第九話「文化祭盛況! しずくの変化と報われる幽子」
「個人戦、残念だったね」
みなみはしずくと長い付き合いであるためか、デリケートな部分を遠慮なく話題として持ち出した。
二人の姿は文化祭、人の流れの中にある。
みなみはこの学校の出身であるため校内を懐かしみつつ、変わった部分には新鮮味を感じ、しずくと談笑しながら文化祭を見て回っていたところだった。
さて、特に表情を崩すこともなく「まあね」と返事をするしずく。
「あの時は焦ってたし……仕方ないんじゃない?」
「おやおや~? 何を焦ってたのかなぁ~?」
下世話な笑みを浮かべてみなみはしずくの顔を覗き込み、しずくはうっとうしそうに視線を逸らす。
「相変わらず姉さんは意地悪だよね。分かってるくせに」
「ん? アタシのどこが意地悪なのよ。いつだったかアタシを訪ねてきた時、車で送ってあげなかったら駅に戻れなかったでしょ?」
「戻れたよ」
「嘘つくんならアタシ帰るよ?」
「ごめんなさい、嘘です」
姉の前だからか、コミカルに敬礼して謝るという姿を見せるしずく。
そんなしずくは元気そうで、みなみは自分の中に抱えていた懸念が薄まっていくのを感じていた。
みなみはしずくが自分を追いかけ、そして焦っていたことを知っていた――いや、予想がついていた。
昔から羨望の眼差しを受けていたみなみからすれば、きっと自分と同じ年齢で全国優勝したいと焦ることは分かっていて。
そしてしずくの中にある憧れが「落ち着け」と言って聞くようなものでもないことを知っているので、何も言わなかった。
だが、個人戦を終えてしずくがどういう心境なのか気になってはいたのだ。
「そういえばここへ来る前、家に寄ってきたんだけどさ。母さん言ってたよ?」
「ん? 何を言ってたの?」
「最近、しずくが急に勉強しだしたって。人格変わったみたいだって驚いてたよ」
「なんだ、そのことか」
「もしかしてカードゲームのモチベーションがそっちに行っちゃった?」
これはみなみにとって少し怖い質問ではあった。
もしも妹がカードゲームに挫折していたりしたら……と。
だが、しずくは微笑すら浮かべて首を横に振る。
「言っとくけど、個人戦でモチベーションが下がったとか、そんなことはないよ? 来年は勝つって……今はそう割り切ってるし」
「ん? そうなの? じゃあ、どうして勉強に打ち込んでんのよ。……いや、学生としては正しいんだけどさ。アンタは今までそっちのけだったわけじゃない?」
みなみの言葉に思案顔を浮かべるしずく。
「なんていうのかな……一個のことだけやったり、見てても駄目なのかなって思って。だから、ちゃんとしようと思った」
今までなら言いそうにないセリフを口にする妹に、みはみは目を見開いて驚愕を露わにする。
好きなことばかりやっていたい、と――カードゲームになりふり構わなかったしずくの変化。
敗れてカードゲームから逃げたのではなく、視野を広げて盲目的かつ猪突猛進な自分を脱した。
それは、しずくにとっての成長。自分の背中を追いかけ真似するばかりだった妹の変化に、胸が熱くなってしまうみなみ。
「そっか……アンタにそう思わせるだけのものがあったんだ」
「うん。もしかしたらそれはカード同好会にあったのかも。私一人だったら確かにカードゲームを挫折してたかもしれないけど、あの個人戦……一人で戦ってるわけじゃなかったって気付けたから」
「ほんと、現役女子高生だけあって青春してるねぇー。……でもまぁ、そういう風に仲間のありがたみに気付けたってのは大事なことだよ」
「それは痛いほど感じた」
個人戦の時の自分を思い返せば、心が痛みに疼くのを感じる。
その痛みがあるから――そして、そんな時に寄り添ってくれた人達がいるから、しずくは二度と間違うことはないと心に誓い「もう一度」が口にできる。
そんな、何かを悟ったように清々しい表情を浮かべる妹が生意気に感じたのか、しずくの額を意地悪な表情で指で弾くみなみ。
痛みでしずくは反射的に目を閉じる。
「なら知らない街で迷子になるような、仲間に迷惑かけるマネはするんじゃないの。でも、遠慮して頼らないのも駄目。……大事にしなよ? 今の仲間はきっと、一生の宝物になるんだから」
「分かってるよ。でも、こんなとこで説教しなくても……」
しずくが額を弾かれたのは文化祭を見て回っている最中であるため、もちろん生徒や一般客の視線が飛び交うど真ん中。
恥ずかしそうに萎縮するしずくを見つめ、まだまだ子供だと感じたみなみは安心したのか快活に笑うのだった。
○
「無料で日本の女子高生が見られるなんて、ほんと素敵なイベントですネー!」
ニヤニヤとした表情を浮かべながら周囲を見渡す、危なげな雰囲気の外国人が文化祭の中にあった。
強化遠征の際、もえと仲良くなった外国人――メアリーである。
社会人のためなかなか予定が作れず、もえとは非公認以来会っていなかったメアリー。だが、また会おうという言葉は社交辞令ではなく――数日前、もえに電話があったのだ。
久しぶりに会わないとかいう提案。それはもえ達からしてみれば文化祭を目前とした時期であったため、せっかくということで誘ったのだ。
そして今、メアリーはもえと共にカード同好会の部室へと向かっているのだが……。
「合法、合法、ありがたやですヨー!」
すれ違う女子生徒の制服を見る度、立ち止まっては両手を合わせ拝むメアリー。
そんな彼女を何とも言えない表情でもえは見つめる。
(……あっれー? ほんとカードゲーマーってどっかおかしくないダメなの? メアリーもなかなかに危険人物だなぁ)
二十代になってから来日したメアリーは当然、日本の学校に通ったことなどなく、女子高生を間近に見る機会がなかった。
とはいえ――。
「本当に無料でいいんですカ? 拝観料、一万円くらいなら払いますケド?」
「文化祭を無料で女子高生が見られるイベントと捉えた人、私初めて見たよ……」
どこか危なげに文化祭を捉えているようで、もえが静止しなければ今頃はスマホのカメラをフル稼働させていたことだろう。
まぁ、もえは撮影されたが。
ちなみにメアリーはコスプレではない本物の学校制服が、正しく学生に着られている光景が嬉しいようだ。
最近、耳にすることがある「kawaii文化」というものらしい。
これに関してはカードゲームで来日した以後に目覚めた趣味らしいが、自覚したのは二十代。メアリーは「十代で目覚めていたら留学したのに!」と悔しがる。
さて、そんなわけでメアリーが度々立ち止まるため、もえはビラ配りを終えているのに部室へなかなか戻れなかった。
やっとの思いでメアリーを連れて部室に戻ったのは、みなみがしずくを連れて文化祭を回り始めた頃。
メアリーにはさっそくカード同好会オリジナルのカードゲームをプレイしてもらうことに。
ちなみにテンプレ的なハイテンション外国人でありながら、もえから紹介されたバトルマスターハズキには白い目で淡白な反応を示したメアリー。
もしかすると、葉月が自ら女子高生然とした服装を捨てているために興味がなかったのかも知れなかった。
そして、実際にカードゲームをプレイしたメアリー。招待したお客さんということもあり、特例としてスタッフのもえが相手を務めた。
プレイするとシンプルながらも奥深い作りにメアリーは素直に感動。楽しみながらプレイしていたのだが、ここでメアリーがこの出し物へやってきた客の中で初めてとなる――あることを口にする。
「このカードイラスト……フリー素材? いや、それとも誰かが描いたんでしょうカ?」
そう。この日――数多の客を迎え入れたが、一人としてイラストに関する質問をした者はいなかった。
当然だろう。まさか――これほどまでに写実的で、繊細なイラストがカード同好会の部員によって描かれたものだと、誰も思わなかったのだ。
つまり、カードに添えられるイラストとしてはあまりに自然すぎた。
もえはその質問に、よく聞いてくれたとばかりに得意げな表情を返し、客の対応に一段落をつけた幽子を手招きしてメアリーと引き合わせる。
「ウチのカードゲームのメインイラストレーター、黒井幽子ちゃんだよ!」
幽子の両肩に手を添え、もえはメアリーに紹介した。
ちなみに幽子を「メイン」と表現するのは、もえが少しイラストを手伝った「サブ」の自覚があるからだ。
さて、知らない外国人を前に混乱する幽子。
「……も、もえちゃん? ……この人はどなた……です、か?」
「メアリーと申しマス! よろしくネ!」
「……あ、どうも。よろしく……お願いします。」
幽子の挨拶にメアリーは手を差し出し、幽子は応じて握手。
そこから流れるようにハグへと移行するメアリー。
目を丸くするしかできず、幽子はされるがまま。
解放されると幽子は顔を真っ赤にさせてへなへなとその場に崩れる。
(……私もいきなりハグされた時はビックリしたなぁ。とはいえ、なんか女子高生見てニヤニヤしてたし、もしかしたら軽い挨拶以上の意味があるのかも……?)
微笑ましいが、ちょっと表情を引きつらせて光景を見つめるもえ。
とりあえず幽子にもう少しメアリーを紹介しておくことに。
「メアリーとは前に行った非公認で知り合ってね。私が文化祭に誘ったんだよ」
「……そう、なの?」
「で、メアリーがウチのオリジナルカードゲームのイラスト、誰が描いたか気になってたから幽子ちゃんを呼んだってわけ」
もえが自分を呼んだ理由を知って、幽子は表情を強張らせる。
「幽子、でしたネ? あなたがこのカードのイラストを描いたんですカ?」
「……はい。……そうです、けど」
どこか自信なさげに答える幽子。
一方、メアリーはイラストを描いた人物が幽子だと確認すると、カバンからあるものを取り出して幽子の前で広げて見せる。
それはカードゲームをプレイする際に使用する布製プレイマットだった。
「まさか学生でこれほど綺麗なイラストを描くなんて……感動しましたヨ! 好きですネ、幽子のイラスト! 幽子はきっと世界に名が轟くイラストレーターになりますネ! 私にはわかりマス! ……なのでサインをいただけますか、幽子?」
メアリーは弾んだ口調で語り、言葉の最後をウインクで締めくくった。
つまりサインを貰いたいからプレイマットを広げたようだ。
ちなみに、さっきひでりはカードにサインを貰おうとしていた。サインを貰ったカードはもちろんプレイでは使えなくなる。
しかし、プレイマットは別である。
サイン入りでも実際のプレイで使える――いや、寧ろサイン入りだからこそ、誰かに見せたくて使うものだろう。
つまり、プレイマットにサインを求めたメアリーは、幽子をそれほどに評価しているのだ。
ポカンとした表情で口を半開きにしていた幽子。
しかし言われたことに想像が巡り、意味に至り、現実味に触れると唇を僅かに震わせながら瞳に涙を浮かべたのである。
顔を手で覆う幽子、そして困惑した表情を浮かべるメアリー。
「す、すみませんネ! もしかして……不快でしたカ?」
「……そんなこと……ない。……ただ嬉しくて」
涙を流しながら、そしてそれを袖で拭いながら幽子は言った。
「……今までずっと……家でこっそり、描いてて。……今日、誰も絵のことを言わないから……所詮は取るに足らないもの……だったのかな、って感じてたけど。……違ったんだ」
瞳に涙を浮かべながらに、こっそり抱えていた不安を口にする。
メアリーが絵に言及しようとして幽子が表情を強ばらせたのは、自分の作品を評価されるのに慣れていないからで。
自分を曝らけ出す最初の一歩。気丈に振る舞っていたが、やはり否定されることを思って不安感は胸のどこかにあったのだ。
だが、メアリーは幽子の絵を好きだと言った。
自分の好きを形にした作品を。
まるで存在そのものを肯定されたような幸福感。飛び上がるくらいに嬉しくて、幽子は感受性が強いため溢れる感情が涙になってしまった。
「……でも、どうして……私のサインなんか……欲しいんです、か?」
「今ここでサインを貰えば私が幽子のファン第一号ですからネー。数年後には自慢できるはずですヨ!」
「……本当に……そんな価値が出るか……分からないの、に?」
「価値が出るかどうかなんて、絵を見れば分かることデス! 幽子はもの凄い原石ダヨ! 自信持っていいデース!」
サムズアップして快活に笑うメアリー。
そんな言葉に幽子の鼻をすすり、ギュっと目を閉じて泣き顔を繕いながら口を開く。
「……そっか。表に出せば、そんな風に……認めてくれる人がいるんだ。私……私、絵を描いてきてよかった!」
自分の妄想を形にするために絵を描き続けた幽子。
誰かに見てもらい、そして評価される喜びを経て――ついに報われる瞬間を迎えたのだった!
「……とはいえ、私……サインなんて、考えたこともないから……どうしたら、いいのか」
「お洒落に書かないとね。プレイマットに名前書くだけだと小学生の持ち物みたいになっちゃうもん」
「なら今から一緒に考えましょうカ!」




