第六話「悩み、苛立ち……そして、固まるヒカリの決心!」
紅く染まった葉が風に揺られて宙を舞い、地面に滑り落ちる。何だか寂しげな秋の風景。
そんな光景をたびたび立ち止まって、ヒカリは眺める。
空を見上げれば千切れた雲が風に運ばれていく。
(……あぁ、何でしょう? この秋という季節は。まるで私の気持ちを代弁しているよう)
ヒカリは紅葉が彩る公園を訪れていた。冷たい空気を切って歩み、やがて見つけたベンチに腰掛けると、両手の平に吐息をこぼす。
刹那――淡く白に大気を染め、消えていく。
もう、そんな季節だった。
(この消えていく白い吐息も何だか、今の私みたい。……ううん、私そのもの)
衝撃的な事実ではあるが、ヒカリは二酸化炭素だったらしい。
さて、公園内の時計は十六時を指し示す。
今日は葉月の都合でカード同好会の活動自体を休むことなり、早めに学校から解放されてしまったのだ。
文化祭の準備もあるので家に帰ってやることを抱えているヒカリではあるが、最近の沈んだ気持ちを何だか秋の寂しい風景に重ねたくなってしまい、こうして公園へとやってきた。
ヒカリはポケットからスマホを取り出し、同じくカバンからイヤホンも引っ張り出す。
こんなにもセンチメンタルな気分なのだから、音楽を用いてとことんまで浸りたいと思ったヒカリ。
でも、取り出したイヤホンは絡まっていた。
(えぇ……? ……いや、これも私みたいですね。なかなか解けない、複雑な絡み方。まるで私です)
そう思い、何となく引っ張ってみると意外とするする解けた。
自分の思うようにならず、ちょっと表情をピクつかせるヒカリ。
気を取り直してスマホにイヤホンを接続。耳を塞ぎ、動画サイトを開いて「失恋 メドレー」と検索する。
しばらくは帰らない気らしい。
そして検索結果の一番上位にヒットしたメドレーを再生し、目を閉じる。
しかし、動画再生前に入る広告がゴキゲンなラップだったため、気分がぶち壊しに。歌詞も「生きてるだけで気持ちいい」みたいな感じなので最悪だった。
スマホからジャックを引き抜くと、線を雑に引っ張って耳からイヤホンを外し、地面に叩き付ける。
(…………くそぅっ!)
珍しくご立腹なヒカリだった。
どうしてこうも上手くいかないのか。
ヒカリは、自分の中から突如として消え失せたキラキラの幸福感に満ちた感情――恋心だと感じていたものの喪失感が憂鬱で。そして、憂鬱な現状があまりにも心地よく、音楽などの雰囲気作りで何倍もの濃度にできないかと考えたのだ。
上手くいかなかったけれど。
失恋の胸が引き裂かれるような痛み。
ヒカリは思わずニヤニヤしてしまう。
……そう、自分はただ痛めつけられて喜ぶ変態で。だからこそ、あんなに日々は輝いていた。ただ、鞭を入れられ喜んでいたことを勘違いしていただけで、本当は痛みに歓喜していた。
今だってそうだ、と――ヒカリはドMである自分を蔑視し、それによって落ちぶれた自分を楽しみ、また軽蔑して。無限ループとなっていた。
とはいえ、そんなヒカリの苦悩自体が不可思議なものではある。
勘違いしていた自分が悲しくて、この胸は空虚なのか?
なら、どうして勘違いだったことが悲しいのか……性癖の名は分かっても、まだ分からないことは胸の中にあってヒカリはモヤモヤしていた。
(あんなにも甘い日々が全部嘘だったとして、どうして悲しいんでしょう。……ん? そういえば付き合ったと思い込んだ日から、特に恋人らしいことがあったようには思いませんが……まぁ、とにかくです)
それでももえとのデート――大盛りのラーメン屋に二回も行って、立ち読みされたり、映画で寝られたり。どれもキラキラと輝くヒカリの思い出なのである。
「好きって、何なんだろ……」
口元を両手で多い、瞳を閉じて呟く。
まるで悩める十代の少女のように。
……まぁ、実際に悩める十代の少女だが。
さて、実は困ったことにこの状況を傍から見ている者がいるのである。
公園に立ち並ぶ樹の一つに隠れ、顔だけをひょっこり出してヒカリを傍から見つめる人物――それはもえだった。
実は事情の全てを察した葉月から、
『多分、ヒカリの件はもえが大きく関わってるから、ちょっと探ってみてよー。同好会は休みにするからよろしくねー』
と雑に一任されてしまい、こうしてヒカリの背後をつけてきたのだ。
しかし――。
(何度も立ち止まっては落ちる紅葉を見つめたり、いきなり地面にイヤホン叩き付けたり……こんな情緒不安定なヒカリさんを一任されるって私、前世で一体何したんだろ)
ショッキングな光景の数々で出ていくにいけなくなっていた。
とはいえ、今のヒカリを傍から見続けていれば出ていくタイミングは永遠に逃すことになる。
そう思い、もえは偶然を装ってヒカリに接近。
「あれ? ヒカリさん、こんなところでどうしたんですか?」
歩み寄ったタイミングでヒカリは地面に投げつけたイヤホンを拾い始めたため、もえは変な光景へ声をかけた形になってしまった。
しかし、気まずいものを感じるもえの胸中は知る由もなく、ヒカリはもえが現れたことに少し目を見開きながら、無理に微笑みを作って迎える。
「もえちゃん、偶然ですね。実はちょっと今、センチメンタリングなうでして」
「今が被りまくってますね。っていうか、センチメンタリングって何ですか」
「センチメンタルの現在進行形です」
「そんなの予想つきますよ」
「じゃあ何で聞いたんですか……」
意味不明な単語を放り投げておきながら呆れる、という離れ業をやってのけるヒカリ。
このまま会話をしていくといつものようにヒカリをいじり倒しそうなので本題を進めていく。
「センチメンタルといえば……なんか最近、元気ないですけど大丈夫ですか? 心配だったんですよ」
もえのトーンを落とした親身な言葉に、どこか困ったように笑うヒカリ。
「すみません。……でも大丈夫ですよ、ほんと」
「そうですか?」
「ええ。ちょっとセンチメンタラーヒカリになってるだけなので」
「ダサっ! センチメンタラー、ダサっ!」
結局、声高にヒカリの発言へツッコミを入れ、いじった感じになってしまった。
だが、そんなやりとりのどの瞬間にもやはり、いつもの明るいヒカリの姿はなかった。
だから、もえは今度こそ遊び心や悪ふざけを払拭して真面目な表情で語る。
「……まぁ、言いたくないなら深くは聞きません。でも、しずくさんの一件で私は決めたんです。仲間が悩んでいて、一番つらい時に寄り添ってあげたいって」
「もえちゃん……」
「私は……普段からヒカリさんに酷いことを言って喜ばせたり、辛いことを言って高ぶらせますけど、でも――いざとなったら手を差し伸べたいんです。優しくしたいんです」
ヒカリの悩みを知り、受け止めたいからこそもえは優しげに微笑みを浮かべて語り、それは――少しヒカリの心を動かすことになる。
彼女の心の片隅にあった疑問、その答えはいとも簡単に具現したのだ。
だからこそ、心は動かざるを得なくなる。
確信に――至る。
もえは今、こうしてヒカリを心配そうに見つめている。普段は棘のある発言をすることもあるが、それでもこうして本当に困っている時には優しく手を差し伸べようとしてくれる。
そして、そんな発言にさえヒカリは胸が苦しくなるような、そして嬉しくもある――あの勘違いだと思った感情を胸中に宿したのである!
投げかけられたのは棘など一切ない言葉だった。
棘がある言葉に喜ぶ自分なのに?
でも今、ヒカリはもえから優しくされることが嬉しかった。罵られたり、いじり倒されたりする時と同じくらいに幸福感が体を駆け巡って……それが理路整然とした単純な足し引きでヒカリに確信させる。
(まったく……どうしてよりにもよって、ここを通りかかったのがもえちゃんなんでしょう。……でも、間違いないですね。私はもえちゃんの辛い言葉、キツい言動、えげつない一言で息が上がるくらい興奮しますが――それは一部に過ぎなかったんですね)
いつからヒカリにそんな感情が芽生えたかは分からない。
最初からかも知れないし、徐々にそうなっていたとも言えるし、今回の件が生んだ落差かも知れない。
しかし、もえからサディスティックな一面を差し引きしても、ヒカリは胸の高鳴りが消えないことを確信してしまった。優しさにさえ、彼女はときめくのだから。
そう。優しさのようなものででも、ヒカリは喜ぶのである!
だからこそ――。
(始まりは歪んでいたのかも知れませんが、それでも……私は!)
ヒカリは決心した。
今は文化祭に集中しなくてはならない。だから割り切れない気持ちを抱えてでも目の前のことに集中して。そして、やり遂げたら……心置きなく玉砕しよう。
そう、心に決めたのだ。
「……そうですね、いつまでもこのままじゃ駄目です。ありがとうございます、もえちゃん。私、もう大丈夫ですから……心配いりませんよ」
そう語ったヒカリの表情と口調はいつものもので。
もえは元に戻ったのだと確信して安堵する。
そして――。
「もえちゃん、私決めました。文化祭が終わって後夜祭……その時、少しでいいので時間を下さい。……大事なことを話したいと思いますので」




