするほど笑い転げるって……正直、最低の先輩ですよね」
「あれー? もしかして、もえがいなかったらヒカリが辛口コメンテーター枠やるのー?」
「誰だって同じこと言いますよ。ほんと……しずくちゃんが可哀想です」
卒業式の当日に親友のなかなかクズな一面を見てしまい、思わず呆れて嘆息するヒカリ。
「でもしずくとはあっさりお別れなのかなって思ってたから……何だかんだで嬉しいねー」
「あっさりお別れって……そんなわけないでしょ。二人とも大事な仲間なんだから」
顔を伏せたまま、先ほどの感情に任せた口調とは違って落ち着いたトーンで語ったしずく。
普段冷めた感じのしずくに言われたからか、その言葉は二人に強く響いた。
ヒカリはしずくをギュッと抱き寄せる。
「本当にありがとう……しずくちゃん。私としずくちゃんはかなり長い付き合いですし、離れるなんて考えたことなかったですもんね」
「そういえばしずくとヒカリって、私や幽子がショップに行くようになるもっと前からの知り合いだっけー?」
「そうですよ。みなみさんと手を繋いでやってきたのが初めてでしたかね。まだ小学生でしたか。そこでみなみさんにデッキを切ることを教えられて、私に『ならハサミを貸して』ってベタなことを言ったの覚えてます」
「あははー。その頃からしずくはしずくだったんだねー」
過去のしずくが容易に想像できることを葉月は面白がる。
それは先ほどのような狂った笑いではなく、彼女らしいエピソードに安心した穏やかなものだった。
「そんな時期もあったんだねー。私がヒカリに紹介された時にはもうしずくってショップでも最強のプレイヤーってイメージだったし」
「ずっとみなみさんを追いかけて強くなる努力をしてましたからね。実力が上がるのもすごく早かったです」
ヒカリは抱きしめたしずくの髪を優しく撫でながら、見ることのなかった光景に思いを巡らせる。
(もしかしたらみなみさんが卒業して、プロになるべく家を出る時も……こんな風に泣き腫らしたのかも知れませんね)
誰もが最初はクールなイメージを抱き、そして天然なキャラクターにギャップを感じる。
しかし、本当はカードゲーマーとして熱いものを秘めていて、さらにはこんな風に……大切な存在を思って涙を流す感情的な一面もある。
それを踏まえ、ヒカリは優しげな笑みを湛えて口を開く。
「もしかしたらカード同好会のことが誰よりも好きだったのって……しずくちゃんだったりするのかも知れませんね」
「あ、それ分かるかもー。もえをカードゲーマーとして鍛えたり、私に団体戦出場を勧めてくれたのもそうだし、文化祭の準備も結構ノリノリだったり楽しんでたよねー」
「そんな風に誰かを大切に思えるから泣けてくるんですよね。ほんと、優しい子だと思います」
そう言ってヒカリは抱擁を解き、しずくは泣き止みつつも真っ赤になった目を二人の眼前に晒す。
葉月は頬をギュッと噛んで笑いを堪え、それを見抜いたヒカリは鋭く彼女を睨む。
「私たちは今日で卒業です。四月になればカード部として活動が始まると思いますけど……どうか、一年先輩として幽子ちゃんともえちゃんをお願いしますね」
「部長はもえだけどさー、やっぱりしずくの力が部に必要な時って絶対あると思うからね。私からも頼むよー」
「……………………うん、分かった」
大きく頷き、指で溜まっていた涙を拭っていくしずく。
しかし、そんなしずくの頭を今度は葉月が撫でてやると――再び涙腺が決壊、流石にまた泣き喚くのを見られるのは困るのか、しずくは立ち上げると廊下を駆け、階段を降りて二人から逃げ去ってしまう。
そんなしずくを微笑ましく見つめる葉月とヒカリ。
「おやおや、どこへ行ってしまったんでしょう?」
「トイレじゃないのー?」
「お腹が痛い設定はもういいですから……」
「トイレに籠るのはそれだけが理由じゃないと思うけどー?」
「あぁ、確かに……じゃあ、そっとしておきましょうか」




